(25)疑問と和解と秘密と忘却
「レスター? もしかしてコーネリア様って、演劇がご趣味なの? 貴族の中には劇団を後援するだけではなくて、自分の屋敷に招いてお芝居をさせたりする人もいるって聞くけど。それが高じて、本職の役者にまざって演じる人もいるみたいだから、コーネリア様も自ら演じる方なの? 凄いわね」
「え?」
その台詞を耳にしたレスターは、一瞬戸惑った顔になったが、すぐに真顔になって謝罪してきた。
「あ……、ああ。騒がしくしてしまってすまない。そうなんだ。コーネリア様の演技の相手をするのが、なかなか骨が折れてな。思い出したら、つい、我を忘れてしまった」
「そうだったの。あまり想像できないけど、本当に頑張ったのね」
「想像しなくて良いから。今後はお役御免だし」
「お役御免って?」
再び生じた疑問を、シレイアはそのまま口に出した。するとレスターが、それによどみなく答える。
「コーネリア様には前々から婚約者がおられるが、来年の輿入れがひと月前に正式決定したんだ。そうなるとメイドならともかく、執事見習いの俺まで婚家についていくわけにはいかないだろう?」
「ああ、それはさすがにそうよね。それで、どうなったの?」
「ナジェーク様が『君のどこからどうみても華がない立ち居振る舞いと、まかり間違っても目立つところがない平々凡々の容姿と、この短期間で姉上に鍛えられた斜め上の演技力と危機察知能力は、周囲に溶け込んで違和感を抱かせないのが最優先の密偵にうってつけだ。君の今後の活躍を期待している』と仰られて、俺の身柄を引き受けてくださったんだ。先月から執事教育の傍ら、シェーグレン公爵家密偵組織の責任者から、諸々の指導を受けている」
大真面目にレスターが告げた内容を聞いて、シレイアは僅かに顔を引き攣らせた。
「……ごめん。なんだか今、突っ込みどころが色々ある台詞を聞いたような気がするけど。ナジェーク様って誰? それに、密偵組織って何?」
「………………」
「レスター?」
そこで急に口を閉ざしたレスターを、シレイアは訝しげに見やった。するとレスターは何度か口を開閉させてから、徐に語り始める。
「ナジェーク様は……、公爵家の嫡男で、コーネリア様の弟君だ。エセリア様には兄に当たられる方だな」
「そうなの。ご令息の話は初めて聞いたわ」
「それで……、密偵組織、云々に関してだが………………。すまない、シレイア!! 俺が未熟なばかりに、ついペラペラと不要な事まで口を滑らせて!! 今の話は、聞かなかった事にしてくれ! 他言無用で頼む!! このとおりだ!!」
勢いよく頭を下げられ、シレイアは面食らうと同時に合点がいった。
「……あ、あぁ、それはそうよね。密偵組織で働いているなんて事が公になったら、仕事にならないわよね。分かった、今の話は聞かなかったことにしておくわ。勿論、両親にもエマ達にも何も言わないから。安心して? 口約束だけだと心配なら、何か罰則付きで誓約書でも書く?」
「いや、そう言って貰っただけで十分だ、シレイアを信用している。以前からお前は、嘘やいい加減な憶測や噂話など、口にしたことは無かったからな」
「どうもありがとう」
(なんだかもう、本当に調子が狂うと言うかなんと言うか)
真顔で断言されたシレイアは、嬉しくなると同時に少々照れくさくなってしまった。そんな彼女の内心に気づいているのかいないのか、レスターが冷静に話を続ける。
「それで、ナジェーク様は俺の身柄を引き受ける際、コーネリア様から俺を雇うことになったいきさつを聞いたらしい。それで『休暇をあげるからご両親を安心させる他に、その迷惑をかけた彼女にきちんと花束持参で謝罪をしてくるように』と厳命されたんだ。確かに、ナジェーク様の仰ることは正しい。それで急遽、お邪魔したわけだ。改めて、出会った時からの数々の非礼と、半年前の暴挙を謝罪する。本当に、申し訳なかった」
「分かったわ。謝罪は受け入れるから。今後はお互い、これまでのあれこれは気にしないようにしましょう」
「ありがとう。これで胸のつかえが取れた」
「それなら良かったわ。それにしても、仕事が色々大変そうね」
