(8)家族一丸での撃退

「まあまあ、カテリーナ様、お久し振りですこと! お元気そうで何よりですわ!」

「この度はシェーグレン公爵家のナジェーク殿と、ご婚約されたとのこと。心よりお祝いを申し上げます」

(これまではあからさまに見下してきたのに、いきなり私を様付けの上に、猫撫で声でご機嫌伺いですか……。見事な手のひら返しで、寧ろ天晴れですね、ダトラール侯爵。侯爵夫人もさすがです)

 直に接した事は数えるしかないまでも、以前とは明らかに異なる二人の態度に、カテリーナは不快に思うのを通り越して感心してしまった。そこで、満面の笑みを浮かべながら言葉を返す。


「ありがとうございます。騎士として王家に一生を捧げるつもりでおりましたが、奇特にもこのままの私で良いと受け入れてくださる方に巡り会えました。仮にも侯爵令嬢であるのに、つまらぬ騎士もどきの装いなど品性を汚すだけだと誹謗中傷も受けておりましたが、そんな些末な事を気にも留めず、任務に邁進してきて良かったと思っております」

「そうですな……」

「シェーグレン公爵家は、色々と革新的な家風のようで……」

(これくらいの嫌みを最初にぶつけても、問題ないわよね。義姉様の言動から、この人達が陰で散々私を貶していたこと位、容易に想像できるもの。屋敷内ではミリアーナ達の手前、呼称は義姉様にしているけれど増長されるのは嫌だから、あなた達を面と向かって身内呼ばわりするつもりは皆無よ)

 どこか憮然としている夫婦に余裕の笑みで応じてから、カテリーナは固い表情のままのエリーゼに向き直った。


「エリーゼ様もお久し振りです。何やら人伝にダトラール侯爵領の方に出向いておられたと伺いましたが、お健やかにお過ごしのようでなによりです。色々と煩わしい事がある王都で過ごすより、向こうの空気がお合いになったようですね」

「なんですって!? あんな田舎に押し込められて、私がどれだけ!」

 軽い皮肉をぶつけた途端、エリーゼが血相を変えて声を荒らげた。しかしそれを、彼女の兄夫婦の叱責の声が遮る。


「エリーゼ! さっさとカテリーナ様に挨拶しないか!」

「カテリーナ様と比べると不調法で、本当に申し訳ありません。侯爵家の人間として、恥ずかしい限りですわ」

「…………っ!」

(なんだかもう、まともに相手にするのも馬鹿馬鹿しくなってきたのだけど……)

 妹を他人の前で盛大に叱りつけながら、相変わらず愛想笑いを振り撒いている夫婦に、カテリーナは笑顔を保つのすら難しくなってきた。すると歯軋りせんばかりの表情だったエリーゼが、なんとか怒気を抑え込みながら神妙に挨拶の言葉を口にしてくる。


「……カテリーナ様、ご無沙汰しております。この度はご婚約、おめでとうございます」

「ありがとうございます。どんなご用でいらしたのかは分かりませんが、ダトラール侯爵夫妻と共にお寛ぎください」

 カテリーナは平坦な声での挨拶に相応しく、淡々と応じて話を切り上げた。そして両親に向き直って断りを入れる。


「それではお父様、お母様。お客様へのご挨拶も済みましたので、ミリアーナとアイリーンの相手をしようと思います。一緒に引き上げてよろしいですね? さあ、ミリアーナ。行きましょうか。リサ義姉様もご一緒に」

「うん!」

「え、ええ……、それでは失礼します」

 カテリーナに促されたミリアーナは嬉々として、まだ幼くて全く状況が分かっていないアイリーンを抱きかかえたままのリサは、周囲に視線を向けてからドアに向かって歩き出した。しかし怒りの形相になったエリーゼが詰め寄り、ミリアーナの腕を掴んで問答無用で引き寄せようとする。


「待ちなさい! 話は終わっていないわ! それにミリアーナとアイリーンは私の娘なのよ! こっちに来なさい!」

「いやぁあぁ!」

 本気で嫌がっているミリアーナの悲鳴に、カテローナは反射的に動いた。

「ミリアーナから手を放しなさい!」

「カテリーナ!」

 素早く手を伸ばしてエリーゼの手を掴み、乱暴にミリアーナの腕からその手を引き剥がす。自由になったミリアーナはすかさずカテリーナの後ろに回り込み、エリーゼの視界から逃れた。


