(22)心温まる賭け

 レスターの家で騒動が勃発した翌朝。シレイアが教室のドアの前に立つと、室内の喧騒が伝わってくる。それに幾分うんざりしながら、シレイアはドアを開けて挨拶した。

「おはよう」

 その声に反応して、人垣の中心にいたエマが勢い良く振り向きながら声をかけてくる。


「あ、来た来たシレイア! 昨日の話を、あなたからも説明してあげてよ! 皆、信じてくれないのよ!?」

「ああ……、レスターのことね……」

「レスター? あいつがどうかしたのか?」

 予想通りの展開に、シレイアは遠い目をした。同行してきたローダスが怪訝な顔になったが、それは無視してシレイアは人垣に歩み寄る。それから彼女はエマの話を補足するべく、順序立てて昨日の出来事を説明した。


「そういうわけで、レスターの前払い分のお給金を、私の家で預かっているの。レスターが家に戻った時点で、お返しすることになっているわ」

 シレイアがそう話を締めくくると、周囲から溜め息が漏れた。


「それじゃあ、本当に本当の話なのね……」

「いや、悪い。エマを信じていないわけじゃなかったが」

「でも、あのレスターが公爵家勤めになったなんて、とても納得できなくてさ」

「私だってそうよ。エマの頭がおかしくなったのかと思ったわ」

「皆、酷いわね。確かに私もその話を聞いた時、とても信じられなかったけど」

 皆が思い思いの感想を口にする中、ローダスは何やら難しい顔で考え込んでいた。


「シェーグレン公爵家か……」

 妙にその表情が気になったシレイアは、ローダスに尋ねてみる。

「ローダス。何か言いたげだけど、どうかしたの?」

「その、レスターの善行を目撃したってご令嬢は、例のエセリア様なのか?」

「ううん、コーネリア様よ」

「……やけにきっぱり断言するんだな」

 明らかに不審そうな目を向けられて、シレイアは僅かに狼狽した。


「え、ええっと、レスターの家に来た執事さんが、そう言っていたわよ? 確か」

「ふぅうん? お前が昨日エマを尋ねた事も、そんな騒ぎに巻き込まれてお金を預かる羽目になった事も知らなかったけど。その左手の怪我をしたのも、昨日修学場から帰った後だよな? 今朝、顔を合わせるまで知らなかったし」

「そうだけど……、それが何?」

「まさか、その怪我にレスターが、何か関わっているっていう事はないよな?」

 いきなり核心を突かれたシレイアは、内心の動揺をなんとか押し隠しながら引き攣った笑みを浮かべた。


「ローダスったら、いきなり何を言い出すのよ? 関係なんて、あるわけないじゃない! 考え過ぎよ!」

「まあ普通に考えれば、その通りなんだけどな」

(ローダスったら、今日は妙に勘が鋭くてヒヤヒヤする。うっかり変な事を言えないわ。さっさと話題が変わらないかしら)

 まだ何となく釈然としない表情のローダスを横目で見ながら、シレイアは冷や汗を流した。すると彼女の願いを神が聞き届けたのか、微妙に話題が変わる。


「あ、そういえばシレイア」

「何?」

「シレイアが帰った後で、通りの皆で賭けをすることになったのよ」

 呼びかけてきたエマの説明に、シレイアは首を傾げた。


「賭け? 何に対する?」

「レスターが今後半年の間にいつ逃げ帰って来るか、もしくはシェーグレン公爵家をクビになるかっていう賭けよ」

 それを聞いたシレイアは、即座に眉根を寄せる。

「それはちょっと、悪趣味過ぎない?」

「シレイア、誤解しないで。これは私達流の願掛けだから」

「願掛け?」

 怪訝な顔になったシレイアに、エマは詳細について説明した。


「だって、いきなり公爵家のお屋敷勤めよ? 執事見習いよ? そんな経験者、身近にいないもの。誰も助言したりできないし、どんな仕事かさえ想像できないわ」

「それは確かに、そうよね……」

「シレイアが帰った後、大人達が冷静になって『本当にあのレスターが、半年頑張れるんだろうか』と、かなり心配になってしまったのよ。それで『スカールが給金に手を付けずに祈りを捧げると言っているんだから、俺達もレスターが無事に勤め上げられるように願掛けとして賭けをしよう』って話になったの」

「ちょっと待って、エマ。意味が分からない。レスターがいつクビになるかの賭けが、どうしてレスターが無事に勤め上げるための願掛けになるわけ?」

「レスターが半年経過する前に戻ってきたら、その日に一番近い日に賭けた人に掛金が全額渡るわ。でも無事に半年経過したら全額アニタさんに進呈して、それで盛大に通りの人達全員でレスターの就職祝いをする算段なのよ」

 それを聞いたシレイアは、通りの者達がレスターが無事に半年勤め上げるのを祈願した上での賭けなのだと納得した。


「ああ、なるほど……。そういう事なのね。皆さん、優しい人ばかりなのね」

「万が一、半年になる前にすごすご帰ってきたら、賭けた日に一番近い人だけが掛金を全額貰った上で、レスターに制裁を加える事で一致したの。因みに私は1週間後に賭けたわ。でも本当にレスターが1週間で帰って来てしまったら、一発殴っても良いわよね?」

 エマから大真面目にそんな事を問われたシレイアは、彼女に負けず劣らずの真顔で深く頷く。


「エマ。エマや皆さんの心遣いを無にする馬鹿は、一発だけじゃなくて十発くらい殴っても良いと思うわ。勿論、手加減なしでね」

「そうよね!? シレイアなら、そう言ってくれると思ってたわ!」

 嬉々として手を握り合うエマとシレイアから少し離れた所で、男子たちが顔を寄せて囁き合った。


「シレイア、容赦ないな」

「それにエマ、本当にやるぞ」

「レスターの奴、まさか本当に早々に逃げ帰ってこないだろうな?」

 そこでマルケスが教室に入りながら、生徒達に向かって呼びかけた。


「皆、そろそろ授業を始めるぞ! 騒いでいないで、席に着いてくれ!」

「はい」

 慌てて時刻を確認しながら、生徒達は自分の席に着いた。するとマルケスは、空席になっているレスターの席に一瞬視線を向けてから、生徒達に語りかける。


「皆も既に知っていると思うが、レスターは急遽、修学場での学習を終了する事になった。きちんと挨拶もできずに申し訳ないと、ご両親が朝からこちらに出向いて謝っておられた。だが、レスターの進む道が見つかったことは、とても喜ばしい事だ。皆も祝福してあげてくれ」

「はい!」

「勿論です!」

「本当に良かったわね!」

「でも、やっぱり最後は、皆できちんとお別れをしたかったわね」

 祝福の言葉に、残念そうな言葉が混ざっているのを耳にしたマルケスは、笑顔で提案する。


「毎年、修学場の学習期間が終わる時に説明しているが、卒業後に同じクラスだった生徒達が集まるのに、教室を無料で貸しているんだ。皆も修学場での学習期間を終えて生活が落ち着いたころに、レスターも含めて集まらないか?」

 それを聞いた生徒達が、嬉々としてその話に食いつく。


「そういうことをしているんですか!?」

「是非、そうしたいです!!」

「あ、じゃあ取りまとめ役は、ローダスかシレイアで!」

「二人とも、お願い!!」

「お前達、勝手に話を進めるなよ……」

「でも、まあ……、仕方ないんじゃない?」

「そうだな。やるか」

 周囲から口々に指名されてしまったローダスとシレイアは、苦笑しながらも生徒達の取りまとめ役を引き受けることにした。

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