(2)嵐勃発

 建国記念式典当日も民政局は平常運転であり、シレイアはこれまで通り朝から書類仕事を黙々とこなしていた。


「それでは財務局に行ってきます」

「ああ、よろしく頼む」

 午後の勤務を開始してすぐ、上から頼まれた書類を抱えて部屋を出たシレイアは、財務局に向かう道すがら、夕方から始まる記念式典について思いを巡らせていた。


(建国記念式典は夕方開始。それに引き続いて夜会が開催されるから、今の時間はその準備で内務局は忙殺されている筈よね。外交局もかな? ミリー、ローダス、頑張ってね。さすがに侍女の扮装で、会場に潜り込んだりできないものね。一瞬だけ考えたけど)

 すると廊下の向こうから歩いて来た人物に、声をかけられる。


「やあ、シレイア。仕事を頑張っているみたいだね」

 考え事をしていたために相手に気づくのが遅れたシレイアは、その相手がナジェークだと気付いた瞬間、慌てて挨拶しつつ頭を下げた。


「え? あ、ナジェーク様! ご無沙汰しております。あの三人の件では、大変お世話になりました! できれば直にお礼に伺いたいと思っていましたが、忙しさにかまけてなかなか機会が無くて」

 恐縮した様子のシレイアを見たナジェークは、鷹揚に笑いながら、さりげなく彼女が知りたかったことを口にする。


「ああ、改まっての礼は不要だよ。それに礼を言わなければいけないのは、こちらの方だ。推薦してくれた三人の働きは、新人とは思えないくらい見事なものだよ。彼らを指導している者達が、口を揃えて絶賛している。早速個別の仕事を割り振っても良いかと、お伺いを立てられているところでね」

「そうでしたか。それを聞いて安心しました」

(良かった。思いがけず三人の様子も聞けて。皆、頑張っているのね。私も負けないように頑張らないと)

 すっかり嬉しくなったシレイアだったが、ここである事に気がついた。


「あの……、この時間でもお仕事をされているところを見ると、ナジェーク様は今日の建国記念式典と夜会には出席されないのですか?」

 そんな筈はないと思うけれどと考えながら、シレイアは口にしてみた。すると案の定、ナジェークが皮肉交じりの口調で告げてくる。


「いや、出席するよ。王太子殿下は朝から準備に余念がなくて公務はしていないが、私は今日中に彼の尻拭いをする必要があってね。この書類を提出したら、屋敷に戻る予定だ。女性の支度ではないから、十分着替えには間に合う時間だからね」

 シレイアはそれを聞いただけで、この短い就任期間の間、どれだけグラディクトに迷惑をかけられてきたのだろうかと、心底ナジェークに同情した。


「王太子筆頭補佐官業務、本当にお疲れ様です。そして、長い間ご苦労様でした」

 いよいよ今日で婚約破棄計画が成就する筈であり、自分達とはまた違った裏工作や何やらを延々実行してきた相手に、シレイアは思わず労いの言葉をかけた。するとナジェークは、苦笑を深めながら応じる。


「労って貰うのはありがたいが、最後の最後まで気を抜かないように頑張るよ。あの二人があまりにも愚か過ぎて、予想外の方向に事態が転がるのだけは避けたい」

「本当にそうですね。最後に最後で台無しになったら、目も当てられません。頑張ってください。式典には出席できませんが、計画成就を祈っています」

「ありがとう。それでは失礼するよ」

(どうか順調に、王太子殿下がエセリア様との婚約破棄を宣言して、あのろくでもないお花畑カップルが会場中から顰蹙を買って、エセリア様が同情されますように)

