第6章 人生色々、結婚も色々

(1)傍目には平穏な歩み出し

 民政局に就任した新任官吏シレイアの日々は、当たり前の事ながら最初は平凡で地味な事務作業の積み重ねだった。


「局長。こちらが直近一ヶ月の王都内の街路整備についての陳情書のまとめ、それからこちらがここ五年間の治水計画の進捗状況報告書になります」

「シレイアか。思ったより早かったな。分かった。これは確認しておくので、こちらの資料の各項目合算を出してくれ」

「分かりました」

 一通り業務内容の説明を受けた後は、上司や先輩達から割り振られた仕事を淡々とこなしていく毎日。そんな日々に不満までは覚えないまでも、シレイアは密かに心の中で愚痴を漏らした。


(はぁ……。新人が配属早々、大きな仕事や重要な仕事に係わらせて貰える筈がないけど、単純な事務作業ばかりさせられて退屈……)

 就任当初は緊張が勝っていたことで感じていなかったが、職場環境に慣れるに従って、徐々にそんなことを感じ始める。しかしシレイアはすぐに、そんな自分の思考を打ち消した。


(何を言っているのよ! 官吏になりたくてもなれない人が山ほどいるのに、贅沢なことを言っている場合じゃないわ! 一日でも早く仕事を覚えて、重要な仕事を任せて貰えるようにしないと!)

 そんな風に自分自身を叱咤激励しながら、シレイアは勤務を続けていた。

 


 

 就任から半月ほど経過したその日、シレイアは他の同僚達とは遅れて昼休憩に入り、王宮勤めの官吏や騎士達が利用する食堂に足を向けた。ピークを過ぎていた事でテーブルには数える程しか人が座っておらず、少し離れた所に座っていた人物と目が合う。


「シレイア、そっちも今お昼? 一緒に食べない?」

「ミリー、あなたも今日はお昼が遅かったのね。同席させて」

 内務局配属のミリーが手を振って呼びかけてきた為、シレイアは躊躇わずトレーを持って歩み寄った。そして同期同士、向かい合って座って食べ始める。


「偶には遅く休憩に入るのも良いわね。皆と一緒に上がると、食堂内が満員で知り合いを探すのも難儀するし」

「夜には寮で顔を合わせるけど、偶にはこういうのも良いわね。食事中も先輩達と一緒だと、色々気を遣うし」

「そうなのよね。加えて時期が時期だから、局長以下、先輩達が微妙にピリピリしているし」

「え?」

 そこでミリーが、少々物憂げに溜め息を吐いた。それを見たシレイアは一瞬戸惑ってから、その理由に思い当たる。


「ああ、内務局は王宮内各所の運営や儀典関係に携わるから、近々開催の建国記念式典準備で大変なのね」

「そうなの。もう本当に大変。内務局に入ったばかりなのに、どうしてそんな時期に、こんな大きな行事が控えているのよ……。通常業務を覚える前に、色々な事を言いつけられて忙殺されている真っ最中よ」

「ローダスも、ミリーと同じような愚痴を零しているのかしらね? 寮は男女で別れているし、仕事を始めてから滅多に顔を見ないけど」

 建国記念式典だと、確か外交局も色々準備やする事も多い筈、などと考えを巡らせながらシレイアが口にした。しかしそれに、ミリーが少々拗ねたように反論する。


「確かにローダスは外交局所属だから、各国の大使や使節団を招待する場ではその準備や当日の対応で忙しいと思うけど……。絶対、涼しい顔で仕事をしていると思うわよ? 私とは頭の出来と、肝の太さが違うもの」

「そうかしら?」

「そうよ!」

 力一杯主張してきたミリーに、シレイアは思わず笑いを誘われた。その苦笑の表情のまま、シレイアが思わず本音を口にする。


「大変そうだけど、でもちょっとだけ羨ましいな。こっちはまだ本当に初歩的な、事務作業しか任せて貰っていないから」

 それを聞いたミリーが、意外そうな表情で述べる。


「シレイアらしくもない。『庶民の日々の暮らしを守ってそれを少しでも向上させていく仕事は、地味で光が当たりにくい業務かもしれないけど、一番大切な事だと思うからやりがいがあるわ』とか言ってたくせに」

