(7)ナジェークの思惑

 シェーグレン公爵家では長女のコーネリアは既に嫁ぎ、次女のエセリアは現在クレランス学園で寮生活を送っており、食事時に顔を合わせるのは公爵夫妻と一人息子のナジェークのみだった。しかしクレランス学園卒業と同時に官吏として王宮の財務局で勤務し始めた彼は、このところ帰宅時間が不規則であり、その日の夕食の席で十数日ぶりに三人が顔を揃えた。


「ナジェーク、仕事の方は順調なの?」

 久しぶりに三人揃っただけで嬉しいのかミレディアがどこか機嫌良く尋ねてくると、ナジェークも笑顔で応じる。


「仕事には随分慣れたとは思いますが、まだまだ覚える事が山積みです。新人ですから、他の先輩方の倍は働かないといけませんし」

「そういうものなの? 大臣とかならお忙しそうだけど、責任のある役職に就く前はそれほど煩わしくないのかと思っていたのだけれど」

 おっとりとした口調で不思議そうに首を傾げた彼女に、ナジェークはやや脱力しながら言葉を返した。


「母上……。確かに官位が上がる毎に責任は増しますが、下級官吏だからといってのんびり仕事をしているわけではありませんから」

「あら、それは大変そうね」

「確かにそうだな。それに上級貴族の子弟が官吏に就任するのは珍しいし、そういう意味での軋轢は無いのか?」

 妻の物言いに苦笑しながら問いかけてきたディグレスに、ナジェークは落ち着き払って答えた。


「全く無いと言えば嘘になりますが、大して気にしてはいません。他人の失敗をあげつらう事しかできない者は、どのみち誰かに足元を掬われるものです」

 息子の発言を聞いたディグレスは、安堵してから話題を変えた。


「お前は相変わらずだな。それなりに仕事に邁進しているみたいで、取り敢えず安心したよ。それで、領地運営の方はどうする? 以前から少しずつ携わって貰っているが、官吏としての仕事が軌道に乗るまで、そちらに専念した方が良いかと思うのだが」

「そうですね……、そのようにして貰えますか? 一年以内に目処を付けて、領地運営の諸々についての引き継ぎを進めようかと思います」

「分かった。側近や管理官の人選を、お前なりに考えておきなさい。現状維持をするにしても、年配者から若い者への引き継ぎが必要な場合がある」

「はい、分かりました」

 ディグレスの話はナジェーク自身も前々から考えていた内容であり、彼は素直に頷いた。すると今度はミレディアが話題を変えてくる。


「ところでナジェーク。あなたは自分の結婚について、どう考えているの?」

 それを聞いた瞬間、ナジェークは(やはり来たか)と内心で緊張しつつも、傍目には平然と答えた。

「結婚ですか? 今お話ししたように、現時点では仕事に慣れる事が最優先なので、考える暇はありませんね」

「そうでしょうね。皆さんにはそう言って、お断りしておくわ」

 あっさりと納得されてナジェークは少々拍子抜けしたが、注意深く先程の台詞の内容について確認を入れた。


「母上。周囲の方から私の結婚について、何か言われているのですか?」

 するとミレディアは多少憂鬱そうな表情になりながら、彼の予想範囲内であった事柄を語り出した。


「最近、各種の催し物に参加すると、参加者からあなたの結婚相手がまだ決まっていないかどうかを尋ねられて、決まっていないと答えると、あちこちのお嬢さんを勧められるのよ。娘を同伴した母親に、しつこく言い寄られる事もあってね。正直、鬱陶しくて堪らないわ」

「私の事で、ご迷惑おかけしています。母上のお付き合いにも、支障が出ているみたいですね」

 これまでその事にわざわざ言及していなかったのは、自分のところで話を止めていたのだろうと察したナジェークは、母に素直に頭を下げた。すると先程溜め息を吐いたミレディアは、苦笑いしながら応じる。


「それは構わないわ。前々からあなたはこうと決めたら譲らない性格だし、結婚相手は自分で決めるとも言っていたもの。だから私相手に売り込んでも仕方がないのに、幾らそう説明しても理解できない頭の悪い方々と、お付き合いするなんて御免だわ」

「まあ確かに、賢いとは言えないかもしれないな」

 ディグレスは妻の考えに賛同してから、笑顔のまま息子に視線を向けた。


「お前にはお前なりの考えがあるだろうし、結婚相手は自分で納得できる相手を選びなさい。紹介して貰える日を、楽しみに待っているよ」

「ありがとうございます。五年はお待たせしないと思います」

「ほほう?」

「あら……、楽しみね」

(父上と母上自身、夜会での出会いが結婚に繋がった人達だから、結婚に関して寛容な考え方で助かっているな。面倒なのは彼女の方か)

 ある意味貴族らしくない、理解のある両親に感謝しながら、ナジェークは笑顔で夕食を食べ終えて自室に引き上げた。それから自分の机で昼のうちに届けられていた文書や封書の確認を始めたが、ある物を取り上げて無意識に渋面になる。


「これは……。ああ、ガロア侯爵家に潜り込ませている者からの報告か」

 早速開封して中身を確認し始めたナジェークだったが、従来の報告書と大して変わらない内容であり、すぐに机上に戻した。

「あの兄夫婦は相変わらずだな。ガロア侯爵夫妻は、うちとは違う意味で寛容らしい。それに……」

 そんな独り言を呟きながら友人からの封書の中身に目を走らせたナジェークは、その端麗な顔に人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべる。


「入団早々、折れた剣を渡そうとするとは恐れ入った。それに引き続き、随分とちまちました嫌がらせを……。他隊所属のイズファインの耳にも入る位だから、実際には表に出ていない事もあるだろうが、小者ぶりが知れるというものだ」

 懸念と警戒を含んだイズファインからの手紙を元通り封筒に入れながら、ナジェークは早速考えを巡らせる。


「ライール男爵家……。念の為、アルトーに調べさせておくか」

 即決したナジェークはそれで意識を切り替え、他に考えなければならない事に集中していった。

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