 爽やかな笑顔のナジェークと別れ、シレイアは歩き出しながらしみじみと計画の成功を願っていた。




 その日、シレイアは結構な残業をこなしてから女性寮に帰還した。制服を着替えもせずに食堂に向かうと、片付け物をしていたルシアナが声をかけてくる。


「シレイア、今日は随分仕事上りが遅かったのね」

「ちょっと溜まっていた仕事を片付けていまして。まだ食事は残っていますか?」

「人数は把握しているから、勿論あるわよ。今、スープを温め直してお肉も焼くから、少しだけ待っていてくれる?」

「すみません、お願いします」

 頭を下げて手近な椅子に座ったシレイアは、ぼんやりと壁を眺めながら考えを巡らせた。


(なんとなく式典の事が気になって、そのまま寮に戻る気になれなくて、他の人の分まで仕事を仕上げてきちゃったのよね。時間的にはもう式典は終わって、夜会が開催されているはずだけど、どうなったのかしら? 大広間で騒ぎが起こっても、さすがに王宮の端にあるこの寮まですぐに話が伝わってくるわけないわよね。明日になったら、王宮中に話が広がっていると思うけど)

 今度の休みに、ローダスに詳しい様子を聞かせて貰わないと、などと考え込んでいるうちに、ルシアナが夕食を運んでくる。


「さあ、シレイア。遅くまでご苦労様。召し上がれ」

「わぁ、美味しそう! いただきます!」

 香ばしい香りに食欲を誘われ、シレイアは自分が空腹なのを自覚して勢いよく食べ始めた。ルシアナも椅子に座ってその様子を微笑ましく眺めていると、食堂にシレイアと同様、制服姿のまま飛び込んできた人物がいた。


「ルシアナさん! 私にも何か食べる物、大至急お願い!」

 その叫び声に、シレイアは勿論、ルシアナも驚いて現れた人物に視線を向ける。


「え?」

「アイラ? あなた、今日は夜会が終わってから、簡単に食べて寝ると言っていなかった? そのつもりで準備はしてあるけど、もう夜会が終わったの?」

「終わってないけど、下手すると徹夜になりそうなの! もうパンとスープだけで良いから! あと景気づけに、ワインも一杯お願い!」

「わ、分かったわ! すぐに準備するから待ってて!」

(うわ、これって……。やっぱり、そういうこと、よね?)

 鬼気迫る形相での要求に、ルシアナは慌てて立ち上がって厨房に向かった。憤然としながら近くの椅子に座ったアイラの様子で、シレイアは何があったのかを正確に悟る。しかしそんな事は面に出さず、シレイアは惚けながら尋ねてみた。


「あ、あの……、アイラさん? どうかしたんですか?」

「大ありよ! あの大馬鹿野郎がっ!! やっていい事と駄目な事の区別もつかないわけ!?」

「ええと……、その、夜会でなにかあったとか……」

 その頃になると、シレイアの他にも食堂にいた二人、加えて食堂に繋がる談話室にいた数人が、アイラの剣幕に異常を感じてその場に集まっていた。


「アイラさん、どうしたんですか?」

「『大馬鹿野郎』というのは誰の事ですか?」

「普段冷静なアイラさんが、そこまで他人を悪しざまに言うなんて、珍しいですね」

「大馬鹿野郎でも足りない位よっ! 王太子のくせに、公式行事をなんだと思ってるのよ!! あのど阿呆廃太子野郎!!」

 目の前のテーブルを力任せに拳で殴りつけながら、アイラが吠えた。しかし事態がまだ飲み込めていない面々は、呆然としながら困惑の表情になる。


「ど阿呆……」

「廃太子って、え?」

「もしかして、王太子殿下が何かされたんですか?」

 戸惑う周囲に、ここでアイラが爆弾発言を繰り出した。


「大ありよ!! あの恥知らずの低能野郎、事もあろうに諸外国の大使や主立った貴族が勢揃いした公式行事の真っ最中、国王陛下の目の前で、臆面もなく一方的にシェーグレン公爵令嬢との婚約破棄を宣言したのよ!」

「…………」

(あ、無事に……、というのは少々語弊があるかもしれないけど、当初からのエセリア様の思惑通り、王太子殿下がエセリア様との婚約破棄を公衆の面前で宣言したのね。ここまで本当に長かったわ……)

 静まり返る食堂内で、シレイアは一人冷静に、これまでのあれこれを反芻していた。しかしその静寂は、長くは続かなかった。






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