(9)ガロア侯爵邸での一幕
「ダトラール侯爵家の馬車を、正面玄関に回すように伝えてくれ」
「旦那様が最初にお引き取りを願った時点で、正面玄関に馬車を引き出すように裏に伝えてあります」
「そうか。それでは私達は見送りをしないから、彼らが玄関ホールの物を壊したりしないかどうかだけ見ておいてくれ」
「畏まりました」
万事心得た執事の差配に、ジェフリーは僅かに頬を緩めて頷いた。しかしすぐに軽く睨みながらカテリーナに尋ねる。
「カテリーナ。戻ったら部屋にいるように伝えておいた筈だが?」
「ジュール兄様から伝言は聞きましたが、無視させて貰いました」
「全くお前は……。本当に先が思いやられるぞ」
ジェフリーは愚痴っぽく呟いたが、すぐに孫二人を抱えているリサに気がつき、できるだけ優しい声で言い聞かせた。
「リサは二人を連れて、部屋に戻って良いぞ。呼びつけて悪かったな。カテリーナは少し残れ」
「分かりました。それじゃあミリアーナ、行くわよ? カテリーナは後で遊んでくれますからね」
「うん! カテリーナ、あとでね!」
「ええ、後で」
素直にリサが頷いてミリアーナを促し、子供ながらもう大丈夫だと判断できたらしい彼女が、満面の笑みでカテリーナに手を振る。カテリーナも笑顔で手を振り返し、リサ達も応接室を出て行ってから、ジェフリーが渋面になりながら話を切り出した。
「お前も、事情は大体分かったな?」
「到着時にジュール兄様から聞きましたし、こちらでの一連の話で理解したつもりです。それにしても、随分と虫のよい話を持ちかけたものですね」
半ば呆れながらカテリーナが応じると、イーリスが溜め息を吐いて補足説明をしてくる。
「一応、温情はかけたのですよ? 当初『子供を放置したのは、ガロア侯爵家で養育して貰った方が娘達の為になるからだと思ったからだ。だが母親として娘達への情を断ちがたく、恥を忍んで出向いてきた』とか言うものですから」
「恥知らずと言っても良いですよね?」
礼儀や配慮などかなぐり捨て、カテリーナが思ったことを正直に口にしたが、その場の誰も咎めたりはしなかった。
「それで『息子も娘との生活を奪われて、慣れない領地で必死に自分の生活を築き上げている最中です。息子と再婚して領地で娘達を育てる心積もりなら、私達が口を挟むつもりはありません』と言ったら、なんと言ったと思う?」
「相当不愉快な事を口走ったとしか思えませんが……」
「『廃嫡されるような人間を父親呼ばわりしなければならないなんて、娘達が不憫過ぎます。私は一人でも立派に娘達を育ててみせますわ』と自信満々にほざきおった」
イーリスに続いて、ジェフリーが吐き捨てるように口にした内容を聞いて、カテリーナは思わず遠い目をしてしまった。
「擁護する要素は皆無ですね。ジェスラン兄様が廃嫡されたのには、あの方にも責任はあるでしょうに」
「とにかく、ミリアーナとアイリーンは我が家で責任を持って養育する。未来永劫ダトラール侯爵家に身柄は渡さんし、交流をさせるつもりはない。しかし二人が長ずるに従って、実の親を慕い恋しがることもあるかもしれん。イーリス、その時は全責任は私にあると、二人に告げてくれ。ジュール、カテリーナ、お前達が証人だ」
険しい表情で、ジェフリーが決意を述べた。その言葉を、他の三人が真剣な面持ちで受け止める。
「そういう事態にならないように、私達で頑張って二人を健やかに育てましょう。ミレディア様ともお約束しましたもの。責任を放棄したり同じ過ちを繰り返して、本当の愚か者にはなりたくありませんわ」
「父上だけの責任ではありません。ガロア侯爵家全員に、等しく責任があります」
「その通りです。元はと言えば十分私にも責任があります。あの二人には、できるだけの事をしてあげるつもりです」
「そうだな。よろしく頼む」
力強く請け負った妻子達に、ジェフリーは僅かに表情を緩めながら頷いた。
その日の夜、一緒に遊び倒した姪達から就寝の挨拶を貰ってから、カテリーナは自室へと戻った。すると待ち構えていたルイザが、笑顔で声をかけてくる。
「カテリーナ様。お嬢様達のお相手、ご苦労様でした。先程、お嬢様達つきのメイドと廊下で顔を合わせたのですが、『今日はミリアーナ様とアイリーン様がとても楽しそうにお過ごしで、見ているこちらも嬉しい』と言っておりました」
