(13)カテリーナの困惑

 学年末も間近に迫ったある日。カテリーナは隠し部屋に出向くなり、ナジェークから頼まれた内容を聞いて困惑した。


「カテリーナ。ちょっと手を貸してくれないかな?」

「良いけど、何をするの?」

「いや、純粋な意味で、手を貸して欲しいんだが。ちょっと手を握ったり、触らせて欲しいと言う意味だ」

 てっきり何かを運んだり動かす人手が欲しいのかと考えた彼女は、かなり胡散臭さそうにナジェークを見やった。


「あなた……、実は変な趣味があるの?」

「そういうわけでは無いんだが……、どうしても駄目かな?」

 苦笑いしながら再度頼み込んできた彼を軽く睨み付けながら、カテリーナは考えを巡らせた。


(手を握る程度で嫌だなんて言ったら、誰とも握手なんかできないし、そんなに怖がっているのかと思われるのも不本意だわ)

 そんな風に自分を納得させた彼女は、ナジェークに向かって鷹揚に頷く。


「構わないわよ。どうぞ」

「申し訳ない。なるべく早く終わらせるから」

 そして彼は差し出された彼女の右手を、両手で握ったりあちこちさすったりしつつ、「ああ、うん。なるほど」などと独り言を呟きながら、注意深く観察を続けた。しかしさすがに何をやっているのか分からないカテリーナが、苛立たしげに声をかける。


「あの……、あなたさっきから、一体何をやっているの?」

「ちょっとね。次は左手を触らせて貰うよ?」

「……好きにして」

 平然と次の要求を繰り出してきたナジェークに、カテリーナは文句を言うのも面倒になり、言われた通り左手を差し出した。


(何なの? 凄い真剣な顔だし、確かに手を触ったり撫で回すのが趣味というわけでも無さそうだけど……)

 真剣に自分の手を撫で回しながら検分しているナジェークを、半ば呆れながらカテリーナが観察していると、彼がようやく手を離して口を開いた。


「大体分かったから、これで良いよ。どうもありがとう」

「何が分かったというの?」

「ちょっとね」

「相変わらずの秘密主義ね」

「別に、隠し事をするのが趣味では無いが?」

「あら、てっきりそうだと思っていたわ」

 カテリーナの皮肉をサラリとかわしたナジェークは、続けて話題を変えてきた。


「ところで、兄夫婦が目論んでいた君の縁談が、また一つ潰れたそうだね」

「直接の原因は、ティアド伯爵邸であなたと男装同士で踊った“あれ”だけど。相変わらず、耳が早いのね。確かに屋敷の使用人全員を見知っているわけでは無いし、入れ替わっている人も何人かは知っているけど、一体誰があなたの密偵なの?」

 この間、抱えていた疑問を思い出したカテリーナは、それを相手にぶつけてみたが、ナジェークはおかしそうに笑っただけだった。


「君が、思った事が顔に出やすいタイプだとは思っていないが、その人物を目にした時にいつも通りの対応ができるのかどうか、判断できないからね。当面、秘密にさせて貰うよ」

「それなら、男女どちらかも教えて貰えないわけね?」

「当然、そうなるね」

「分かったわ」

 もとよりあっさり答えないだろうと想像してはいたカテリーナは、しつこく食い下がったりはしなかった。そんな彼女を見て、ナジェークが笑みを深めながら話を続ける。


「今度の休暇で屋敷に戻ったら、さぞかし兄夫婦にネチネチ言われるのだろうな。まあ、気落ちせずに頑張ってくれ」

 それを聞いたカテリーナが、些か気分を害したように彼を睨み付ける。


「……結局、嫌みが言いたかったの?」

「とんでもない。私の愛しい人が胸を痛めているのに、傍観するしかできない自分を、実に不甲斐なく感じているだけさ」

「お気遣い、どうもありがとうございます」

 大仰な言い方にカテリーナは素っ気なく言い返し、それがナジェークの笑いを誘ったらしく、彼は口元を押さえて笑いを堪える素振りを見せた。


(本当に、どこまで真面目でどこまでふざけているのか、全然分からないわね)

