(7)虚脱感と忠誠心

 午後の業務を滞りなく終わらせたシレイアは、上司や先輩達に上がりの挨拶をして、民政局からでて廊下を歩き出した。本当であれば寮に戻る筈が、なんとなく気になって法務局があるエリアに向かう。


(う~ん、なんとなく落ち着かなくて、仕事を終えた足でここまで来ちゃったけど、その日のうちに話が聞けるわけないわよね。エリムだって忙しいだろうし、今度予定が空いている日を確認してから、詳細を教えて貰おう)

 法務局の範囲内の廊下を少しの間行ったり来たりしていたシレイアは、漸く諦めて寮へ戻ることにした。


「よし、そうと決まればさっさと寮に戻って、今日は一人で大願成就をひっそり祝いますか」

 彼女が踵を返して歩き始めると、唐突に目の前のドアが開いた。そこから書類の束を抱えて廊下に出て来た者を見て、シレイアが驚く。


「それじゃあ、行ってきます。……あれ? シレイア。こんな所で奇遇だな」

「エリム!? あ、お疲れ様。ローダスから聞いたわ。今日は駆り出されて大変だったわね」

「ああ……。あの元王太子野郎の愚行のせいで、俺達末端の官吏までとんだとばっちりだ」

「本当にそうよね……。ところで、疲れているところ悪いんだけど、今日はどんな様子だった?」

(詳細は無理でも、せっかくだからざっくりとした流れだけとか、雰囲気だけ聞いても良いわよね?)

 疲れているのに廊下で立ち話は悪いと思いながらも、シレイアは自分の好奇心を抑えらえなかった。するとエリムは特に気を悪くしたような素振りを見せず、手の中の書類の一部を取り出して差し出してくる。


「じゃあ、これを持って行ってくれ」

「え? これって何?」

「審議の場での発言の全てをまとめた記録の複製。公文書扱いにはなっていないから、女子寮に持って帰って皆で回し読みしてくれて良いから」

 反射的にまとまった書類を受け取ったシレイアだったが、彼の説明を聞いて目の色を変えた。


「え? そんな物を、私が持って帰って良いの!?」

「ああ。昨日からうちの局に、審議の場の結果を教えてくれとの申し入れが絶えなくて。一々説明するのが面倒だから、目ぼしい部署には発言録の複製を用意して配れと、局長からのお達しが出たんだ」

「大騒動だったものね。そんなに方々から要求があったとは……」

 官吏や騎士と言えども好奇心には勝てないらしいと、シレイアは納得した。と同時に、改めて今回の騒動で、色々な方面に迷惑がかかっていたのだと実感する。それは正しい判断だったらしく、そこでエリムが心底うんざりしたような口調で愚痴を零してきた。


「本当に大変だったぞ……。国王両陛下の間近に控える羽目になってただでさえ緊張するのに、皆で誰の発言を誰が記録するか予め分担を決めて、各自の担当者が必死に一言も漏らさずに書きとめた物を、王宮に戻ってから照らし合わせつつ順番通り一つに纏めて書いて。30ページ近くなったそれを、各自書き写しまくって20部ほど作った。本当に下っ端の作業だよな……」

 シレイアは心から同情しつつ、念のため再度確認を入れる。


「エリム、本当にお疲れ様。随分手間暇かけた物なのに、本当に新人の私が持って行って良いのかしら?」

「それは元々、女子寮に届ける分だったから。局長から『本気で女を怒らせると怖い。今回の事ではエセリア様を崇拝している女性達が激怒しているそうだし、どういう事だとここに怒鳴りこまれないためにも、真っ先に女子寮に一部届けておけ』と指示されたんだ。だからここでシレイアが受け取ってくれたら、俺も女子寮まで出向かなくて助かる」

「ちょっと引っかかる所があったけど、そういう事ならありがたく預かっていくわね。皆にきちんと説明して、回し読みさせて貰うから。それでさっき『元王太子野郎の愚行』とかなんとか、口走っていたようだけど……」

