(26)自称《悪役令嬢》の暗躍

 クレランス学園が長期休暇に突入し、エセリアがシェーグレン公爵邸に帰って数日後。彼女が自室で寛いでいると、兄から呼び出しがかかった。

「お兄様。お呼びとの事ですが、どうかしましたか? まあ! イズファイン様、いらっしゃいませ。お久しぶりです」

 ルーナを引き連れて彼女が応接室の一つに出向くと、兄と一緒にテーブルを囲んでいる人物の姿を認めて、すぐに納得した。


「ああ、偶には一緒に、話でもどうかと思ったものだから」

「エセリア殿、お久しぶりです」

 そして互いに挨拶を交わしてから、ナジェークは自分付きの侍女とルーナに声をかける。


「君達、呼ぶまで下がっていてくれて構わないよ?」

「畏まりました」

「失礼します」

 そこで体よく邪魔者を追い払った兄に、エセリアは笑いを堪えながら尋ねる。


「あら、人払いなどして、何事ですの?」

「分かっているだろう? 困った王子様と、身の程知らずのお嬢様の話をしようと思ってね」

「何かありましたか?」

 対するナジェークも人の悪い笑みを浮かべると、それとは対照的に、イズファインが渋面になって語り出した。


「もはや、昨年からの恒例行事と化していますが……。長期休暇毎に単なる一生徒を王家の馬車に同乗させている某殿下の振る舞いが、近衛騎士団の末端で噂になっているんですよ」

「……やはり、今回の休暇でもそうでしたか」

 もう溜め息しか出ないエセリアだったが、そんな彼女にイズファインが説明した。


「取り敢えずクロード達に協力して貰って、『王太子殿下が馬車に女生徒を同乗させて送迎している事を、エセリア様は黙認している。それは相手が、取るに足らない相手だと認識しているからだ。だが万が一事が公になって、『これが明るみに出たのは、エセリア様がその格下にも程がある彼女を敵視しているからだ』などと不名誉な噂が立った場合、プライドを傷付けられた彼女が、噂の出所を徹底的に探って制裁しかねない』との噂を、近衛騎士団内に流しておきました」

「お前が淑女の顔の裏で、相当苛烈な性格をしているとさり気なく吹き込んでいるそうだし、好き好んで我が身を危うくしたいと思う近衛騎士は、そうそういないだろうね」

 もう完全に面白がっているとしか思えない兄の物言いに、エセリアは文句を言いたいのを堪えながら、イズファインに礼を述べた。


「若干引っかかる箇所はありましたが、ありがとうございます、イズファイン様。それなら当面、近衛騎士団内で、問題が表面化する事は無さそうですね」

「ええ、何とか大丈夫だとは思います。それでサビーネからは時々手紙を貰ってはいますが、学園内での現状をエセリア嬢から直にお伺いしたくて、今日こちらに出向いたのです」

 それを聞いて納得したエセリアは、即座に真剣な表情で頷いた。


「サビーネがどの程度お知らせしているかは分かりませんが、この間の事を一通りご説明しますわ」

 それから彼女はここ暫くの間に持ち上がった騒ぎと、それをどうやって抑え込み、または隠蔽したかを語って聞かせると、男二人は揃って何とも言い難い表情になった。


「なるほど……、さすがに卒業まで一年を切っていますから、殿下もはっきりと婚約破棄に向けて動き出したという事ですね……」

「そして集めている証拠とやらが、全てエセリアが準備した偽物と言うのが、笑い話にしかならないがな。しかしその子爵令嬢の、厚顔無恥さには恐れ入る。殿下や恩人まで騙して、平気でいるとは」

「話を聞く限り、そうとしか言えないな」

 そんなやり取りを聞いたエセリアは、少し考え込みながら意見を述べた。


「もしかしたら彼女には、嘘をついているという自覚が、全く無いのでは無いかしら?」

「え? そんなまさか……」

「エセリア、どういう意味だい?」

 二人から困惑した視線を向けられた彼女は、少々自信なさげに導き出した推論を口にする。


「本のヒロインになり切っていて、自分が虐められるのは当然、そして反撃の証拠が集まるのは当然、最後は悪役を成敗してハッピーエンドを迎えるのが当然と思っているから、周りの人間にとっては嘘でも、彼女にとっては真実でしかありえないのかと」