 そしてカテリーナは憮然としながらも、それからおとなしく本を読み始め、何事もなく平穏にひと時を過ごした。

 その後夕食時近くなり、食堂に向かっていたカテリーナは、見慣れた後ろ姿を認めて駆け寄りながら声をかけた。


「あ、イズファイン! ちょうど良かったわ。ちょっと時間を貰っても良いかしら?」

「ああ、構わないよ。それで何の用だい?」

 すぐに立ち止まって応じてくれた友人に、カテリーナは早速本題を切り出す。


「今度我が家で開く、私の誕生日パーティーに呼ばれているでしょう?」

「ああ。毎年呼ばれているし、今年も招待状がきていたね。勿論、出席するつもりだが」

「厚かましいお願いだけど、私へのプレゼントとして、準備して欲しいものがあるの。費用は私が出すわ」

 それを聞いたイズファインは、意外そうな顔になった。


「君がプレゼントの指定だなんて珍しいな。と言うか、初めてだね。一体、何が欲しいんだい?」

「それが……」

 カテリーナが周囲を行き交う生徒達に聞こえないように、幾分声を潜めて説明すると、彼は黙ったまま僅かに動揺した顔になった。


「やっぱりこういう物は、準備していなかったわよね?」

 彼女が申しわけなさそうに確認をいれると、イズファインは何とか気を取り直しながら答える。


「ああ……、でも準備しておいた物に関しては、他に幾らでも使い回しが利くから、それは心配しないで良いよ。だけどそういう物を持ち込んだら非常識だと言われて、父上と母上が渋い顔をするかもしれないから、事前にきちんと説得しておかないといけないな」

「面倒をかける事になって、ごめんなさい」

「気にしなくて良いよ。それに君とナジェークは、ある意味お似合いだなと改めて思った」

「どうしていきなり、彼の名前が出てくるの?」

 すぐにいつもの調子を取り戻したイズファインが、笑いを堪える表情でそんな事を言い出した為、カテリーナは首を傾げた。すると彼は、困ったように尋ね返す。


「ナジェークは君には内緒にしておいて、当日驚かせるとか言っていたから、何も聞いてはいないだろう?」

「『当日』って……、まさかあの人、誕生日パーティーで何かする気なの!? だって招待状なんか送っていないわよ?」

「あいつ自身は出席しないが、間接的にと言うか……、既に俺が巻き込まれていると言うか……」

 そんな風に言葉を濁したイズファインを見て、カテリーナはもう何度目になるか分からない忠告を口にした。


「何度も言っているけど、友人は選んだ方が良いわよ?」

「カテリーナこそ、ちょっと早まったような気がしていないかい?」

「……少しだけ」

 そこで二人は何とも言えない顔を見合わせて、深い溜め息を吐いた。



 ※※※



 カテリーナが誕生日パーティー前日、休暇で屋敷に戻ると、自室に向かう途中でエリーゼとかち合った。

「あら、お帰りなさい。元気そうで何よりね」

「ただいま戻りました、お義姉様」

 そのまますれ違うつもりだった彼女に、エリーゼが引き止めるように声をかけてくる。


「ところで明日は、あなたの誕生日パーティーを開催する予定だけど、まさか男装するつもりでは無いでしょうね?」

「他から要請されてはおりませんし、普通にドレス姿のつもりでしたが。それが何か?」

「……変にみすぼらしいドレスでは無いでしょうね?」

 あっさりと応じた義妹に、エリーゼが不審そうな顔つきで追及したが、カテリーナは事も無げに返した。


「貧相過ぎず派手過ぎず、我が家の家風から外れないドレスを、以前の休暇の時にお母様と共に仕立て屋に出向いて指示してきました。ですから、お義姉様にご心配されるような事はございませんわ」

「それなら良いのよ」

「そうですか。それでは失礼します」

 胡散臭そうな目で見送られながら、カテリーナは廊下を進んで自室に入り、荷物をテーブルに置いてから独り言を漏らした。


「私の誕生日パーティーだから小規模だし、必然的にごく親しくお付き合いしている家の方々ばかり招いている筈なのに、どうせ何とか理由を付けて次の縁談の相手も招待しているのでしょうね」

 苦笑しながらソファーに座ったカテリーナだったが、すぐに難しい顔になる。


「だけどナジェークが掴んで教えてくれたあの情報、本当なのかしら? 私には聞かなくとも、お母様に確認を入れれば、すぐに分かる事なのに……」

 そう自問自答したカテリーナだったが、この休暇中自分付きとなった侍女がお茶を運んで来てくれた為、一旦思考を中断してそれを味わう事に専念した。

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