 軽く探りを入れてみたシレイアに、エリムが笑いを堪える口調で応じる。


「結果だけ先に言うと、当然エセリア様に掛けられた嫌疑は事実無根だと証明され、元王太子の方の悪行が明らかになった上で廃嫡となった。これで一安心だろう?」

「ありがとう、エリム! 今日は美味しく夕飯が食べられるし、ぐっすり眠れそうだわ! それじゃあね!」

「ああ。……さて、俺はこれを配って来ないとな」

 結果を確認したシレイアは、顔つきを明るくして書類を手にして駆け去って行った。そんな彼女を見送ったエリムは、気を取り直して残っている仕事に意識を向けたのだった。





 当初は寮に戻ってから中身を確認するつもりだったシレイアだが、我慢できずに歩きながら貰った書類に目を走らせ始めた。無言のまま歩き続け、幸いにも誰ともぶつかったりせずに寮に戻った彼女だったが、その足で食堂に足を踏み入れたところで声をかけられる。


「シレイア。仕事熱心なのは良いけど、前を向いていないと危ないわよ? 歩きながら書類を見るのは止めた方が良いわ」

 若干呆れ気味のその声は、既に見知っている先輩官吏のものであり、シレイアは慌てて顔を上げながら弁解した。


「ジュディスさん、すみません。食べてから読もうかと思いましたが、やっぱり誘惑には勝てなくて」

「何を読んでいるの? 仕事での書類ではないの?」

「今日のエセリア様に関する審議の、一部始終の記録です」

 シレイアがそう告げた途端、座っていた女性は顔色を変えて立ち上がった。


「なんですって!? そんな物があるの!? 読み終わったら見せて頂戴!!」

「それなら3ページまでは読み終わりましたから、ここまでだったらすぐ見て貰えます。女子寮で見て貰う分だと言われて法務局所属の友人から渡された物ですから、遠慮なくどうぞ」

「そういう事なら、早速読ませて貰うわ! ここに座って、読み終わった分をどんどん私に回して!」

「分かりました。失礼します」

 彼女の隣の席を指し示されたシレイアは、素直にそこに座って読み終わった分を差し出した。すると一斉に、そこに居合わせた者達がシレイア達の所に押し寄せてくる。


「ちょっとジュディス! 抜け駆けしないでよ! 私だって読みたいわ! あなたの次は私よ!」

「その次は私でお願いします!」

「分かったから、読みたかったらここから順番に座って」

 ジュディスの仕切りで、その場全員がぐるりと大きな円を描くように着席した。そしてシレイアから隣の席に、そしてテーブル越しに次々と読み終えた用紙が順番に回されて行く。食事をしようとやって来た者は、まず静まり返った食堂に何事かと驚き、近くの者に事情を説明して貰うと食事そっちのけで次々順番に加わっていった。

 そうこうしているうちにシレイアが最後まで読み終え、想像以上だった内容に脱力しながら呟く。


「終わった……。予想以上に、とんでもない展開だったわ……」

 その正直な感想に、ジュディス以下まだ読み続けている面々からも、賛同の言葉が上がった。


「まだ全てを読み終えていないけど、あなたの気持ちは良く分かるわ」

「本当に何をどうしたらこんな勘違いをして、こんな自爆行為に及ぶのかしら」

「衝撃だわ。今までこんなのが王太子だったなんて……」

「でも即刻廃嫡になったみたいだし、今回の事で資質に問題ありなのが白日の下に晒されて、良かったんじゃない?」

「そうとも言えるわね。でもこれだけの騒ぎになって、結果がこれって……」

「巻き込まれた人達が、気の毒過ぎるわよ」

 怒りを通り越して疲労感しか感じない周囲の声を聞きながら、シレイアは最悪の事態を回避できたことに心底安堵していた。


(エセリア様がケリー大司教様のフォローをしてくれたのもそうだけど、国王王妃両陛下まで引責辞任を口にした大司教様の慰留をしてくれて、本当に良かった。これなら総主教会内でも、大司教様の責任を追及しようとする動きは抑えられるはずよ)

 そして脳裏に君主夫妻の顔を思い浮かべながら、シレイアは密かに心からの感謝を述べる。


(本当に、ありがとうございました。今後はこれまで以上に両陛下の為、この国の為に官吏として頑張ります!)

 決意も新たに、シレイアはそれから気分よく夕食に取りかかった。




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