(3)できる事からコツコツと

「イズファイン様、サビーネ様。お二人の誠実なお人柄を見込んで、是非お願いしたい事があるのです。今からお話しする事は、他言無用でお願いします」

 ある日、兄と自分の友人であり、婚約者同士である二人を屋敷に招いたエセリアは、ナジェークと共にテーブルを囲んでお茶を飲み始めた直後、そう切り出して頭を下げた。


「どういう事ですか?」

「改まって、何事でしょう?」

 事前に何も聞かされておらず、戸惑った顔になった二人に向かって、エセリアが真顔で爆弾発言を繰り出す。


「単刀直入に申し上げますと、私、グラディクト殿下に好意など持てませんの。もっとはっきり申し上げますと、あの方との婚約を解消したいのです」

「何ですって?」

「エセリア様?」

「…………」

 客人二人は驚きに目を見開いたが、ナジェークは無言でお茶を口に含んだ。しかしすぐにイズファインが、声を荒げてエセリアを問い質す。


「お待ち下さい、エセリア嬢! 仮にも王太子殿下との婚約を、そうそう簡単に解消できる筈も無いでしょう!」

 それに対するエセリアの声は、落ち着き払った物だった。


「勿論、王命という形で整えられた話を、公爵家である我が家の方から断る事は、事実上不可能です」

「そこまでお分かりなら!」

「ですから、グラディクト殿下側から婚約破棄して下さるように、誘導もしくは工作すればよろしいかと」

「論点がずれています! ナジェーク、君は実の兄だろう!? 黙っていないで、何とか言ったらどうだ!」

 思わずイズファインが叱りつけたが、ナジェークはカップを口から離し、しみじみとした口調で自分の考えを述べた。


「これまでのあれこれを見ていて……、突拍子もない事を次々としでかすエセリアが王妃になった場合の、この国の未来に何となく不安を覚え始めていたから、寧ろその方が良いかもしれない……」

「ナジェーク! お前、そんな事を」

 実の兄が何を言っているのかと、声を荒げかけたイズファインだったが、ここで力強い声が彼の主張を遮った。


「私は、エセリア様の意向に賛同いたします! グラディクト殿下はエセリア様に相応しくありませんわ!」

「サビーネ!? 君までいきなり、何を言い出すんだ!」

 婚約者の暴言とも言える発言を聞いて、彼は即座に顔色を変えたが、サビーネは堂々と主張を続けた。


「イズファイン様。これは、私個人の考えではございませんのよ? 紫蘭会会員の総意です」

「はぁ? 『紫蘭会』とは何の事だ?」

 意味が分からず、本気で首を傾げたイズファインだったが、他の二人も不思議そうな顔になった。そんな中、サビーネの解説が続く。


「ワーレス商会書庫分店奥に設置されている、通称『紫の間』。正式名称『男性同士恋愛本展示即売の間』に入る事を許可された方々の会ですわ。主催者であるコーネリア様が、紫蘭会会長兼会員番号1番でいらして、事務局長で副会長兼会員番号2番がラミア様です!」

「…………」

「あの……、そんなものができていたの?」

 サビーネがそう告げると男二人は押し黙り、完全に初耳の内容に、エセリアは微妙に顔を引き攣らせながら問いを発した。するとサビーネが得意満面で続ける。


「はい。男恋本の類は公に宣伝せず、普通の本とは分離販売する事で総主教会側から販売許可を得たので、ラミアさんはそれを逆手に取って、その秘匿性と特殊性と選抜制を全面的に押し出す事にしたとか。今、若い貴族女性の間では、紫蘭会の会員になる事が、密かなブームですのよ?」

「ラミアさん……、根っからの商売人ね……。ある意味、凄いわ」

 本気で感心しているエセリアに対して、サビーネが笑顔で説明を続ける。


「その紫の間に入るには、既に会員になっている方に同伴して頂かないと駄目なのです。そして申請して会員として認められれば、紫の生地に黒糸で、蘭の花と会員番号が刺繍されたハンカチを渡されますので、次回以降はそれを見せて入室させて貰うのです」

「この二年程、教会の事業絡みで色々忙しくて、直接ワーレス商会に出向いていなかったら、そんな事になっていたなんて……」

 がっくりと項垂れたエセリアだったが、ここで何とか気を取り直したイズファインが、恐る恐る口を挟んだ。


「あの……、そんな面倒な事をしたら、あまり客が集まらないのではないかな?」

「会員番号は、もう四百番を突破していますわ。新しい会員を増やすべく、折に触れ普及活動をしていますもの。会員番号9番の身としては、当然ですわね!」

「9番……」

「一桁ですか……」

「発足時からのメンバーっぽいわね」

 力強く宣言し、「おほほほほ」と高笑いしながら胸を張ったサビーネを見て、三人は思わず遠い目をしてしまった。そこでサビーネが、急に険しい顔つきになって主張し始める。


「それで『紫の間』で会員が顔を合わせる時に、度々話題に上るのがエセリア様の事なのです。皆様、エセリア様が男恋本ジャンルの先駆者で、第一人者であるとご存じですもの。暗黙の了解で、口外してはおりませんが」

「だっ、男恋本っ……、先駆者って……、サビーネ!?」

 どうやらそれも知らなかったらしいイズファインが、婚約者とエセリアの顔を交互に見やりながら、顔を赤くしたり青くしたが、エセリアとナジェークは無言を貫いた。そんな微妙な空気の中、サビーネが語気強く訴える。


「それなのにこのまま本当に王太子妃におなりになった場合、色々な公務に参加しなければいけませんから、執筆活動に時間を割けなくなる以前に、『王太子妃がその様な本を執筆するなど、言語道断!』と、頭の固い年寄り連中に妨害されるのは目に見えています! これは少し前から貴族平民問わず会員間で議論されている、一大問題なのですわ!」

「…………」

(それが、身分問わず議論する内容なんだろうか?)

