(20)騙し合い

 午餐会の前日。カテリーナは日中の勤務を終えてから、簡素な私服でガロア侯爵邸に戻った。そしてまず両親に挨拶してから、二階の長兄夫婦の私室に向かう。

「ジェスラン兄様、お義姉様ねえさま、ただいま戻りました」

 何食わぬ顔でカテリーナが挨拶すると、ジェスランとエリーゼが愛想笑いで出迎えた。


「お帰りなさい、カテリーナ。お義父様達にご挨拶は?」

「はい。済ませてきました」

「それなら良かったわ」

 そこでカテリーナは、さりげなく本題を切り出す。


「ところでお義姉様。明日の件は、万事抜かりなく根回しをしていただけたのでしょうか?」

「え? 明日?」

「根回しだと?」

「はい」

 カテリーナが真顔で頷くと、当初何を言われたのか理解していなかったエリーゼとジェスランが、一瞬遅れて彼女が言わんとしている事に思い至り、慌ててその場を取り繕うように言い出す。


「……え、ええ、勿論あなたの希望通り、ダマール様との立ち合いの件は、万事抜かりなく進めておきましたとも。ねえ、ジェスラン?」

「あ……、ああ。当たり前だろう。可愛い妹のたっての願いだからな。少々、いや、かなり非常識で迷惑な事であっても、仕方があるまい」

(この期に及んでも、恩着せがましい物言いをするとはね。カモスタット伯爵家に申し入れなんかしていないのは、とっくに分かっているわよ)

 揃って愛想笑いしながら嘘八百を並べ立てる兄夫婦を、カテリーナはしらけながら眺めた。しかし内心の思いなどおくびにも出さず、穏やかに笑いかける。


「そうでしたか。ジェスラン兄様達がお話を進めていると思っておりましたので、先程お父様達にご挨拶した時には、特に何も確認しなかったものですから」

「そっ、そうだな! 例の件は、さすがに普段お前に甘い父上も難色を示してな。宥めて了解を取るのが大変だったぞ」

「お義父様だけではなくお義母様もご不快に思われて、本当に困ったわ。あなたが先程挨拶をした時にはいつも通りだったと思うけど、それは私達がこれまで手を尽くしてお二人を宥めた結果なのよ?」

「だから今日明日は父上達の気分を害さないように、二人の前で立ち合い云々の話題は出すなよ?」

「渋々認めてくださったのに、神経を逆撫でするような言動は避けるべきでしょう」

 不審に思われないように言葉を選びながら必死に口止めしてくる二人を見て、カテリーナは笑い出したくなったが、なんとか堪えて殊勝に頭を下げた。


「分かりました。私としてもお父様とお母様に、余計に不快な思いをさせるのは不本意ですので。ジェスラン兄様達が段取りを整えてくださるなら、屋敷内で立ち合いの話はいたしません」

「分かってくれて嬉しいわ」

 どうやら上手く丸め込めたとエリーゼが満足げに微笑むと、カテリーナが続けて問いかける。


「ところで明日の私の衣装をお義姉様が準備してくださっていると聞いているのですが、どうなっていますか?」

 それにエリーゼが、自信満々に応じる。

「安心なさい。アクセサリーも含めて、抜かりなく準備してあるわ。ダマール殿だって明日のあなたの装いをご覧になったら、きっと感激してくださるわよ」

「エリーゼは趣味が良いからな。感謝しろよ?」

「ありがとうございます。それで、私の立ち合いの時の衣装はどうするのでしょうか?」

 カテリーナが少々皮肉っぽく尋ねると、ジェスランとエリーゼが困惑して口ごもった。


「……え?」

「立ち合いの時の衣装?」

「はい。まさかドレス姿で戦うわけにはいきませんし、靴だってそうです。剣も愛用の物を使いたいですし、明日のお昼にカモスタット伯爵邸を訪問する時は礼を逸しない為にドレス姿だとしても、午餐会直前に着替える動きやすい服や靴、剣も含めて、お兄様達が持ち込む手筈を整えてくださっているのではないのですか?」

 そう指摘してからカテリーナが疑惑の眼差しを兄夫婦に向けると、ジェスランとエリーゼは弾かれたように弁解して反論した。


「ばっ、馬鹿を言うな! 勿論、手筈を整えているに決まっているだろうが!」

「そうよ! 伯爵邸にどれを持ち込むか、あなたの希望を確かめてから運ばせようと思っていただけよ。後からあなたの世話をするメイドに荷物を纏めさせるから、明日使いたい物を急いで決めて頂戴」

