(17)点火

 ナジェークが、コーウェイ侯爵家との直接対決の場に選んだ夜会当日。彼は傍目にはいつもと変わらない風情で馬車に乗り込み、使用人達に見送られて両親と共に夜会会場に向かった。

「そろそろパーシバル公爵邸に到着しますわね」

「そうだな……」

 馬車を少々走らせてから何気ない口調でミレディアが呟き、それを聞いたディグレスが顔つきを改めて妻に言い聞かせる。


「今更だが、ミレディア。我々は今回招待客なのだから、周囲に迷惑をかけるのは仕方がないにしても、かけすぎないようにほどほどにな?」

「それは向こうの出方次第ですわね」

 ミレディアは夫の懇願を言下に切り捨てた上、不気味に微笑んだ。ディグレスはそんな妻から息子に視線を移し、無駄だとは思いつつも同様に訴える。


「ナジェーク。主催者のパーシバル公爵夫妻に必要以上のご迷惑をかけないように、くれぐれも頼む」

「父上、安心してください。向こうが下手に絡んでこない限り、こちらから積極的に手を出すつもりはありませんから」

 台詞にも笑顔にも全く迷いが見られないナジェークを目の当たりにして、逆に息子の本気度を否応無く察知してしまったディグレスは、溜め息を吐いて項垂れた。


「……全く安心できないのが分かった。事が始まったら、私は少し離れていて良いかな?」

「構いませんわ。ご友人達と談笑していらして」

「ええ、短時間で片をつけますから」

「そうか……」

 思わず弱音を漏らしたディグレスに妻子は笑顔で頷き、その時彼はシェーグレン公爵家当主でありながら、これから引き起こされるであろう騒動の傍観者に徹する事を、固く決心した。


「パーシバル公爵、公爵夫人。今宵はお招き、ありがとうございます」

「お二方に加えて、ナジェーク殿までいらしていただけるとは光栄です」

「皆様、どうぞごゆっくりお過ごしください」

 会場である大広間に入ってすぐ、主催者であるパーシバル公爵夫妻に挨拶してから、ナジェークは両親と別れて会場内を移動し始めた。

(さて、連中はどこら辺で仕掛けてくるかな?)

 注意深く周囲の様子を窺っていると、旧知の人物から声をかけられる。


「久しぶりだね、ナジェーク」

「ここでお目にかかれて嬉しいです」

「イーサン殿、マリーア殿。二人揃ってお会いするのは、結婚披露宴以来ですね。お久しぶりです」

 二人とは幼少の頃から家同士の付き合いがあり、イーサンがナジェークの分の二つ上、マリーアが同い年という事も相まって、互いに気心の知れた仲だった。それはマリーアのクレランス学園卒業直後、婚約者同士だった二人の結婚式と披露宴に招待される程の間柄であり、ナジェークはこれから目論んでいる不穏な事を一瞬忘れて彼らに微笑む。しかし挨拶の次にマリーアが発した問いかけで、ナジェークの笑顔は元の皮肉交じりのそれに戻った。


「ナジェーク様。いきなり不躾なお尋ねをして申し訳ありませんが、コーウェイ侯爵家のステラ嬢との婚約話は、成立間近ですの?」

「いいえ。どこぞの頭が足りない方々の、全くの妄想話です」

「…………」

 彼の不気味な笑顔と即答っぷりに、子供の頃からの付き合いである彼らは、どこか不穏なものを察して顔を見合わせた。そこでイーサンが、恐る恐る確認を入れてくる。


「ええと……、ナジェーク? もしかしてこの事に対して、かなり立腹しているのかな?」

「以前からそれなりに付き合いのあるあなた方には、正直に言わせていただきますが……。ええ、かなりそうですね。もっと詳しく申し上げるなら、母と姉は私以上に怒っています」

