(7)不愉快な遭遇

 不本意すぎる縁談話を聞かされてからも、カテリーナは傍目には変わりなく勤務を続けていたが、昼に一人で食事をしていた時にその事を思い出し、険しい表情で考え込んだ。

(全く……、ろくでもない縁談を持ち込むお兄様達もお兄様達だけど、詳細を私に伝えないまま無茶ぶりをするナジェークはもっとろくでもないわね)

 小さく悪態を吐きながら食べ進めていると、横から声がかけられる。


「カテリーナ。隣、空いてるわよね? 座って構わない?」

 反射的に見上げると、両手でトレーを持ったティナレアがおり、カテリーナは笑顔で空いている椅子を指し示しながら答えた。


「どうぞ、座って。ティナレアは今から休憩?」

「そうなの。明後日が建国記念式典だし、色々バタバタしているみたいね」

「確かに昨日辺りから、各国からの招待客が続々到着しているから、警備も大変だわ」

「ところで、さっきなんだか難しい顔をしていたけど、どうかしたの?」

 椅子に座るなり真顔で尋ねてきたティナレアに、カテリーナは意外そうに問い返す。


「え? ティナレアにはそう見えた?」

「う~ん、なんとなく? ちょっと珍しいなと思った程度だけど」

 軽く首を傾げてから食べ始めた友人を見て、カテリーナは苦笑いの表情になった。


「ティナレアとは学園以来の付き合いだから、分かってしまったのかしら? 実は少々、腹立たしい事があるのだけど」

「一体なに? 普段冷静なカテリーナが、そんな風に言うなんて。悩んでいる事があれば、相談に乗るわよ? 実際に助けになるかどうかは分からないけど、話をするだけで気分が楽になる場合だってあるし」

「う~ん、でも、そんなに心配しなくても大丈夫よ? 近々解決予定だし」

「そう? それなら良いけど」

 ティナレアが不思議そうな顔をしながらも話を打ち切ったところで、上方からどことなく人を馬鹿にするような声が聞こえてきた。


「おや? 誰かと思えば、未来の花嫁殿じゃないか」

「……え?」

「ふん、まあまあ見られるか」

 何気なく声がした方を仰ぎ見たカテリーナだったが、いきなり伸ばされた手で顎を掴まれ、かなり乱暴に顔の向きを変えさせられる。その視線の先にほくそ笑んでいるダマールを認めたカテリーナは、微塵も躊躇わずに自分の顎を捕らえている手首を、渾身の力で平手打ちした。


「失礼な! 何をするんですか!?」

「カテリーナ!」

 平手打ちの音がその場に響くとともに、カテリーナの憤慨した声とティナレアの悲鳴じみた声が上がり、否応なく食堂中の注目を浴びてしまう。何事かと周囲が怪訝な顔で見守る中、自分の腰巾着の騎士を背後に従えたダマールは、打たれた拍子にカテリーナの顎から離してしまった右手の手首を軽くさすりながら、上から目線で尊大に言い放った。


「はっ! 噂通り、鼻っ柱の強い女だな。だが怪力女と名高い割には、恥ずかしくない容姿だったから安心したぞ。酷いご面相の女を連れ歩くのは、真っ平ごめんだからな」

 それを聞いたティナレアが、要領を得ない顔つきで問い返す。


「……はぁ? 『未来の花嫁』って、何を言っているの?」

「ティナレア。単にその人が、暴力を振るう事と妄想を垂れ流す事を趣味にしているだけよ。傍迷惑なだけだし、一々相手にすることはないわ」

「ほう? 我が家とガロア侯爵家の間で、俺とお前の婚約が成立したのが、妄想だとでも言うつもりか?」

 そんな双方の言い分を聞いたティナレアは驚愕し、それは周囲の者達も同様だったとみえて、食堂内の空気がざわりと動いた。


「カテリーナ!? ちょっと! 私そんな話、全然聞いてないけど!? 本当なの!?」

「話自体は確かにあるわね。それで今月中に、カモスタット伯爵邸で開催される午餐会で、ごく親しい方々に婚約をご報告することになっているけど。だからまだ正式には、婚約は成立してはいないわよ」

「それはそうかもしれないけど! 家同士でそこまで話が纏まっているなら、婚約したのも同然じゃない!」

「全くだな。少しは未来の夫に対して、言う事があるんじゃないか?」

「平然と立場の弱い者を虐げ、上の者には巧言令色を駆使し、己の立場を取り繕うごとき振る舞いは、軽蔑に値します」

「…………」

 全く臆する事無く平然と言い返したカテリーナは、そのままダマールとの睨み合いに突入した。それに口を挟める筈もないティナレアは顔色を悪くしながらそれを見守り、他の者達も緊張の面持ちで様子を窺う。すると心底面白くなさそうに、ダマールが悪態を吐いた。


「……随分と生意気な口をきくな。まあ、暴れ馬は調教が必要だと、相場が決まっているからな。己の立場を分からせてやるぞ。馬も女も、乗りこなすのは得意だからな。精々楽しませてくれ」

 捨て台詞を吐いてからダマールは取り巻き連中を引き連れて離れていったが、しらけきった表情のカテリーナは、そんな彼らに目もくれなかった。


「もう食べ終えていて良かったわ。あんな下品で無礼な人と食事前に顔を合わせていたら、食欲が失せていたわよ。午後の勤務に差し支える」

「カテリーナ! そんな呑気な事を言っている場合!? あなた本当に、あんな奴と結婚するつもりなの!?」

 ここで周囲からの好奇心に満ちた視線を物ともせずに、ティナレアが声を荒らげてカテリーナに詰め寄ったが、カテリーナは迂闊にナジェークの企みについて言及できず、素っ気なく言葉を返すだけに留める。


「私は無いけど、相手はそのつもりみたいね。でも案外これまでと同じように、向こうから断ってくるんじゃないかしら?」

「そんな筈ないでしょう!? 両家で話が纏まっているなら、婚約破棄なんかになったら両家の体面にも関わるのよ? 全くもう! ガロア侯爵は、どうしてこんな縁談を受けたのよ! あ、そう言えばジャスティン隊長は、妹の縁談なのに、反対しなかったわけ!?」

「ジャスティン兄様はとっくに家を出ているし、この縁談には関わっていないから。それよりティナレア。早く食べないと、午後の勤務開始時間に遅れるわよ? 私はそろそろ行くわね?」

「くぅうぅっ! 分かったわよ、食べるわよ!」

 そこで話を切り上げる事ができたカテリーナは安堵して一息ついたが、一人テーブルに取り残されたティナレアは、怒りに任せてもの凄い勢いで昼食を食べ進めた。


(全く、カテリーナったら、他人事みたいに飄々としているんだから! ひょっとして、もう諦めてしまっているとか? ……いえ、例えそうでも、絶対にこんな話は許せないわ! でもとにかく、今日の仕事を終わらせてからの話よね!)

 突然降って湧いた友人の災難について、ティナレアは断固抗議する事を決意し、取り敢えず午後の仕事を問題なく済ませてから近衛騎士団の管理棟に向かった。



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