(13)とある急報

 領地での生活を満喫し、そろそろ王都に戻ろうかと考えていたカテリーナのもとに、両親がこちらに向かっているとの予想外の知らせが届いた。勿論、館を預かるジュールにも寝耳に水の話であり二人で首を傾げたが、とにかく彼女は荷造りを中断して両親を待ち受ける事となった。


「カテリーナ、ジュール、元気にしていたか?」

「はい、お父様。のんびりさせて貰っています」

「それにしても今は社交シーズンの真っ最中でしょうに、この時期に母上と共にこちらに出向いて来るのは珍しいですね」

 まず挨拶をしたカテリーナに続きジュールが不思議そうに尋ねると、ジェフリーとイーリスが僅かに不愉快そうに顔を歪めた。


「エリーゼが出産後、気鬱の病らしくてね。暫くは気を遣う私達が王都の屋敷を留守にしていた方が、彼女が心穏やかに過ごせると思ったのよ」

「気鬱……。そうなのですか? 確かに出発前にご挨拶した時は、多少様子が変でしたが……」

「まあ、それは表向きの口実で、本当はダトラール侯爵が煩くてな」

「はい?」

「どういう事ですか?」

 父親の台詞に兄妹揃って怪訝な顔をすると、イーリスが二人に向かって問いかけた。


「二人とも、アーロン殿下の母君であるレナーテ様のご実家を、知っているわよね?」

「ええ、勿論です。ネクサス伯爵家ですが、それが何か?」

「そのネクサス伯爵夫人が、現ダトラール侯爵の妹に当たる方で、昨年急な病でお亡くなりになった事は?」

「何かの折りに、話だけは聞いたかと思いますが……」

「さすがに知りませんでしたが……」

 自信なさげに応じた息子と娘に対して、イーリスが淡々と話を続ける。


「それで最近ネクサス伯爵が、某子爵令嬢との再婚を考えていらっしゃる事は?」

「そこまでは存じませんでしたが……、あの、お母様? 先程から全く、話の筋が見えないのですが……」

 本気でカテリーナが戸惑った声をあげたところで、ジェフリーが忌々しげに説明を加える。


「いくらグラディクト殿下を引きずり下ろしてアーロン殿下を王太子に据えても、肝心のネクサス伯爵との繋がりが切れてしまっては、貴族社会での影響力を保てなくなり元も子もない。それでダトラール侯爵はネクサス伯爵に、後添いは自分達の縁戚の者にするか、そうでなければ夫人との間に生まれた子供に爵位を譲れと迫ったそうだ」

 それを聞いたジュールとカテリーナは、揃って驚きの声を上げた。


「はぁ? 何ですか、その非常識な話は? 他家の内輪の話に介入するなど、ありえないでしょう」

「え? ちょっと待ってください。『ダトラール侯爵が煩い』と言うのは、まさかネクサス伯爵に翻意を促すように、お父様とお母様に要請をしてきたとか仰いませんよね?」

「まさにその通りだ」

「…………」

 仏頂面で信じられない可能性を肯定されてしまった二人は、ひたすら唖然として言葉を失った。子供達のその様子を見たイーリスが、溜め息を吐いてから話を続ける。


「私達も、呆れて物が言えませんでした。ネクサス伯爵が周囲にその意を表明したのが、半月程前らしいのだけど。それ以後エリーゼの見舞いと称して、連日のようにダトラール侯爵家の方が入れ替わり立ち替わり我が家を訪れては、その話ばかりで」

「どうやら家族で手分けして、有力貴族や親戚に働きかけを行っているらしいな。そんな愚行を咎めるものが、身内の中に一人も居ないのか。誠に嘆かわしい限りだ」

 そこでカテリーナより先に気を取り直したジュールが、控え目に尋ねてみた。


「ですが……、当のネクサス伯爵のご意向はどうなのですか?」

「散々周囲で煩く言われて、余計に意地になったかもしれん。予定通り子爵家の娘と再婚する腹積もりらしい」

「進んでご当主の心証を、悪くしなくても良いでしょうに……」

 カテリーナが思わず口を挟むと、ジェフリーが深く頷いて同意する。


「ああ、全くだ。漏れ聞くところでは、今回の騒動でネクサス伯爵は大層腹を立て、前妻が生んだ子供は廃嫡し、これから結婚する女性から生まれた子供を跡取りにしようとすら考えているらしい」