「そうか……」

「だから今夜はコーウェイ侯爵家を招待するのは止めた方が賢明ですと、お父様達に意見したのに……」

 ナジェークが隠すことなく状況を説明すると、どう考えても今夜の催しが無事にすむ筈がないと察したイーサンは肩を落として項垂れ、マリーアが実家の両親に訴えた内容について愚痴を漏らした。さすがに他家の夜会で騒ぎを起こすのは本意では無かったナジェークは、二人に対して弁解しようと口を開いたが、ここで甲高い女性の声が至近距離で響き渡る。


「申し訳ありません。公爵夫妻には日を改めて、お詫びをする予定」

「まあぁ、ナジェーク様! こんなところで奇遇ですわね!」

「いやぁ、本当に運命的ですな! ほら、ステラ! ナジェーク殿だぞ! 挨拶をしないか!」

「ナジェーク様! またお会いできましたわね! 益々ご縁が近くなっているみたいで、嬉しいですわ!」

 夜会の参加者達が呆気に取られる中、騒ぎ立てながら駆け寄ってナジェークを囲んだ一家を見ながら、イーサンとマリーアが囁き合う。


「どこが奇遇……。今夜はパーシバル公爵家が王太子派の貴族を幅広く招いているのだから、シェーグレン公爵家が出席するのは容易に予測できるだろうが」

「本当にその可能性に気がついていなかったのなら、判断力に乏しいと自ら公言しているようなものですのにね」

 その騒ぎを好意的に眺めている者はコーウェイ侯爵家とごく親しい者だけであり、他の者達はどこか冷ややかな視線を向けていた。しかしそんな事など気にも留めず、コーウェイ侯爵がナジェークに対して猫なで声で話しかける。


「ナジェーク殿、我が娘ステラとのご縁も、そろそろ本気で考えてみてはいかがですか?」

 その要請に、妻と娘も声を揃えて口々に言い合った。


「ええ、周りの皆様からも、いつ正式に婚約が成立するのかと興味津々で尋ねられておりますのよ?」

「お父様、お母様。ナジェーク様は官吏として前途有望なお方。重要なお役目に就任して二年目で、お仕事が多忙でいらっしゃいますのよ? まだ結婚を真剣に考える時期ではありませんわ。私は何年でも待つつもりですから、ナジェーク様を責めないでください」

「我が娘ながら、なんて健気な事を!」

「本当に! 自らが寂しい思いをしても殿方を立てるなんて、淑女の鏡だわ! 私はあなたを誇りに思います!」

「そんな……、私なんて、ナジェーク様の才能と比べたら、凡庸すぎるつまらない女に過ぎませんわ」

 夫妻が満面の笑みで娘を褒め称え、ステラが謙虚な女性を演じつつも自分に秋波を送っているのを見て、ナジェークは完全に興醒めした。


(なんだ、この猿芝居は。お粗末すぎて、突っ込みを入れる気にもならない。こんなくだらない人間どもの為に、私が白眼視されかねない事態になるとはな……。こうなったら徹底的にやってやる)

 あまりにも低俗すぎるやり取りを展開されてナジェークの意志は即座に固まり、予定通り穏やかな笑みを浮かべながらコーウェイ侯爵一家に向かって一歩足を踏み出した。


「本当にそうですね。コーウェイ侯爵、侯爵夫人、ステラ嬢」

「おう、同意していただけるのか!?」

「やはりステラは、ナジェーク様からご覧になっても魅力的な女性ですわよね!?」

「そんな……、ナジェーク様……」

「ええ、ステラ嬢は私と比べると、凡庸過ぎて如何にもつまらない人間ですね」

「…………え?」

 いつも素っ気なくあしらわれているナジェークから予想外に肯定の言葉が返ってきた事で、侯爵夫妻はもとよりステラも顔を輝かせたが、彼が続けた辛辣過ぎる台詞を聞いて即座に固まった。当然彼らのやり取りに聞き耳を立てていた周囲も静まり返り、その場に不気味な沈黙が満ちる。

 その静寂が会場中に広がっていくのと同時に、コーウェイ侯爵が引き攣った笑みを浮かべながら、その場を和ませようと試みた。

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