(3)落差

 ナジェークから、隠し部屋がある倉庫の鍵を貰った翌日。早速カテリーナは放課後に一人になってから、第二教授棟に出向いた。


「さてと……、誰も居ないわね」

 廊下に自分以外の姿はない事を確認しつつ、カテリーナは素早く合鍵を差し込んでドアを開け、倉庫の中に入り込んだ。そして内側から鍵をかけて、安堵しながら壁際の本棚へと進む。

「よっ……、と」

 結構力を必要とするかもしれないと懸念していた彼女だったが、滑りやすくする機能も付随していたのか本棚は比較的容易に移動し、散らかっていた隠し部屋の内部が明らかになった。


「やあ、カテリーナ」

 床の半分以上のスペースに何やら図面らしき物を広げ、四つん這い状態でそれを見ていたらしいナジェークが、明るくカテリーナに声をかけてきた。対する彼女は、僅かに顔を引き攣らせながら入り口をくぐり、問いを発する。


「……どうも。あなたは一体、何をしているの?」

「この学園創設時の、校舎の設計図を精査しているんだ。図書室の資料室に埋もれていた物を探し出してね。司書の了解を貰って、持ち出させて貰った」

「あなた、事務係官だけではなくて、司書の方まで丸め込んでいるのね……。それはともかく、どうしてそんな事を?」

「こんな隠し部屋を見付けてしまったからね。ここの学舎は全て、設立当時、設計の第一人者だったマスカーニ氏の手による物で、彼は遊び心満載の建築物を多数残している。となると、ここの他にも何か隠してあるとは思わないか?」

「そんな、あるかないかも分からない物を、探していると言うの?」

 本気で呆れた顔になった彼女に、ナジェークは笑みを深めた。


「おかしいかい? 推理と宝探しが同時に楽しめるなんて、これ以上楽しい事は無いと思うが。そういう場所を素直に設計図に残す筈は無いけど、早速怪しい箇所を幾つか発見できたし。時代を越えて、マスカーニ氏と勝負をしている気分だよ」

「酔狂にも程があるわよ」

(本当に変な人。抜け目も隙も無い人かと思ったら、妙に子供っぽいところもあるのね)

 カテリーナは呆れ果てた口調で断言したが、彼は特に気を悪くした風情など見せず、それどころか鼻歌まじりで再び設計図に見入りながら、時折持参した紙に何かを書き込み始めた。カテリーナはそれを少しの間不思議そうに眺めてから、声をかけてみる。


「ねえ、ちょっと聞きたい事があるのだけど」

「構わないよ。何だい?」

 すぐに顔を上げて応じたナジェークに、彼女は真顔で疑問を口にした。


「あなた、イズファインに例の手紙を渡す時に、『果たし状みたいな物』とか言ったと言うのは本当?」

「ああ、確かにそんな事を言ったね」

「どうして決闘の申し込みでも無いのに、そんな言い方をしたの?」

「要するに、文字通りの真剣勝負とはいかないが、本音で相対するつもりだったしね。君が頭がガチガチの堅物で、部屋の無断使用なんてとんでもないと言い出す可能性もあったから。運命共同体なんてごめんだと、はねつけられる可能性もあっただろう?」

「『運命共同体』って何?」

「ここの事がバレたら、現に利用している君も、僕と同罪だと思うけど?」

「……ああ、それもそうね」

 微妙にひっかかりを覚えたカテリーナだったが、取り敢えず彼の説明に納得した。すると今度は、ナジェークが尋ねてくる。


「本当に君は変わっているから、見ていて飽きないな。いきなり夜会に男装して現れるし。その理由を聞いても良いかい?」

「単に物珍しい格好で、その場の話題をさらいたかっただけよ」

 素っ気なく用意しておいた理由を口にしたカテリーナだったが、ナジェークはあっさりそれを否定した。


「それは違うな」

「どうしてそう思うの?」

「自分に持ち上がっている縁談を回避する為に正面からでは無く、そんな搦め手を使うとはね。君は本当に頭が良いし、度胸もあるな」

「だから、何の事かしら?」

「自分よりもご婦人方の耳目を引いてしまう女性と並んだら、自分が見劣りすると感じて忌避するような小人とは、確かに結婚しない方が良いだろうね。君は本当の意味で誇り高い。自分自身を認め、その存在を高めてくれる相手なら、例え他人から勧められた縁談相手でも結婚すると思うが。察するに君の兄夫婦とやらは、余程人を見る目が無いらしい」

