(10)準備万端

「はぁ……、取り敢えず、現段階での最大の難関はクリアしたわね」

 シレイアが安堵しながら独り言を呟きつつ廊下を歩き出したところで、進行方向から声をかけられた。


「シレイア、どうやら上手くいったみたいだな。大司教が来ていると聞いて図書室に行ってみたら、ハーバル教授がほくほく顔で話していたぞ」

「どうやら僕たちが出向くのと入れ違いになったみたいですね。カルバム大司教様はお帰りになりましたか。折角だからご挨拶しようかと思ったのですが」

 図書室からこちらに向かって歩いて来たらしいローダスとミランを認め、シレイアは笑顔で気安く言葉を返した。


「あら、ミラン。それなら休暇の時にでも、家に来てくれて構わないのよ? 両親に紹介するわ。総主教会に多額の寄付をしてくださっているワーレス商会会頭の子息だもの。いつでも大歓迎よ」

「ええと……、あはは、そうですね……。でも変な誤解をされたくないので、少しタイミングを窺いたいといいますか……」

 大歓迎の旨を伝えたのに微妙な笑顔で応じたミランに、シレイアは首を傾げる。 


「何の誤解? それにタイミングって意味が分からないんだけど?」

「今のは独り言みたいなものなので、気にしないでください」

「そう?」

 シレイアは怪訝な顔になったが、それ以上追及したりはしなかった。そんな彼女を放置しつつ、ミランが隣のローダスに囁く。


「……色々大変そうですね。こんな調子で、誰でも彼でも招待してるわけではありませんよね?」

「勿論、誰でも彼でもってわけではないし、シレイアには気づかれないように丁重にお引き取り願っている」

「頑張ってください。応援しかできませんが」

「率直な励ましだけで十分だよ」

「二人とも、何をごちゃごちゃ言ってるの?」

 何をコソコソと話し込んでいるのかと、シレイアは些か気分を害しながら問いかけた。それを察したローダスが、素早く話題を変える。


「いや、別に大したことじゃない。さっき図書室に出向いたのは、久しぶりにノランおじさんの顔を見たかったのもあるが、俺達の首尾も報告したいと思ったからなんだ」

「という事は、二人とも上手くいったのね?」

 シレイアが表情を明るくしながら応じると、ローダスとミランが笑顔で頷く。


「ああ。一昨日に校内探索会の問題を、言われていた通りに差し替えた。ミランの方も順調だそうだ」

「明日、父がミュリスティーのバイオリンを寄贈する為に、こちらに出向く予定になっています」

 ここでミランが口に出した内容に、シレイアが顔色を変えた。


「え……、ちょっと待って。ミュリスティーのバイオリンって言ったら、音楽に疎い私でも名前を聞いた事があるレベルの、名器と言われるバイオリンよね? ワーレス商会って、そんな法外な値段のつくものまで取り扱っているの!?」

「ええと……。実はそれ、販売用に購入した物ではなくて、某貴族の借金のかたに半ば押し付けられたようなもので……。まあ、一応担保ですね」

「そんな物、勝手に寄贈なんかできないんじゃない!? 下手したら信用問題になるわよ!?」

「僕もそう言ったんですけどね……。父が『あの借金の額なら、あそこの家は返せないだろう。大丈夫だから、エセリア様の希望通りにするぞ』とあっさりしたもので」

 苦笑いしつつ事情を説明したミランを見て、シレイアは本気で呆気に取られた。


「さすがワーレス商会会頭……。肝の据わり方と決断力が半端じゃないわ。その辺りは見習うべきよね」

「あまりこういう事で、見習わなくても良いかとは思うが。しかし校内探索会の五日前に試験問題を差し替えて、その二日後の今日に最古保管資料を差し替え、更に明日には最高額保管楽器を差し替え完了。最高のタイミングだったな」

 自画自賛するようにローダスが纏めると、ミランも力強く頷く。


「本当ですよね。時間的にギリギリでしたが、そのおかげで絶妙なタイミングになりました」

「これでエセリア様のお考え通り、表だって校内探索会の妨害はせず、殿下達が目論む完全な成功を確実に潰せるわね」

「そういう事だ。当日が楽しみだな。こっそり会場を覗いてみようか」

「止めておきなさい。新入生しかいないところに、最上級生がいたら目立つわ。あとで実際どうだったのかを、新入生の紫蘭会会員から聞き取りする予定だから」

「今年も入ってきているのか……」

「それはいらっしゃいますよ……」

 ここで、今年も学園内で紫蘭会会員ネットワークが一層強固になっていくのが決定事項だと察したローダスとミランは、思わず遠い目をしてしまった。それを見て失笑してしまったシレイアは、二人を宥めつつ再び廊下を歩き出したのだった。



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