「……申し訳ありません。全く理解できません」

「同感だ。有り得ないだろう。腹立たしいのを通り越して、気味が悪いぞ」

 彼らがどちらも盛大に顔を顰めると、エセリアがイズファインに申し出た。


「取り敢えずイズファイン様には、引き続き近衛騎士団内での噂のコントロールをお願いします。それに加えて卒業式前後から、改めてお願いする事が増えると思いますが」

「分かりました。留意しておきましょう。クロードを初めとして、騎士科出身の同期中にはあなたの信奉者が多いので、きっとお役に立てますよ」

「宜しくお願いします。お兄様も例の裏工作の方を、引き続きお願いします」

「ああ、任された。少しずつだが着実に、王太子派の貴族から有力や有能な貴族の離反を進めているよ。相変わらず数は多いが、来年までには数だけにできそうだ」

「くれぐれも、婚約破棄になる前に表沙汰にならないように、注意して下さいね?」

 そんな風に今後の方針を確認した三人は、それからは楽しげに世間話に花を咲かせた。



 例え学生であったとしても、貴族の、特に上級貴族の家に生まれた以上、社交活動を全く免除される訳でもなく、エセリアは短期の休みの時にも時折参加していたが、長期休暇ともなれば各種夜会や茶会への招待が、引きも切らない状態であった。

 その日も、某公爵家の夜会に招待されていたエセリアは、同様に招待を受けたグラディクトと共に出向く為、彼を一階の正面玄関ロビーで待ち受けていた。


「いらっしゃいませ、グラディクト殿下」

「今夜はエセリアを、宜しくお願いします」

「ああ。公爵、公爵夫人、出迎えご苦労。それではエセリア、行くぞ」

「はい。お父様、お母様、行ってまいります」

 エセリアと同様に出迎えた公爵夫妻には、一応礼儀正しく頭を下げたグラディクトだったが、二人で馬車に乗り込むなり、不機嫌そうに顔を背けて黙り込む。それを見たエセリアは、笑い出したいのを堪えた。


(あらあら、一応両親の前では外面を取り繕っていたのに、馬車に乗った途端、この仏頂面。本当に癇癪持ちのお子様よね。まあ、そっちの方が気が楽だけど。無理に話題を捻り出す必要も無いし)

 そして顔が緩むのを隠す為に、グラディクトから視線を逸らし、暗くて殆ど見えない窓の外を見ているふりをしていると、向かい側から地を這うような声が伝わってきた。


「……相変わらず、自分本位の女だな」

 それにエセリアが、わざとらしく問い返す。

「殿下? 今、何か仰いましたか?」

「お前は、自分が一番でないと気が済まない女だと言ったんだ」

「現に一番ですもの。あ、ただし王妃様を除けばの話ですけれど」

 どうやら自分が先に無視していたものの、エセリアがグラディクトをあからさまに無視していたのが気に障ったらしいと推測した彼女は、更に神経を逆撫でするように「おほほほほ」と高笑いしてみせた。すると途端に彼が激高する。


「どこまで傲慢な女だ!」

「その傲慢な女を婚約者にしている事で、辛うじて王太子の座におられる方の言動としては、些か配慮に欠ける物言いではございませんか?」

「何だと?」

「殿下にもご理解できるように言い換えますと、身の程を弁えろ、と言う事ですわ」

 そこまで馬鹿にされたグラディクトは、当然の如く激怒した。


「ふざけるな!! 身の程を弁えるのは貴様の方だろうが!? 今の暴言、父上と王妃に報告してやる!」

「どうぞご自由になさって下さいませ」

「何だと?」

「私、王家の方を含めて周囲の皆様には、品行方正で優秀な、非の打ちどころのない令嬢と目されておりますの。私の主張と殿下の主張、どちらが真実であると認識して頂けるのかは、一目瞭然かと。ですがご自分の評価にかなりの自信がおありなら、報告しても構いませんのよ? ご自分の評価を更に落とす事になるだけかと思いますが、私の関知する所ではございません」

 余裕綽々で応じたエセリアに、アリステアの事も含めて自分の不利を悟ったグラディクトは、忌々しげに彼女を睨み付けた。


「この……、恥知らずが……」

「まあ! 何て斬新な褒め言葉でしょう! 私をそんな言葉で評するのは、世間広しと言えども殿下位のものですわね」

「覚えていろ! きっと貴様の化けの皮を剥いでやるからな!!」

 そんな負け惜しみにも、エセリアは平然と言い返した。


「私が化けの皮を被っているのなら、殿下はキラキラしたメッキを纏っておいでですわね。これ以上剥がれ落ちない様に、ご注意なさいませ」

「…………っ!!」

 容赦の無い事を口にしてにこやかに微笑んでいる婚約者に、グラディクトは言い返す言葉を持たぬまま、殺意に近い感情を覚えた。


(高笑いしているのも今のうちだ!! 卒業までに貴様の悪行の証拠を集めるだけ集めて、断罪してやる! そうすれば円満に、婚約は解消できるからな。いや、この女に思い知らせる為に、盛大にこちらから婚約破棄してやる!!)

 そんな憎悪に満ちた視線をエセリアは笑って受け流しつつ、少々ずれた事を考え込んでいた。


(悪役令嬢の演技も、結構疲れるわね。殿下相手の陰険漫才だと特に。サビーネ達との悪役令嬢ごっこだと、ノリノリで楽しいんだけど……)

 益々険悪になっていく二人ではあったが、他者の前に出た時は己の立場をしっかりと弁え、きちんと婚約者同士に相応しい振る舞いを続けていた。

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