きちんと謝罪を済ませ、わだかまりが取れた二人は揃って笑顔になった。
「いや、ナジェーク様の直属になってからまだひと月足らずだが、以前よりははるかに精神的負担が少なくなった。そういう意味では桁違いに働きやすい」
「そうなの?」
「ああ。コーネリア様は、俺の能力と想像力の限界の遥か彼方を平気で要求されてきたが、ナジェーク様は能力と忍耐力の限界の一歩向こう、俺がギリギリ死ぬ気で頑張れば、なんとかできる要求をされてくる。その見極めが絶妙なんだ。あれは本当に凄い。人の上に立つ方は、ああでなければいけないのだと心底思った」
どうやらレスターは新しい主に心酔しているようだったが、その話の内容に不穏なものを感じてしまったシレイアは、素直に頷けなかった。
「……へぇ、そうなの。凄いわね」
「ナジェーク様に『レスターならできると思っていたよ?』と笑顔で労っていただけるごとに、俺のあの方への忠誠心が増していくのを自覚している。俺はあの方に、俺の命を捧げると誓った」
「そう……、頑張ってね。自分の生涯を捧げられる主君と巡り合うなんて幸運、なかなかないと思うわ」
決意漲る表情で告げられたシレイアは、それを否定することなどできず、穏当な言葉を探して口にする。するとレスターは、満面の笑みで叫んだ。
「やはりシレイアは頭が良いだけあって、良い事を言うな! ああ、俺はとんでもない幸せ者だ! あまりの幸運に、身も心も打ち震えているぞ!! ナジェーク様、万歳!! シェーグレン公爵家よ、永遠なれ!!」
そこでレスターは勢いよく立ち上がり、両手を天井に向かって突き出しながら、主君と主家を褒め称え始めた。そんなレスターを見たメルダが、腕を伸ばしてテーブルに置かれていたティ―ポットを引き寄せる。
「お嬢様、やっぱり叩き出しましょう。どう考えても、頭がおかしいです」
「メルダ、本当に大丈夫だから。ちょっと感情的になって、表現力過多になっているだけだから。そのポットをテーブルに戻して、お願い」
殴りかかる一歩手前のメルダを必死に宥めたシレイアは、続けてレスターに声をかけて半ば強引に話を終わらせ、最後は穏当に引き上げて貰った。
「つ、疲れた……。お母さんが帰ってきたらメルダがレスターの事を報告するだろうから、変に誤解されないように、私からきちんと伝えておかないと。なんだか色々話を聞いたから、内容がごちゃごちゃになって……。ちょっと整理しておこう」
レスターが帰った後、片付けをメルダに任せてシレイアは自室に戻った。そして机に向かって、ノートとペンを手にする。
「ええと……。まず、レスターが半年前に私に絡んで怪我をさせたことを謝罪して、お詫びのしるしに花束を貰ったのよね。それから、うちでレスターのお給金の前払い金を保管していた事についてお礼を言われて、改めて後日お礼に来るといっていたから、これはお父さんに伝えておかないと」
念の為、忘れないうちに箇条書きにしておこうと、シレイアは独り言を呟きながらペンを走らせた。
「それで、どんな仕事をしているかの話になって、演劇が趣味のコーネリア様にお付き合いして色々演技のお相手をしていたけど、コーネリア様のご結婚が迫っているから、ナジェーク様直属の密偵組織に引き抜かれて、今はその仕事………………。ちょっと駄目よ! そんな話、できないじゃない!? レスターと約束したし!! レスターはシェーグレン公爵家嫡男の直属の部下で、執事見習いとして邁進中!! それ以上でも以下でもないのよ!! この話はこれで終わり!! もう些細な諸々は、綺麗さっぱり忘れたわ!!」
書きかけた文章を慌てて線で消したシレイアは、余計な事は忘れるに限ると、勢いよくノートを閉じた。普段であれば、その観察力と推理力で素早く真相を察知するシレイアは、その時は余計な情報まで耳にしてしまったことで、その話全体を深く追求するのを止めてしまった。
彼女が、レスターがその時口走った事の真相を知るまで、それから実に六年近くの歳月を要するのだった。
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