「何をするのよ! 乱暴ね!」

「それはこちらの台詞よ! 今の今まで母親らしい事をまともにしてこなかった挙げ句、子供を放置して出ていったくせに、何様のつもり!?」

 怒鳴り合う女二人に恐れをなしたのか、ミリアーナは泣き叫びながらリサに走り寄り、そのスカートにしがみついた。


「やだぁあぁぁっ! かあさまぁぁっ!」

「大丈夫よ、ミリアーナ。誰もあなたを他の人に渡したりしないわ。安心して」

「ふざけないで! その子の母親は私よ!」

 リサはアイリーンを片手で抱えながら、しがみつくミリアーナの頭を撫でつつ優しく言い聞かせる。カテリーナが目の前に立ち塞がり、ミリアーナ達に近寄れないエリーゼが憤慨しながら叫んだが、ここでジェフリーの冷静な声が割り込んだ。


「結果は明白ですな。先程から『幼い娘達には母親が必要だ』とそちらが主張して譲らないから、一応ミリアーナとアイリーンを連れてこさせたが、残念な事に二人とも彼女を母親とは認識していない。今後二人をあなた方と関わらせるつもりは微塵もないので、即刻退去していただこう」

「何だと!」

「そんな物言いは失礼ではありませんか!」

 通告を受けたダトラール侯爵夫妻はいきり立ったが、自分勝手な言動に怒り心頭に発していたカテリーナは、彼らに向かって言い放った。


「失礼ですって? 笑わせないでいただけますか? 自分達の都合で娘や姪を道具扱いする品性下劣な人間に対する礼儀なんて、生憎持ち合わせてはおりません!」

「カテリーナ、そこまでだ」

「お父様!」

 短く制止されて、父親がまだ相手に対して配慮するつもりかと腹を立てたカテリーナだったが、ジェフリーはゆっくりソファーから立ち上がりながら、招かれざる客に対して最後通牒を突き付けた。


「先程、即刻お帰りいただきたいとお伝えしたが、ご理解いただけませんでしたかな? そうであれば力ずくてお帰りいただくしかないが」

「なっ!?」

「ご冗談を!」

「生憎、私は冗談が上手くない上に、嫌いでしてな。ジュール、カテリーナ。残念な事に、ダトラール侯爵家の皆様は、揃いも揃って理解力が足りないお方揃いのようだ。私だけで手に余るようなら、手を貸してくれ」

 どう見ても本気でしかありえないジェフリーを見て、ダトラール侯爵夫妻は揃って顔色を変えた。対するカテリーナとジュールは一瞬呆気に取られたものの、すぐに含み笑いで父親の要請に応える。


「お任せください。ジャスティンには負けますが、幼い頃から父上に鍛えて貰った腕は、まだ鈍っておりません。荒事にはそれなりに自信があります」

「私は女でも現役の近衛騎士です。素人相手に剣など使わずとも、拳一つで不埒者など撃退できますわ。某伯爵家の古びた石像程度なら粉砕できますし、遠慮なくお申し付けください」

「カテリーナ。一応言っておくが、さすがに生きている人間の顔を潰したら、色々差し障りがあると思うぞ?」

「それでは顔ではなく、面子を潰す分には差し支えありませんよね?」

「それくらいは十分許容範囲内だな」

 にこやかに語り合う兄妹に対し、ダトラール侯爵夫妻が憤怒の形相で怒鳴りつける。


「ふざけるな! この野蛮人どもが!」

「下品な人間が調子に乗ると、醜悪極まりないわね!!」

 そこで緊迫したこの場には少々相応しくない、穏やかでのんびりとした声が割り込んだ。


「本当に、幼子との血縁をひけらかして、自分達の権勢を増そうなどと下世話な事を目論む下品な人間が調子に乗ると、醜悪極まりないですわね。加えてそのような方の負け犬の遠吠えなど、羽虫の羽音ごときささやかなものですわ。できれば周囲が耳を傾けたくなるような主張をしていただきたいと願うのは、過ぎたる望みでしょうか」

「…………っ!」

(お母様、笑顔が凄まじく怖いのですが……。こんなお母様を初めて目の当たりにしたわ)

 微笑みながらも、相手を完全に見下すような冷え切った視線をイーリスから向けられたダトラール侯爵夫妻は、怒りのあまり顔を紅潮させた。そして挨拶の言葉も無しに、エリーゼを引きずるようにして応接室から足音荒く出て行く。

 三人が廊下に姿を消すと同時に室内に安堵の空気が漂い、ジェフリーはこの間無言で控えていた執事に声をかけた。

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