(24)名作誕生秘話

 エマと会った翌日は普通に家庭教師による授業があり、シレイアはキリング家に出向いて授業を受けてから、昼過ぎに自宅に戻った。メルダが準備してくれた昼食を食べてから、シレイアは自室に引き上げる。少し休憩してから明日までの課題に取りかかろうと考えていたシレイアだったが、その前にドアがノックされてメルダが顔を出した。


「お嬢様、お客様がいらしてます。玄関でお待たせしていますが」

 その報告に、シレイアは椅子に座ったまま、怪訝な顔で振り返る。

「え? お客って、私に? 特に誰かが訪ねてくる約束はしていないけど」

「それが……、『修学場で一緒だったレスターだと伝えてくれれば分かる』と言っていますが……。奥様はご不在ですし、追い返しますか?」

 真顔で告げられた内容を聞いたシレイアは、驚いて勢いよく立ち上がった。


「レスターが!? 今、玄関に来ているの!?」

「はい。何やら、大きな花束持参で。どうしましょう?」

「とにかく、玄関に行くわ。メルダ、付いてきて」

「分かりました」

 訳が分からないまま、シレイアは足早に玄関へと向かった。そして階段を下りて、曲がり角の陰から玄関ホールの方を窺うと、確かに大きな色とりどりの花束を手にしたレスターの姿を認める。


(ええと……、何、あの花束。メルダが不審に思うわけだわ)

 どうして立派な花束を持参しているのか分からず、シレイアは本気で困惑した。そんな内心を読んだように、メルダが同様に壁の後ろに身を隠しながら囁いてくる。


「お嬢様、やっぱり怪しいですよね、あの少年」

 今にも近衛騎士団の駐在所に通報しそうな気配を察したシレイアは、慌ててメルダを宥めた。


「あの、メルダ。大丈夫よ。ちょっと見た目が怪しいかもしれないけど、本当に修学場で同じクラスだったレスターだから」

「それはそれで、十分警戒対象なのですが。レスターという名前は、確かお嬢様が修学場に入ったばかりの頃、何やら難癖をつけて絡んだ少年の名前だと記憶しているのですが?」

「ええと……、確かにそんな事もあったけど、お互い小さな子供じゃないんだし、そんなに心配しなくても良いから。本当に大丈夫よ」

「そうですか?」

 まだメルダは納得しかねる表情だったが、そんな彼女を小声でなんとか宥めつつ、シレイアは玄関に向かった。


「レスター。玄関先で待たせてしまってごめんなさい」

 結構待たせてしまった事で気分を害しているかもと、シレイアは心配しながら声をかけた。しかしレスターは、それに真顔で首を振る。


「いや、約束も無しに、急に訪れたこちらに非がある。それは気にしないでくれ。それでこれは、半年前の詫びだ。謝罪の言葉と共に受け取って欲しい。あの時は本当に、申し訳なかった」

「……え?」

(何? この殊勝な態度。顔は確かにレスターだけど、本当にレスターなの?)

 真摯に謝罪の言葉を口にした後、レスターはシレイアに向かって花両手で差し出しつつ、深々と頭を下げた。さすがにそのままにしておけず、シレイアは彼に声をかけながら花束を受け取る。


「わざわざどうもありがとう。取り敢えず、花束は貰うわね」

 すると上半身を戻したレスターは、殊勝に申し出る。

「遠慮なく受け取ってくれ。それで急に訪れた上に厚かましいのだが、少し話をしたいので時間を貰えないだろうか?」

「え? ええっと、話、ええ、話がしたいのね? 分かったわ。私は構わないから、応接室にどうぞ」

「申し訳ない。それではお邪魔させて貰う」

 シレイアは少々動揺しながらも、メルダに花束を預けながらお茶の用意を頼んだ。


「メルダ、この花束をお願い。あと、応接室にお茶を持って来て貰えるかしら?」

「はぁ……、分かりました」

「じゃあ、レスター。こっちよ」

「……どうそ、ごゆっくり」

 何とも言い難い表情になっているメルダに背を向けて、シレイアとレスターは廊下を進み、応接室に入った。


「その……、レスター? 今日は一体、どういう用件でうちに来たの?」

 ソファーに向かい合って座ってからシレイアが話を切り出すと、レスターは神妙に口を開いた。

「まずは、報告とお礼だな。シェーグレン公爵家での半年間の試用期間を終えて、一昨日家に戻った。それで両親から、この間俺の前払い金をこちらで預かって貰っていたと聞いた。総主教会の大司教様であれば、普段でもなにかとお忙しいだろう。それなのに庶民のつまらない諍いに巻き込んでしまって、本当に申し訳なかった」

 座ったまま頭を下げたレスターを、シレイアは苦笑しながら宥める。


「そこまで気にしなくても大丈夫よ。色々な事情で、これまでにも信者さんや教会関係者の財産や大事な物を預かったことはあるし、両親も特に煩わしく思ったりしていなかったから」

「それを聞いて安心した。できれば事前にご連絡して都合の良い日をお伺いした上で、直にお礼を申し上げたかったが、今回の休暇は急に頂いたものだったから。少し後になるだろうが、改めて訪問させて貰う」

「そう? そんなに気にしなくても良いけど、両親には伝えておくわね」

「ああ、よろしく頼む」

「あ、それに、レスターのお金も返さないと」

「それは急がない。父さんがすっかり心を入れ替えて真面目に働いているから、今は家計に余裕が出ていると母さんが言っていた。後日訪問した時に、返却して貰えれば大丈夫だ」

「それじゃあ、その事も伝えておくわね」

「そうしてくれ」

(口調もまるで違うし、本当に別人。エマが言っていた意味が分かったわ。一気に十歳くらい、老けた感じだけど……、色々大丈夫なのかしら?)

