(12)墓穴

「それではグラディクト。お前はエセリア嬢が王太子妃、ひいては王妃として相応しく無い事を、この場で証明しなくてはならない。それができるのか?」

「勿論です、陛下! 今すぐご覧に入れてみせます!」

「そうか……、それでは好きにしろ」

「陛下。あまり気を落とさずに」

 エルネストにしてみれば、最後に恩情をかけて自身の発言の撤回と謝罪の機会を与えたつもりだったのだが、グラディクトが堂々と宣言した為、諦めて首を振った。そんな彼をマグダレーナが小声で慰めていると、グラディクトが持参した鞄から何かを取り出し、自分の目の前にある長机にそれを置く。


「それではエセリア、これを見ろ! これが貴様の悪行の証拠だ!」

 そう叫びながら乱暴な手付きで開かれた冊子状の物は、中が無残に切り裂かれており、それを目にした者達は驚き、その顔に恐怖の色を浮かべた。


「え?」

「何、あれは?」

「酷い。随分切りつけられているわ」

「怖い……、何事なの?」

 観覧席の前方から、話が後方に伝わっていくに従ってざわめきは大きくなり、グラディクトは得意げに向かい側に座るエセリアを見やった。


(ふっ! 最初にインパクトが強い物を持ってくれば、容易にこちらに流れが向く筈だ! 早々に貴様の傲岸不遜な態度を、改めさせてやるぞ!)

 しかしエセリアは全く恐れ入る事無く、彼が取り出した物を指さしながら不思議そうに問いを発した。


「殿下、お尋ねしますが、それは何ですか?」

「図々しい、どこまで惚ける気だ!? 去年貴様が切りつけた、アリステアの礼儀作法の教科書だろうが!」

 しかしそう怒鳴りつけられても、エセリアは益々困惑しながら問いを重ねた。


「礼儀作法の教科書? そんな物は存在しないではありませんか。存在しない物を、どうやって切りつけると言うのです?」

「存在しないだと?」

「はい。それではお尋ねしますが、去年と言うことは彼女は当時、貴族科の下級学年に在籍していましたよね?」

「それがどうした!」

「教養科の時には、確かに礼儀作法の時間は座学が多く、れっきとした教科書が存在していました。ですが専科である貴族科に進級してからは、礼儀作法の時間は実践形式で進められていた筈。どこで教科書など使いますの? そもそも殿下は、教科書をお使いになった記憶があるのですか?」

「いや……、確かにそれは、使ってはいないが……」

 堂々と正論で言い返され、グラディクトが口ごもると、そこで前方に待機していた教授陣の中からセルマ教授が軽く手を上げ、エルネストに対して申し出た。


「陛下、当学園で礼儀作法を担当しております、セルマと申します。この事に関して発言しても宜しいでしょうか?」

「許可する」

「ありがとうございます」

 即座に了承の返事を貰ったセルマ教授は、エセリアに向き直って説明を始めた。


「エセリア様。殿下が提示した物は、私が彼女の為に特別に作成した教科書です。彼女と関わり合いの無いエセリア様が、その存在自体をご存知ないのは当然ですわ」

「まあ、そうでしたか」

「ほら、教授の言う通りだ! 観念しろ!」

 セルマ教授が解説した事で、自分の主張の裏付けをしてくれたと思ったグラディクトは、得意げにエセリアに言い放ったが、ここでセルマ教授は如何にも困ったものだと言うような表情と口調で続けた。


「本当に……、そちらにいるアリステア・ヴァン・ミンティアは、とても貴族とは思えない程ごくごく初歩的な礼儀作法も身に付いておらず、幾ら補習をしても追い付かず、周囲の生徒に迷惑をかける事が著しい為、やむを得ず個別授業にしておりました。それは、その時に使用していた物なのです」

「そうでしたの……」

「………」

 さり気なくアリステアの劣等生ぶりまでセルマ教授が暴露した為、講堂内が静まり返った。そして舞台上から冷ややかな視線が向けられた事に焦ったグラディクトが、動揺しながら話題を変えようとする。


「そんな事より!」

「本当に不思議です。どうして他の者には知られていない教科書を、エセリア様が破損させる事ができるのか……。全く筋が通らないお話ですこと」

 そこでセルマ教授が真っ当な疑問を口にした為、アリステアが焦って弁解しようとした。


「そ、それはっ! 私が個別授業を受けていた教室の机に偶々置き忘れたら、取りに戻るまでの間にこんな事になっていて! だから偶々私が教室を出る所を見た人が、私の私物が残っていないか確認してみて、残っていた教科書を見付けて、これ幸いと嫌がらせしたんです!」