 三人が微妙な顔で黙り込んでいると、制止されないのを幸い、サビーネの主張が続いた。


「それに先程申しました様に、王太子殿下ご自身にも不満がありますわ」

「サビーネ!? 滅多な事を言うものでは無い!」

 思わず叱りつけたイズファインだったが、サビーネは全く恐れ入る事なく話を続ける。


「かのお方が婚約者のエセリア様を同伴して、各種行事やパーティーに参加した時に何回か遭遇しておりますが、エセリア様に対する気遣いや配慮と言う物が、殆ど見受けられませんもの。挙げ句の果て、知識が豊富で人知れず数々の実績を上げているエセリア様の交友関係が広いのは当たり前ですのに、たくさんの人に囲まれているエセリア様に向かって、『女の癖に出しゃばるな』とか言って、その場の空気を悪くするありさま」

 そこで呆れ顔で溜め息を吐いてみせたサビーネに対して、イズファインは一応グラディクトを庇おうとした。


「いや……、それは確かに、殿下も言い過ぎたのかもしれないが……。やはりまだ、お若いのだから」

「エセリア様と同年齢ですわ。ですから余計に、あの方のできなさっぷりと空気の読めなさっぷりが、際立っているのではないですか」

「…………」

(そりゃあまあ、社会人生活の記憶はおぼろげにあるし、社交辞令なんかは染み付いちゃってるから、本当の子供と比較するのは酷なんだけどね)

 イズファインが弁解できずに黙り込む中、エセリアは心の中で密かに考えた。するとサビーネの口調が、徐々に貴族の子女らしくなく、荒れた物に変化してくる。


「それにエセリア様が知り合いをグラディクト殿下に紹介しても、『ああ』とか『よろしく』とか位しか言わないで、仏頂面をしているし。気の利いた事の一つも言えないわけ!? 少しは紹介したエセリア様の立場も考えなさいよ、あの唐変木がっ!!」

「サビーネ!! そこまでにしておけ!!」

 真っ青になったイズファインだったが、サビーネは益々声を荒げた。


「しかも、あの野郎、根本的な所で勘違いしてやがるじゃないですか!! そもそもエセリア様があいつの婚約者に決まったのは、あいつが王妃様からの後見を得る為でしょうが! それが何!? エセリア様に向かって『私と結婚すれば王妃になれるんだからな。それまでにもう少し、夫の立て方を身に付けておいた方が良いな』ですよ!? ふざけんな! 誰のおかげで王太子になれたと思ってんのよ!? その場にいた紫蘭会会員全員が、一斉に殺気の籠もった視線を殿下に送ったわ! 正直、蹴り倒すなり罵倒しようかとも思ったけど、その場に居合わせた会長が私を含めた皆を一睨みされたので、何とか踏みとどまったけど!」

 その訴えを聞いたエセリアは、それがいつの事なのかを明確に思い返して溜め息を吐き、イズファインは頭を抱え、ナジェークが若干険しい表情になりながら問いかけた。


「……ああ、あの時ね」

「私の知らない所で、そんな修羅場が……」

「本当にそんな事があったのか?」

 それにエセリアが、苦笑しながら答える。


「あまりにも馬鹿馬鹿しくて、他の方にはお話ししていませんが。お姉様もあの様な公の場で事を荒立てるのは拙いと、判断されたのでしょう」

「そうか……。姉上もお前も水くさいな。殿下は元々、あまり利口な方では無いと思っていたが……。よし、お前の婚約話、向こうから断る様に裏工作しよう」

 いきなりの友人の宣言に、イズファインは蒼白になった。


「ナジェーク! お前、正気か!?」

「ああ。これまで迷っていたが、今の話を聞いて決心した」

 真顔でナジェークが応じるのを横目に、サビーネが力強くエセリアに向かって宣言する。


「エセリア様! 私は全面的にエセリア様に協力致しますわ! 何でもお申し付け下さいませ!」

「ありがとう、サビーネ様。イズファイン様。この際、私に協力して頂けませんか?」

 そこで三人から凝視されたイズファインは、説得や翻意させるのを潔く諦め、神妙に頷いた。


「……分かりました。殿下の側近でもない私に何ができるかは分かりませんが、できる限りの助力を致します」

「頼りにしています」

 そうしてイズファインに微笑みながら、エセリアは密かに考えを巡らせた。


(取り敢えずこれで、攻略対象者1人と、ライバルキャラ1人、取り込み成功。隠しキャラだったお兄様は全面的に味方してくれる筈だし、何が何でも円満婚約解消してやるわ!)

 そしてエセリアは、落ち着き払って話を続けた。

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