(2)傍迷惑な御曹司

 公爵家の嫡男ともなると英才教育が施されるのは確実であり、将来の側近候補も早いうちから選抜され、身近で教育されるのが貴族社会では一般的であった。例に漏れずナジェークも幼い頃から家庭教師を付けられてめきめきと頭角を現していたが、まだ十歳の当時は人畜無害な顔をしながら、なかなか苛烈な性格の行動力が旺盛な子供だった。


「良いですか、ナジェーク様。街中では絶対に騒ぎを起こさないでくださいよ?」

「分かっている。何度同じ事を言うんだ、アルトー。記憶に支障が出ているのか? そっちの方こそ大丈夫か?」

「あのですね!?」

「止めろ、アルトー。俺達が、口でナジェーク様に勝てるわけ無いだろう。これ以上は説教するだけ無駄だ」

「ヴァイス、それはそうだが」

 五歳年長の護衛兼世話役二人組の同伴を条件に、庶民が利用する市場の見学に向かっていたナジェークは、うんざり顔でチラッと斜め後ろを見やりながら考えを巡らせる。


(二人とも、本当に五月蝿いな。せっかく父上から下町への外出許可を貰ったのに、毎度毎度こんなお目付け役を引き連れていたら、鬱陶しくて仕方がない。適当な所でまくか)

 そんな事を考えながら貴族の邸宅が並ぶ区域を通り抜け、庶民の家が立ち並ぶ区域に足を踏み入れたナジェークは、かなり大きい広場の片隅に大きな荷馬車が六台停まり、その周りを囲んでいる老若男女が忙しそうに荷物を下ろしたり、話し込んでいるのを目に留めた。


「ヴァイス、あの集団は何だ? 商人では無いよな?」

 行商人なら老人や子供を連れて旅をするわけが無いと考えながらナジェークが尋ねると、ヴァイスはそれを肯定しながら説明を加える。


「はい。おそらく旅芸人の一座ですね。貴族の邸宅が並ぶ区域では見かけませんが、こういう下町には庶民相手に興行するのを生業としている集団が、時々やって来ますから」

「へぇ……。どんなものか見てみたいな」

「見たところ今到着したばかりのようですから、色々手続きや準備の関係上、今日の興行は無いでしょう。開催時期を調べて、改めて公爵様の許可を貰ってお連れします」

「うん、頼むよ」

「じゃあヴァイス、ちょっとあの一座に確認してくるから、ここで待っていてくれ」

「分かった。頼む」

(ちょうど口実が向こうからやって来てくれて助かった。さて、後はヴァイスだけだな……)

 確認の為にまたここまで出向く手間を省こうと、心得たアルトーが広場のほぼ反対側に居る集団に向かって走り出し、ヴァイスが軽く手を振りながら見送る。ナジェークはそれを横目で見ながら、絶好のチャンス到来に、無意識に顔を緩めた。そして周囲を見回して素早く算段を立てた彼は、広場の中央にある噴水を指さしながら大声で叫んだ。


「あ、ヴァイス! 凄いよ、見て! あそこの噴水から、水じゃなくてワインが噴き出してる!」

「え? そんな馬鹿な!?」

 ありえないと思いつつも、そこはまだまだ人生経験に乏しい十五歳の少年である彼は、思わずナジェークが指さした方向に身体ごと向き直って噴水を凝視した。一方のナジェークは叫んだ瞬間一歩後ろに下がり、ヴァイスの視線が噴水に向けられた瞬間に素早く駆け出し、数歩先に停められていた荷馬車の下に潜り込む。


「ナジェーク様、何を馬鹿な事を言ってらっしゃるん……、ナジェーク様!? どこですか!? うわぁ、大変だ!」

 すぐにナジェークの冗談だと分かったものの、傍らを振り返ったヴァイスがこの短時間の間に彼の姿が影も形も無くなっていた事に激しく狼狽し、周囲を見回しながら慌てて駆け出した。そして同様に顔を蒼白にしたアルトーと二人で少しの間広場を探し回っていたものの、既にその場を離れてしまったらしいと判断したらしく、二手に分かれて駆け出していく。顔を出して確認する事は出来ないまでも、二人のブーツやズボンの色や材質はしっかり覚えていたナジェークは、行き交う人込みの中で彼らの動きを観察し、自分のいる場所から遠ざかったのを認めてから、荷馬車の下からゆっくり這い出た。


(二人とも、まだまだ甘いな。幾らなんでも、そんなに素早くこの場を離れるのは無理なのに。もっと色々な可能性を考えないと駄目だぞ? さて、馬車がまた迎えに来るまで時間があるから、のんびり下町見物をしていよう。お供を引き連れて仰々しく見学なんて御免だぞ)

 通行人が荷馬車の下から這い出てきた少年に対して奇異の目を向けたが、当のナジェークはそんな事など全く気にせず、のんびりと歩き出した。


(最初は市場の見学に来る予定だったから、それならわざわざ逃げ出さなくても来られると判断して、アルトー達は他の予定にない所を探すと思うんだよな)

 一応注意深く市場の端から様子を窺ったナジェークだったが、その読みは当たったらしく、アルトーとヴァイスの姿は見当たらなかった。そこで彼は安心して、市場の中を歩き始めた。


(食材を売りに来たり仕入れに来るのは朝だから、その時間を外すと賑わいは落ち着くと聞いていたけど……。食料品以外の物を持ち込んでいる者も多いし、人出はそれなりにあるな。やはり珍しい物も取り扱っているな。あれはどういう風に使う物だろう?)

 興味津々で売られている物や行き交う人々を観察していた彼だったが、少しして足を止めた。


(ちょっと喉が渇いたな……。ちょうど良い、あれを買おう)

 複数の果物が山積みされている露店の前で、ナジェークはポケットから革袋を取り出した。そして店の主に声をかける。

「すみません、これは一つで売って貰える物ですか?」

 片手で持てる大きさの柑橘類の山を指さしながら彼が尋ねると、初老の男性は笑顔で頷いた。


「ああ、バラ売りをしているよ。一個欲しいのかい?」

「はい。これでお願いします」

「……え? 金貨?」

 ナジェークが全く躊躇わず、袋の中から金貨を一枚取り出して差し出すと、相手の男は笑顔を消して困惑の表情になった。そして金貨を受け取って貰えないことで、ナジェークも困惑しながら再度声をかける。


「どうかしましたか? 本物ですよ?」

 すると店主が、申し訳なさそうに言い出す。

「いや、その金貨が偽金だと疑っているわけじゃなくて……。坊や。悪いが、他の細かいお金は持っていないかな?」

「銀貨や銅貨の事ですか? 持っていませんけど」

「それは困ったな……」

(どうして困るんだ? 果物一つの代金なら、金貨で確実に買える筈なのに)

 益々困ったような店主を見てナジェークの疑問は深まる一方だったが、金貨を使えない理由を問い質そうとした時、背後から甲高い声が発せられた。

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