「本当に迷惑な方々ですね……」

 うんざりした呟きをカテリーナが漏らすと、ここで気分一新と言わんばかりにイーリスが明るい口調で宣言した。


「そういうわけですから、私達も暫くこちらでのんびりするつもりよ。今後の予定は暫くの間、全て丁重にお断りしてきましたしね」

「分かりました。どうぞごゆっくり」

「カテリーナ。この機会にじっくり鍛えてやるからな」

「それは楽しみです、お父様」

 そこで親子四人もの笑顔になり、ここ暫くの近況を互いに話し合って盛り上がった。


(王都に戻ったら夜会や茶会三昧だと覚悟していたから、全て無くなるなんて嬉し過ぎるわ。お父様達がいるから、ナジェークとは出歩けなくなるのは残念だけど。さすがにお父様達なら、ナジェークの顔を何かの折りに見知っているでしょうから)

 最初の頃は機嫌よく、予想外の幸運を喜んでいたカテリーナだったが、ふとある事に思い至った。


(まさかネクサス伯爵の再婚騒動まで、ナジェークが絡んでいないでしょうね? 我が家とアーロン殿下の中核を成すダトラール侯爵家との縁を切れなければ、いっそのことダトラール侯爵家とネクサス伯爵家の仲を裂いてしまえばアーロン派の中で大きな顔ができないし、我が家への影響力が弱まる事はあっても、強まる事は無いと踏んで……。まさかね)

 彼女は脳裏に浮かんだ、ある怖い可能性についてこれ以上深く考えない事にし、それからは家族との会話に集中した。



 その日、いつも通り店内で商売の采配を振るっていたデリシュは、従業員の一人からとある報告を受けると、少しの間その場を離れる旨を周りの者に告げて建物の奥へ向かった。

「ナジェーク様。ガロア侯爵夫妻が、館に入ったそうです。私は明日にでも表敬訪問に伺いますが、ナジェーク様はどうしますか?」

 少し前からナジェークは支店内の一部屋を間借りしており、そこにデリシュが足を踏み入れながら尋ねると、備え付けの机に向かって何やら書き物をしていたこの部屋の暫定的な主が振り返り、苦笑いで応じる。


「交流は無くても、ガロア侯爵夫妻とは面識があるからね。以前何かの折りに、紹介された事がある」

「それなら無理ですね」

「ああ。クオール・ワーレスは王都に戻るよ。それにしても、今回はワーレス商会の出入り先が多くて助かった」

 薄笑いを浮かべながらナジェークが礼を述べると、デリシュも抜け目が無さそうな笑顔で応じる。


「納品に伺った先で使用人の方と世間話の一つもするのは、ごくごく自然な事ですよ」

「そうだな。某伯爵家の慶事は本当の事だし、特にご本人が隠し立てもしていないし」

「取るに足らない庶民同士が、勝手に憶測を口に出していても、それはあくまで根も葉もない噂に過ぎません。その裏も取らずに真に受ける方がおられたら、迂闊過ぎると言うものですね」

「確かにそうだな。事の真偽を見極められない者に、人の上に立つ資格は無い」

 そこでデリシュが真顔になり、唐突に話題を変えた。


「ところでナジェーク様。今回はグエンバル男爵へのご紹介、ありがとうございました。今度王都のお屋敷の方に、父が改めてお礼に伺うと言っていました」

「口を利く位、何でもないから。それで、あそこの家との例の香料の取引は、無事に成立しそうかな?」

「はい、お陰様で。これからも末長くお付き合いください」

「こちらこそ宜しく。エセリア共々、頼りにしているよ」

 再び笑顔になった二人は自然に右手を伸ばし、握手を交わしてからデリシュは店に戻り、ナジェークは早速王都へ戻る為の荷造りに取り掛かった。

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