「その時間帯にその教室付近で、お前に酷似した者の姿を目撃したと、証言する者が居るのだぞ!」

 勢い込んでグラディクトがエセリアに向かって叫んだが、彼女は不思議そうに小首を傾げただけだった。


「益々おかしな事ですわね。私、その個別授業など、いつ、どこで行われていたのかすら、存じませんのよ?」

「どこまでしらを切る気だ! アリステアが個別授業を受けていたのは、週始めの最後の時間帯で、場所は西棟だ!」

「あら、そうでしたか」

「貴様がその直後の時間帯に、同じ棟のイドニス教授の研究室に、王妃陛下の指示で王国と周辺国の歴史を講義して貰う為に通っていたのは、判明しているんだぞ!」

 そう断言したグラディクトだったが、エセリアは大仰に驚いてみせた。


「そんな事はしておりませんわ。それは一体、誰のお話ですの?」

「貴様、どこまで」

「そうですね。私も特に、そのような指示は出しておりません」

「……え? 王妃陛下?」

「そんな……、どうして?」

 唐突にマグダレーナが口を挟んで否定してきた為、グラディクトは気勢を削がれて口を閉ざし、アリステアも呆然とした表情になった。そんな彼らの様子を見たエルネストは、教授達が集まっている一角に向かって呼びかける。


「この場にイドニス教授はいるか?」

 それにすかさず壮年の男性が、挙手しながら応じた。

「はい、陛下。私です」

「確認させて貰うが、先程グラディクトが申した個人授業は事実か?」

 その問いかけに、そんな事実など無かった彼は正直に告げた。


「いえ、私はエセリア様に対して、個人授業など行ってはおりませんし、王妃陛下からそのような依頼も受けておりません」

「そうか」

「加えて申し上げれば、エセリア様の歴史に関する知識はかなりの物です。試験では毎回満点、もしくはそれに近い点を取っておられますので、これ以上私が追加講義する必要などございません。外交官としても十分に勤められるレベルだと、保証致します。歴史学者を目指すなら、話は別ですが」

「そうか。イドニス教授、ありがとう。良く分かった」

 エルネストがそう話を締めくくると、周囲からグラディクト達に冷たい視線が向けられた。それを目の当たりにしたアリステアが、ムキになって反論する。


「だってアシュレイさんが、そう言っていたもの! それにチャーリーさんも、『エセリア様らしき人を見た』って、ちゃんと宣誓書を書いてくれたわ!」

「そ、そうだ! アシュレイ・ヴァン・ノルト! チャーリー・ヴァン・イーグス! こちらに出てきて、証言してくれ!」

 慌てて鞄から二人分の宣誓書を出しながら、グラディクトが講堂内に響き渡る声で呼びかけたが、その名前を聞いたエルネストが、途端に考え込むように眉根を寄せた。


「ノルト? それにイーグスだと?」

 その困惑の理由が分かっていたマグダレーナは、小声で彼を宥めた。

「陛下、疑念を覚えられたとは思いますが、取り敢えず最後まで殿下の主張を聞きましょう。個別に指摘するのは、それからでも遅くは無い筈です」

「あ、ああ……。そうだな」

 そんな事が舞台の上で囁かれている一方で、観覧席でもあちこちで困惑の声が生じていた。


「え? 誰だ? それ」

「そんな名前の方、学園にいたかしら?」

「さぁ……。だけど殿下の言い分は、支離滅裂よね」

「本当に。エセリア様が行くはずの無い校舎で、個別授業を受けていると知りようもない方の、存在すら周囲に知られていない教科書を、偶々見つけた時に偶々持っていた刃物で、傷付けたとでも言うの?」

「話に無理が有りすぎるわよ」

 次第に騒ぎが大きくなる中、一向に証人となる筈の二人が出て来ない為、グラディクトが苛立って叫んだ。


「どうした! 二人とも、エセリアを恐れる事は無い! 今こそ正義を示す時だぞ!」

「殿下……。存在しない証言や存在しない方を、さも存在するかのような発言は慎んだ方が宜しいのでは? 両陛下の御前ですよ?」

「五月蝿い、黙れ!」

 無自覚に醜態を晒しているグラディクトをエセリアが呆れ気味に窘めると、彼は証人が現れない事について、彼女に難癖を付けてきた。


「さては貴様、在籍している手下を使って、秘密裏に二人の身柄を確保して監禁したな!? 二人をどこに隠した!」

「ですから、何の事を仰っておられるのか、全く心当たりがございません」

「このっ!」

「グラディクト、それで話は終わりか?」

 このまま放置していると話が進まないと判断したエルネストが、うんざりした口調で確認を入れると、グラディクトは小さく歯ぎしりしてから力強く言い切った。


「まだまだ話は終わっておりません! すぐにこの女の悪辣さを、お目にかけます!」

「そうか……。それでは話を進めるように」

(この女……、どこまで悪知恵が働くんだ。絶対に排除してやる!)

 エルネストにそう促されて面目を潰されたと思ったグラディクトは、益々エセリアを眼光鋭く睨み付け、鞄の中から他の宣誓書を取り出した。

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