「楽しく過ごしてくれたのなら良かったわ。あんな事があった後だし。ミリアーナにトラウマが残ったりしないか心配よ」
「今日は本当にお疲れさまでした。戻った早々にあんな修羅場に遭遇されるだなんて、間が悪いと言うかなんと言うか……」
しみじみと同情する口調で言われてしまったカテリーナは、何気なく問いを発した。
「当然、今日の事はナジェークに報告するのよね?」
「もう報告済です。どこぞの夜会等でシェーグレン公爵家の皆様と遭遇した時に、自分達との関係性を吹聴しないとも限りませんから」
真顔で即答されてしまったカテリーナは、ルイザの有能さに素直に感心した。と同時に疑問を覚える。
「本当に、仕事が早いわね。だけど『関係性を吹聴』って……。あの人達、ナジェークに向かって『あなたの結婚相手の姪が、私どもの姪に当たりますから、今後とも宜しく』とか、本当に言うつもりかしら? 大して関係性は無いわよね?」
「貴族社会なんて、あちこちで繋がってますからね。普通だったら、それくらいのアピールはどうという事もないと思いますが……。でもそんな事をナジェーク様に対して嬉々として口にしようものなら、『ああ、そちらの出戻った妹さんが婚家に置き去りにして、そちらとは絶縁されたお嬢さん達のことですね。まだ幼いのに両親に捨てられるとは、大変気の毒に思っております。薄情な母親や強欲な母方の伯父伯母の分まで、可愛がってあげるつもりですよ』と大声で暴露しそうです。向こうの面目は丸潰れではないですか?」
「やりかねないわね……」
ルイザは淡々と推察を述べ、カテリーナは苦笑することしかできなかった。
「話は変わりますが、カテリーナ様のお輿入れについてご報告が。カテリーナ様のお世話係として、私がシェーグレン公爵家に付き従うことになりました。この間、カテリーナ様に付くことが多かったですし、気心も知れているだろうからどうかと、今日奥様から打診を受けました」
それを聞いたカテリーナは、瞬時に笑顔で応じた。
「本当!? 私もルイザが一緒に来てくれたら嬉しいわ! あ、ルイザは、正確にはシェーグレン公爵邸に戻ることになるの?」
「いいえ。私は元々公爵領のお屋敷勤めをしておりまして、そこのメイド長からナジェーク様に推薦されたものですから。でも領地のお屋敷勤務から王都の公爵邸勤務になる使用人は多いので、今現在も何人か面識がある者がおります。ガロア侯爵邸からカテリーナ様と共に移ったら、確実に不審がられますね」
「あなたが密偵としてこの屋敷に潜り込んでいたのを知っている人は、ごく少数だったでしょうしね。でもそこら辺は、ナジェークが該当者を上手く言いくるめておくのではない?」
「おそらくそうなるかと。驚愕する皆の顔が目に浮かびます。直に見れないのが残念ですね。あ、それから、ささやかで申し訳ないのですが、私からカテリーナ様に結婚のお祝いを差し上げたいのですが」
「え? ルイザから? なんだか申し訳ないけど……」
「そう仰らずに、宜しかったら受け取ってください」
「ありがとう、嬉しいわ」
恐縮しているカテリーナに、ルイザは棚の一つに入れておいた包みを取り出して差し出す。
「カテリーナ様は、ナジェーク様の姉君であるコーネリア・ヴァン・クリセード様が、エセリア様とはまた別の分野で執筆活動をされているのはご存知ですか? 本棚には著作物がございませんので、お読みになった事はないかと思いますが。それとも寮の自室にはございますか?」
真顔で確認を入れられたカテリーナは、顔が引き攣りそうになるのを堪えながら答えた。
「その……、義理の両親であるクリセード侯爵夫妻公認で、何年も前から堂々と執筆活動をされておられるのは知っているけど……。これまで著作物に目を通したことはなかったわね……」
「今後コーネリア様とお会いした時、作品の話など出るかもしれませんので、話題作りも兼ねて何冊か読んでおかれた方が良いのではないかと愚考いたします。進呈しますので、どうぞお読みください」
そう言ってルイザが差し出してきた数冊が包まれたそれを、カテリーナは素直に受け取った。
「……ありがとう。ルイザは本当に優秀ね」
「恐れ入ります」
ただでさえ慌ただしく過ごしているのに、読書も必須事項になった事態に、カテリーナは必至で項垂れたいのを堪えたのだった。
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