(31)衝撃

「ローダス様に、ちょっとした質問があるのですが」

「はい、なんでしょうか?」

「音楽についてです。一般に普及している音楽は、得てして単調でゆったりしたメロディーの物しか耳にしません」

「……そうですね。それが何か?」

(はい? どうして音楽の話題? しかも総大司教のご子息に対して、いきなりその質問はなんなの?)

 ルーナは本気で困惑したが、問われたローダスも同様だったらしく、答える声に戸惑いがみられた。しかしそれには構わず、エセリアが質問を続ける。


「その成り立ちや歴史を確認してみましたら、音楽はそもそも国教会が教義を広めるために作成された、賛美歌から派生した物だとか」

「はい。昔は今と比べると識字率が格段に低く、文字の読めない庶民に教義を広めるための苦肉の策だったと、教会の記録にも残っております」

「本当に先人の知恵とご苦労には、頭が下がる思いです」

(ああ、なるほど。エセリア様は讃美歌に関することでローダス様にお尋ねしたいことがあって、今日お呼びしたのね。だけど、それならどうしてミランさんも一緒に呼ばれたのかしら?)

 二人の会話を聞いてルーナは納得しかけたが、すぐに新たな疑問が浮上した。そして怖い可能性に気がつく。


(まさかエセリア様は、讃美歌に関することで何か商売をしようとか、そんな罰当たりな事を考えておられないわよね!?)

 自分の考えに顔色をなくしてエセリアの横顔を凝視したルーナだったが、ここで何故かミランが恐る恐るといった感じで声を発した。


「あの……、エセリア様? 急に怖い顔をして、どうかされましたか?」

「あ……、いいえ、何でもないのよ? ええと、それでは先程の話を続けますが……」

(注意して見ていなかったけど……、今エセリア様は、そんなに怖い顔をしていたの? お一人の時ならともかく、お客様の前で変なことは控えていただきたいわ)

 思わずルーナが溜め息を吐くと、再びエセリアが話し出す。

「音楽が賛美歌から派生したということは、従来の物からかけ離れた歌や音楽を発表したり演奏したら、教会から不遜だと抗議を受けたりはしないかと思いましたの」

 その問いかけに、ローダスが怪訝な顔で応じる。


「従来の歌や音楽からかけ離れたもの、ですか?」

「ええ。こう、なんというか……、ゆったり穏やかではなく。ああ、勿論下品とかではありませんが、ただ、ポップでロックな感じのメロディーとかは、教会的にはどうなのかと思いまして。教会内の事情に詳しいローダス様の意見を、一度お伺いしたかったのです」

「『ぽっぷでろっくな感じ』……、ですか?」

(エセリア様……、何を仰られているのか、全然分かりません。いきなり変なことを言い出さないでください。ローダス様がとても困った顔をしていらっしゃいますよ?)

 意味不明な言葉の羅列にルーナは唖然となったが、それはミランも同様だったらしく、呆れ顔でエセリアに申し出る。


「エセリア様……、それでは他人に伝わりませんよ。申し訳ありませんが、凡人の私にも分かるように、説明していただけませんか? ローダスさんも困っていますし」

「そうね。言葉で色々説明するより、実際にやってみた方が分かって貰えるわね。それなら……」

「エセリア様?」

 椅子から立ち上がり、テーブルから離れた彼女を見てミランとローダスは戸惑ったが、エセリアは明るく笑いながら説明した。


「座ったままだと感じが出ないから、立って歌うことにするわ」

「何の歌ですか?」

「賛美歌の《久遠の救済》の新解釈と言うか、新バージョンと言うか、そんなところよ」

(え? 歌なの? ピアノ演奏ではないの? ここのピアノの状態をお尋ねだったから、てっきり演奏するのかと思っていたのだけど)

 テーブルから少し離れた位置に立ったエセリアを見て、ルーナは意外に思った。ミランとローダスも、不思議そうに問い返してくる。


「『久遠の救済』ですか?」

「それは誰もが知っている有名過ぎる賛美歌ですし、色々な方が随分アレンジして歌い継がれてきましたよ? エセリア様には申し訳ありませんが、どう歌っても、大して変わり映えはしないのではありませんか?」

 ミランの率直な指摘に、エセリアが困ったように笑う。


「そう言わずに、取り敢えず一曲聞いてみてから、感想を聞かせてくれる?」

「分かりました。何かお考えがあるみたいですね。拝聴させていただきます」

「ローダス様もお願いします」

「はい、畏まりました」

(久遠の救済なら私も知っているし、歌えるくらい有名な讃美歌だけど……。一体エセリア様は、どんな歌い方をするおつもりなのかしら?)

 ミランとローダスが小さく拍手する中、エセリアは何回か深呼吸を繰り返した。そんな彼女をルーナは一抹の不安を覚えながら眺めていたが、不幸なことにその不安は的中した。

 息を整えたエセリアは勢い良く左足を斜め前に踏み出して軽く前傾姿勢になり、次いで何かを抱えるような意味不明な体勢になる。そしてそのまま発狂したのではないかと思えるような、尋常ではない奇声を上げたのだった。


「イェーイ! 俺っちのっ、カワイイ、迷えるぅ――、小さな、子羊ちゃあ――ん! 今日も、元気に、カンシャしてるかぁぁ――い!?

「…………へ?」

「…………は?」

(は……、はぁあぁぁぁあ!? エ、エセリア様ぁあぁぁっ!? 何をしているんですかぁぁっ!?)

 そこでエセリアは左手で何かを抱える真似をしたまま、その手前で右手を激しく上下に振り、全身を前後左右に揺らしながら異様なテンションで歌い始めた。


「愛愛愛してるってぇぇ――、言われ続けてぇもぉ――、行ぁいがぁ――、伴わなぁあいぃ――、薄っ! ぺらなっ! あ愛ならぁぁ――! 道ぃ端ぁのぉ――、草一本のっ! 価値さえっ! 無いのさぁあああ――っ!!」

「…………」

(お嬢様……、エセリア様が、おかしくなられた……)

 驚愕のあまりミランとローダスは目を見開いて固まっていたが、公爵令嬢として以前に普通一般の女性の振る舞いとは激しく逸脱したエセリアの絶叫っぷりを目の当たりにしてしまったルーナは、衝撃のあまりそのまま意識を手放してしまったのだった。

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