「そうだよね。ごめん、確かにちょっとらしくなく、愚痴を零しちゃったみたい」

「幾らでも零してよ。私だって盛大に零しまくるからね」

 そこでお互いに笑い合ってから、ミリーが真顔で言及してきた。


「建国記念式典だけど、今年は例年以上に先輩達が気合を入れているみたいね。ほら、王太子殿下とエセリア様がクレランス学園を卒業したから、そろそろ結婚準備も本格化するじゃない? どうやら式典で、国王陛下から今後の日程発表とかもあるらしいのよね」

「あ……、ああ、そうなのね。それは確かに、重要よね……」

(卒業してからは皆と連絡も取り合っていないし、忙しさに紛れてすっかり忘れてた! そうよ! 王太子殿下とアリステアが、建国記念式典で盛大にやらかす予定じゃない!)

 そこでこの間すっかり失念していたエセリアの婚約破棄計画を思い出したシレイアは、呆然自失状態に陥った。そんな彼女に、ミリーが不思議そうに声をかけてくる。


「シレイア、どうかしたの? 急に黙り込んで」

 その問いかけに、シレイアは半ば狼狽しながらも、怪しまれないようになんとか言葉を返した。


「え? え、ええと……。確かにそうなると、これから行事が立て続けに設定されそうで、内務局が忙しくなりそうだなぁと思って。忙しくなりそうだけど身体を壊さないように、休む時は休まないと駄目よ?」

「心配してくれてありがとう。十分気をつけるから。シレイアも頑張ってね」

「ええ。地道に頑張るわ」

 そこで食事を終えたミリーは、一足先に席を立った。そして笑顔で別れた彼女の背中に向かって、シレイアは心の中で謝罪する。


(ミリー、ごめんなさい。二人の挙式に向けて忙しくなるんじゃなくて、婚約破棄勃発で各所にしわ寄せがいく結果だと、本当の事を言えなくて)

 そんな事を考えて若干気落ちしながら食事を終えたシレイアは、食堂を出て民政局に向かって歩き始めた。すると廊下の曲がり角で、ローダスと遭遇する。


「やあ、シレイア。何日ぶりだ?」

「多分、四日ぶりだと思うわ。調子はどう?」

「まあまあだな。建国記念式典の準備で、それなりに忙しいが」

 偶々向かう方向が同じだったらしく、横に並びながらローダスが涼しい顔で告げた。それを見たシレイアが、周囲に聞こえない程度の声で囁く。


「それ……、純粋に外交局の業務で忙しいの? それともエセリア様の関係の方で?」

 その問いかけに、ローダスも声を潜めて答えた。


「さすがにそっちは、官吏就任までの話だ。今は業務で忙殺されているな」

「忙殺されている割には涼しい顔ね」

「式典当日、外国からの招待客の通訳兼接待役を仰せつかったからな。エセリア様の計画がどんな感じで日の目を見るのか、それを見るのを楽しみに励んでいるところだ」

 本気で楽しんでいるとしか思えないその笑顔に、シレイアは反射的に悔しげな声を上げる。


「ずるいっ……。できる事なら、私も直に目撃したかった!」

 そこでローダスは、地団駄を踏みそうな彼女の様子に苦笑しながら、さり気なく提案した。


「そんなに悔しがらなくても。建国記念式典後に休みが合えば、一緒に出掛けないか? その時に一部始終を教えるから」

「分かったわ。じゃあ後で、都合が合うかどうかすり合わせてみましょう。それじゃあね」

「ああ」

 そうしてローダスは機嫌よく分かれていき、シレイアも気を取り直して歩き出す。


(本当に、あの王太子の間抜け面と、エセリア様の華麗なお姿が見られないのが残念。だけど仕方がないわね)

 その時点でシレイアは、どこまで騒動が大きく広がりをみせる事になるかなど、全く予想できていなかったのだった。



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