「分かりました。それではこれで失礼します」

 そこでカテリーナは素直に引き下がり、断りを入れて部屋から出ていった。それを見送ってから、ジェスランとエリーゼが満足げに笑い合う。


「全く、冷や汗をかいたぞ。でもカテリーナが真っ先に父上達を問い詰めたりしなくて助かったな」

「本当ね、幸先が良いわ。あの自分勝手な子なら、今更立ち合いの話が真っ赤な嘘と知れたら、『話が違う!』と暴れたり、平気で午餐会をすっぽかしそうだもの」

「カテリーナならやりかねんな。父上と母上が昔からカテリーナを甘やかすから、あんなに増長して……」

 そこで苦々しい表情になったジェスランを、エリーゼが苦笑しながら宥める。


「甘やかされたから、意外に世間知らずなのじゃない? あんなにあっさり騙されるなんて。こちらとしては助かったわ」

「確かにな。あんな非常識で荒唐無稽な話が通ると本気で信じているのが、私には信じがたいぞ。そんな人間と兄妹だというのが、恥ずかしいくらいだ」

「まあ……、ジェスラン。私はあなたが、そんなに能天気な人間だなんて思ってはいないから安心して?」

「ありがとう、エリーゼ。しかしカモスタット伯爵邸に到着してから全てが嘘だと分かったら、カテリーナが激昂しないか心配だが……」

 ジェスランが懸念を口にしたが、エリーゼがそこで不敵な笑みを浮かべる。


「そこで騒いだり暴れたら、それこそあの子の評判が徹底的に落ちるだけよ。お義父様とお義母様も、さすがにあの子に見切りをつけて、貰ってくれるところにさっさと押し付けるでしょうね。どう転んでもカテリーナを結婚させて、この家から出すことができるわ」

「それもそうだな! やはりお前は賢いな、エリーゼ!」

「これくらい、次期侯爵夫人としては当然の処世術よ」

 そんな自画自賛の台詞を口にしながらエリーゼは満足げに笑い、ジェスランもそんな妻を持ち上げて、室内には少しの間高笑いが満ちていた。



「カテリーナ様、お帰りなさいませ」

「あら、ルイザ。今回もあなたが私に付いてくれるのね」

 一方のカテリーナが自室に戻ると、今回の自分の世話係として配置されたメイドが恭しく出迎えた。それに顔を綻ばせていると、ルイザも笑顔で応じる。


「偶然ですが、それだけでも幸先が良いと思いませんか?」

「慰めてくれているの? ありがとう」

「本当に、今回は大変ですから。ところで、騎士団の制服一式と剣は大丈夫でしょうか?」

 若干心配そうに確認をいれてきたルイザを安心させるように、カテリーナが力強く頷く。


「大丈夫よ。ちゃんと寮を出る前に、一式ティナレアに預けてきたわ」

「それなら問題ありませんね。エリーゼ様達は当然と言えば当然ですが、全く準備などしておりませんでしたよ?」

「分かっているわ。どうせそうだろうと思っていたから、疑問に思っていない風情を装って、手配をしてくれているかの確認してきたわ。当て擦ったのに気がついていないでしょうけど、内心で泡を食っていた筈よ」

 腹立たしげにこの間の内情を暴露したルイザにカテリーナが苦笑していると、控え目にドアがノックされてエリーゼ付きのメイドの一人が現れた。


「失礼します。カテリーナ様、至急の用件ですので、ルイザを少しお借りします」

「ええ、構わないわよ。ルイザ、行ってらっしゃい」

「申し訳ありません。少々席を外します」

 ルイザが呼びに来た同僚のメイドと共に廊下に消えると同時に、カテリーナは些か乱暴に一人がけのソファーに腰を下ろした。すると少しして、ルイザが室内に戻ってくる。


「どうだった?」

「エリーゼ様からの伝言で『即刻、カテリーナの立ち合い用の衣装や靴、剣を揃えてエリーゼ様のところに持ってくるように』だそうです。形だけでも準備しておけばよいのに、カテリーナ様に指摘されて、少しは肝を潰したのではないですか?」

 内密な筈の話をそのままルイザが暴露すると、カテリーナがうんざりとした表情で再び立ち上がった。


「それなら向こうの筋書き通り、真っ赤な嘘を信じ込んでいるふりをしないとね。すぐに必要な物を纏めるわ。茶番劇に付き合うのは、意外に疲れるわね」

「今夜はお食事を済ませたらゆっくりお休みになって、明日に備えてください」

「そうするつもりよ」

 ルイザから同情する視線を向けられたカテリーナは、皮肉っぽく肩を竦めてからクローゼットに向かって歩き出した。



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