(14)予想外の被害者

 自身の今後の目標が定まると同時に、親子の絆が深まった休日の翌朝。シレイアは常より早く起床し、両親に見送られて意気揚々と王宮に向かった。

 上機嫌のシレイアはそのままの勢いで執務棟内を進み、民政局が入る部屋のドアを開けつつ、声高らかに出勤の挨拶をする。


「おはようございます!」

「………………」

 しかし何故かそれに対する答えはなく、殆どの者はシレイアに視線を向けていたものの、室内が不気味に静まり返っていた。


(あら? 今日はなんだか、妙に静か……。まさか、誰かの身内に不幸があったとか? もしそうだったら、いつもより大声で挨拶してしまって顰蹙だったかも。迂闊だったわ。今後、気をつけないと)

 ある可能性に思い至ったシレイアは、内心で僅かに動揺した。そんな彼女に、落ち着き払った声がかけられる。


「シレイア……。すまないが、ちょっとこちらに来てくれ」

「はい、局長」

 民政局トップのベタニスの席に、シレイアは神妙に足を進めた。そして机の前に来ると、深々と一礼しながら謝罪の言葉を口にする。


「おはようございます、局長。誠に申し訳ありません、能天気に声を張り上げてしまいました。どなたの家でご不幸があったのでしょうか。気分を害されたでしょうし、業務に入る前に一言お詫びをしようと思います」

 それを聞いたベタニスは、一瞬当惑してから軽く首を振った。


「それは君の勘違いだ。確かに妙に室内が静まり返っているかもしれないが、誰かの家で不幸があったわけではない」

「そうでしたか。それは良かったです。ところで局長、何のご用でしょうか。例の計画書に関しては、期限前にきちんと提出できる目途が立っておりますが」

「ああ。それについては心配していない」

「それでは、他に何かありますか?」

 わざわざ朝一で呼び立てられる用件に心当たりがなかったシレイアは、本気で首を傾げた。するとベタニスが、僅かに顔を引き攣らせながら問いを発する。


「君は昨日一日、休暇だったな?」

「はい。確かに丸一日、休暇を頂きました。それが何か?」

「それにもかかわらず、君は午後に、私服で外交局に突撃したそうだな?」

 そこまで話を聞いて、シレイアは漸く上司が言わんとする内容に見当がついた。


「確かに私服で神聖な職場、しかも他部署に押しかけてしまいました。朝一番で反省文を提出します。誠に申し訳ありませんでした。以後は休暇中でも官吏執務棟に出入りする場合は、制服着用を心がけます」

 さすがに自分に非があると思ったシレイアは、殊勝に謝罪の言葉を述べつつ頭を下げた。しかしここでベタニスが、少々錯乱気味に声を張り上げる。


「私が言いたいのは、服装規定などではない!! どうして君の結婚話から、ローダス・キリングの移籍話に繋がるんだ!?」

「ああ、そのお話でしたか。それなら反省文は必要ありませんね。良かった」

 思わず笑顔になってシレイアは安堵したが、ベタニスは益々狼狽しながら彼女を叱りつけた。


「全然良くない! 第一、官吏の移籍話など聞いた事がないぞ!?」

「あ、やっぱりそうだったんですね。私も勢いで言った後、そういう前例ってあったかしらと疑問に思ったもので」

「君は聞いた事もない話を、結婚相手に強要したのか!?」

「その気が無かったり無理なら諦めてと言ったはずなので、強要ではないと思いますが……。それに、史上初の既婚女性官吏の夫になろうとするなら、史上初の所属移籍官吏になるくらいの気構えがないと、到底釣り合わないと思います」

「…………」

 そこでシレイアは、はっきりきっぱり断言した。それを聞いたベタニスは二の句が継げずに絶句し、再び室内に不気味な沈黙が満ちる。しかし黙ってばかりはいられないと気を取り直したベタニスは、重い口を開いた。


「…………シレイア」

「はい」

「君は本気で言っているのか?」

「勿論本気です。何か問題でもありますか?」

「君の結婚観には、世間一般と大きなずれがあると思うが。そこの所をどう思っている?」

 真剣な面持ちで、ベタニスは部下に問いかけた。対するシレイアは意外な事を聞いた、とでもいうように二、三度瞬きしてから、真顔で口を開く。


「局長」

「何だ?」

「お言葉を返すようですが……」

「だから何だ」

「世間一般の結婚観を持っていたら、そもそも官吏にはなっていません」

「…………」

 淡々と事実を告げたシレイアに対し、ベタニスは完全に反論を封じられて口を噤んだ。そのまま少し経過してから、シレイアが困ったように上司に声をかける。


「あの……、局長?」

 それで我に返ったベタニスは、溜め息を吐いて気持ちを切り替えた。


「分かった。もう良いから、席に着いてくれ。始業時間になっている」

「はい。失礼します」

 結局、どうして自分が呼びつけられたのか良く分からなかったシレイアは、不思議そうに首を傾げながら自分の机に向かった。そんな彼女の様子を窺いながら、少し離れた席で男達が顔を見合わせて囁き合う。


「シレイアの奴……、局長を正論で黙らせたぞ」

「キリング君が気の毒過ぎる……」

「昨日の就業後と今朝の始業時間少し前まで、局長に縋り付いて移籍を懇願していたのに……」

「業務を妨げないように、就業中は民政局に寄り付かないのは流石だが」

「外交局では、うちとは比べものにならないくらい揉めまくっているそうだぞ?」

「シレイアに教えるか?」

「止めておいた方が良くはないか? そんな事をしたら、シレイアが『そんな周囲に迷惑をかけるような事しかできないわけ!?』と言って怒るか、愛想を尽かしかねない」

「確かに、その危険性が大だな」

「もういっそのこと、シレイアとの結婚なんて諦めた方が良いんじゃないか?」

「お前、それを本人に向かって言えるのかよ?」

「世の中には、シレイアなんかより優しくて従順で気立ての良い娘が山ほどいるってのにな……」

「私より、何ですか?」

 いきなり至近距離から聞きなれた声が聞こえた事で、そこに固まっていた者達は激しく狼狽した。


「げっ!!」

「シレイア!?」

「ななな何でもない! 何でもないからな!」

「ほら、仕事仕事!!」

 たまたま書類を手にして移動していたシレイアは、目の前で蜘蛛の子を散らすようにその場を離れた同僚達に、怪訝な視線を向けた。


(今日は朝から、局長も皆さんもどうしたのかしら? 室内の雰囲気が妙な感じだし。何となく落ち着かないのだけど)

 その原因がもしかしたら自分にあるのかもと推察できたものの、ローダスが民政局に突撃していたなどとは夢にも思っていなかったシレイアは、予想外に上司に迷惑をかけているという事実に、暫くの間気付けなかった。





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