 落ち着いて観察してみて、昨日のエマの話が本当だったとシレイアは納得し、それと同時に不安を覚えた。そこで手早くお茶の支度を済ませたメルダが、茶器一式を持って入室してくる。


「お待たせしました」

「メルダ、ありがとう」

「恐縮です。頂きます」

 ポットからお茶を注いだカップを配り終えたメルダは、そのまま出て行くかと思いきや、何食わぬ顔で壁際に立つ。そこまで警戒しなくてもとシレイアは内心で呆れたが、そのまま話を続けることにした。


「その……、レスター。随分、話し方や姿勢が変わったと言うか……、公爵家での執事教育でそうなったの?」

 どうしても気になってしまった疑問をぶつけると、レスターは小さく頷いて淡々と答える。

「そうだな。おかしい所はその都度きちんと指摘されて、何度も指導して貰った」

「そう……。大変だったわね」

 彼の変貌ぶりを目の当たりにしたシレイアは、相当苦労しただろうと心底同情した。しかしレスターは、予想外の切り返しをしてくる。


「いや、寧ろ大変だったのは、指導役の皆さんの方だろう。教養など欠片もない俺の教育をいきなり任されて、しかしこれも仕事のうちと手取り足取り教えてくださった。それに『時間がなくて、体系的に効率良く教えられなくて悪いな』と謝られてな。自分の覚えの悪さを、生まれて初めて呪ったぞ」

「優しい先輩や上役さんに当たったみたいで、本当に良かったわね」

「ああ、俺もそう思う」

「でも、時間がなくて教えられないって、どういう事? 先輩達が忙しかったの?」

 職場環境は良好らしいと判断したシレイアは、無意識に笑顔になった。しかし彼女の問いに、レスターの表情が若干曇る。


「そうじゃなくて……。俺は一応、コーネリア様専属の執事見習い扱いだから、お嬢様の用事を済ますのが最優先だったからな。空いている時間に執事としての教育ができるように、執事長が教育係を手配してくださったんだ」

「それは分かるけど……、四六時中、コーネリア様に言いつけられた仕事をしていたわけではないでしょう?」

 不思議に思いながらシレイアが尋ねると、ここでレスターは急に怖いくらい真剣な顔つきになった。


「1日の勤務時間を、便宜上10とする」

「ええと……、いきなり、何?」

「そのうち、コーネリア様のご要望にお応えする時間は9、その他が1だ」

「執事の勤務形態って、正直分からないけど……。専属となると、色々大変そうね」

「ああ。ご当主の意向の前に、ご主人であるコーネリア様のご意向優先になるからな……」

 今度はなにやら遠い目をしながらの呟きに、シレイアはどことなく不穏なものを感じ取った。


「その……、レスター? この半年間で、随分苦労したみたいね。言い方は悪いけど、一度死んで生まれ変わったみたい。勿論、良い意味でよ? 本当に凄いと思うわ」

 シレイアは言葉を選びながら、これまでの苦労を労ってみた。するとレスターは乾いた笑いを漏らす。

「……ああ、俺は確かに死んだ。一度ならず、軽く二百回は。数えるのが馬鹿馬鹿しくなって、正確な回数は覚えていないが」

「え?」

 言われた内容が咄嗟に理解できず、シレイアは何か聞き間違ったかと困惑した。するとレスターは、突然錯乱気味に叫び始める。


「老若男女は当然だが、『目の前でこと切れた主人の仇を取るべく、襲撃犯に襲い掛かったもののあっさり返り討ちにあって、全身血塗れになって床に倒れ伏した瀕死の状態ながら、相手を怨嗟と憤怒の眼差しで見上げる犬』って、一体、俺に何をどうしろって言うんだよ!?」

「あの、レスター? あなた、何を言って」

「『臨場感を出したい』とか『表現力を磨きたい』とか、公爵令嬢がする事じゃないよな!? ああ、実際してねえよ!? だからって、使用人にやらせんなよ!? 吊るされるわ、縛られるわ、変な物を飲ませられるわ、馬に蹴られそうになるわ、墓穴を掘って埋め戻させられるわ、屋根から屋根に跳び移させられるわ。俺が今まで無傷で済んだのは、公爵邸の奇跡とまで言われてるんだぜ!? 本当に神はいる! 俺の頭上にな!!」

 何もない斜め上の空間を見上げながら叫ぶレスターを見て、メルダが血相を変えてシレイアに駆け寄った。


「……お嬢様、トレーで殴り倒しましょうか?」

「メルダ、大丈夫だから。落ち着いて」

 ソファーの後ろから囁いてきたメルダの声に、まぎれもない本気を感じ取ったシレイアは、彼女がレスターに殴りかかろうとするのを制止した。そして必死に考えを巡らせ、なんとかこの場を収めようとレスターに問いかけた。


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