(この人……。どうして私の縁談を調えているのが、両親では無くて兄達だと知っているの? イズファインだって、そんな内々の事までは知らない筈なのに)

 淡々と告げられた内容にカテリーナは少々動揺したものの、それを面には出さずに冷静に言い返した。


「誰が何をどう感じようが、それはその方の自由だわ。私の責任では無いわよ」

「それはそうだろうね。でも漏れ聞くところでは男装などはしたないと陰口を叩かれたりもせず、それどころかかなりの美男子ぶりで話題沸騰だったらしいけど、ご婦人方相手にどんな事をしたんだい? どちらかと言うと、そちらの方が気になっていてね。だけど教室ではこんな事は聞けないし」

(腹が立つわね。完全に面白がっているし。まあ、話題になるように行動した自覚はあるから、文句を付けるつもりは無いけど)

 おかしそうに笑っているナジェークに内心で苛つきながら、カテリーナは素っ気なく答えた。


「別に、大した事はしていないわ。会話や立ち居振る舞いを、マール・ハナー著シリーズ《陰影の貴公子編》の登場人物、ハロルドを参考にしただけよ」

「…………え?」

 そこでナジェークが瞬時に笑みを消し、それどころか盛大に顔を引き攣らせた為、カテリーナは怪訝な顔で言葉を継いだ。 


「何? その反応は? だって《暁の王子編》とか《信義の聖騎士編》とか《苦悩の神の使徒編》とか《不屈の商人魂編》では、あからさまに女性を口説いたりするシーンは無いし。あれで書かれているハロルドは、すれ違うごとに女性を口説き落としていると言っても過言では無い、外面が完璧な謀略家の女たらしなんだもの。あ、そもそもあなたは男だし、《クリスタル・ラビリンス》シリーズを知らないのかしら? それなら、何を言っているのか分からないわよね」

 一人で納得したカテリーナだったが、ナジェークは恐る恐ると言った風情で問いかけてきた。


「その……、君はマール・ハナー作品の愛読者なのか?」

「《クリスタル・ラビリンス》シリーズや《シャイニング・スター》シリーズは持っているけど。それが何か?」

「その……、因みに《紅の乱舞》を読んだ事は……」

「あら、知らなかったわ。そんな作品もあるの? 今度読んでみようかしら」

 何気なくそう口にしたカテリーナだったが、それを聞いた彼の反応は激烈だった。


「いやいやいや、絶対読まなくて良いから!! 大して面白くないから!! 近来稀にみる駄作だから!! 目が腐るから!!」

 必死の形相で、両手を振りつつ訴えてくる彼に、カテリーナは疑念の目を向けた。


「……随分な言いようね。それにあなた、それを読んだ事があるの? どうしてそこまで断言できるのよ?」

「そんな事より! それらの作品を誰が書いているのか、君は知っているのか!?」

「だからマール・ハナーと言う人でしょう? さっきから一人で興奮して、何を言っているの?」

 本気で呆れた彼女を見て、ナジェークは安堵したように盛大に溜め息を吐いてから、俯いてぼそぼそと独り言を呟く。


「そう……、そうだよな。あれの作者が誰かは、うちとごくごく親しい貴族の家の者しか知らない筈だし……、芋づる式にあれのモデルが誰かなんて、分かる筈も無いよな……。落ち着け。動揺するな、ナジェーク」

(万事卒がない人かと思えば、何だか訳の分からない事であんなに動揺しているし、何を考えているのか本当に良く分からない人ね)

 何を言っているのか分からない挙動不審な彼を、カテリーナは少しの間眺めてから、持参した本を開いてそれに目を通し始めた。

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