(44)運命の日

 建国記念式典当日を迎え、式典とそれに続く夜会に出席するエセリアは、準備に余念がなかった。それは諸々を抜かりなく手配するルーナも同様であり、エセリアの支度を整えた彼女は、鏡の前のエセリアに神妙にお伺いを立てる。


「エセリア様、これでいかがでしょうか?」

「ええ、今日も完璧な仕上がりよ。ありがとう、ルーナ」

「勿体ないお言葉です」

 冷静に頭を下げたルーナだったが、鏡越しに彼女の表情を見たエセリアは、思わず振り返って声をかけた。


「あのね? その……、ルーナ?」

「はい、大丈夫です。それ以上、何も言わずとも分かっております。先日、予めご説明いただいた通り、エセリア様の仕込みがうまくいけば今日の建国記念式典もしくはそれに続く夜会において、王太子殿下が事もあろうに公衆の面前で、エセリア様との婚約破棄を宣言するのですよね? もし本当にそんな事態になってしまったら、王太子殿下はとんでもない愚か者としかいえませんが、エセリア様の手にかかれば成功間違いなしですね。ご帰還時に何をどう聞かされようとも、平常心を強固にしておきますので、どうぞご安心ください」

 自分の台詞を遮りながら滔々と述べたルーナに、エセリアは溜め息を吐いてから指摘する。


「ルーナ……。口調が棒読みだし、無表情になっているのだけど?」

「失礼いたしました。皆様が夜会から戻るまでには、表情豊かにしておきます」

「……そうしてくれると助かるわ」

「本日は皆様お揃いですので、玄関ホールでお見送りします」

 引き続き淡々と事務的に話を進めるルーナに、エセリアは色々諦めて頷くだけにしておいた。その後出発刻限に近付いてから、二人で玄関ホールへと向かった。


「旦那様、奥様、ナジェーク様、エセリア様、行ってらっしゃいませ」

 執事長の挨拶と同時に、主だった執事やメイドが全員一斉に頭を下げて、二台の馬車に分乗した公爵一家を見送った。その馬車を見送ってから、使用人達は各自の仕事へと戻る。


「はぁ……、とうとうこの日がきたわね」

 偶々並んで廊下を歩いていたオリガの呟きを耳にしたルーナは、周囲に他の者がいないのを確認してから、僅かに同情する眼差しを向けた。

「オリガさん、お疲れ様です。エセリア様絡みのあれこれで、本来無関係なオリガさんまで神経をすり減らす事態になって」

 それにオリガは、苦笑気味に軽く首を振りながら答える。


「エセリア様関連は、別に良いのよ。ナジェーク様が別口で動いておられるから、その関係での連絡や処理事項が多くて、最近はそちらの方が大変で。アルトーさんとヴァイスさんが駆けずり回っているし」

「別口で、ですか?」

「ええ、だから気にしないで。エセリア様の方は、もう終わりが見えているしね。あと少しの辛抱よ」

「そうですね……」

 意外な話を聞いてルーナは少々驚いたものの、逆に慰められて素直に頷いておいた。

 それから使用人達は各自の仕事をこなしたり休憩を取ったりしていたが、公爵達が戻る予定時間に合わせて、出迎えのために再度玄関ホールに集合した。しかし帰宅予定時刻を過ぎても一向に到着する気配がなく、次第に使用人達が顔を見合わせながら囁き始める。 


「少し、皆様の到着が遅れているけど……」

「確かに通常でも、予定時刻から遅れることはありましたが……」

「でも、特にご連絡はないのよね?」

「ええ、そのはずよ。あれば執事長が指示する筈だし。そろそろいらっしゃるわよ」

「でも連絡もなしにこれだけ遅れるなんて、本当に珍しいわね」

 そんな周囲の声を聞きながら、ルーナは隣に立つオリガだけに聞こえるくらいの小声で囁いた。


「オリガさん。これって……」

「ええ。恐らくエセリア様の筋書き通りに事が運んで騒ぎになって、会場を離れようとしても周囲に付きまとわれて、なかなかご帰宅できないのではないかしら?」

「確実にそうですよね」

 その光景を想像した二人がうんざりしながら相槌を打っていると、玄関の外で待機していた執事がドアを開けて報告してくる。


「皆様、お戻りになられました」

 それと共に使用人達は一斉に姿勢を正し、私語も止めて馬車から降りてくる公爵一家を待ち構えた。

「旦那様、奥様、ナジェーク様、エセリア様、お帰りなさいませ」

 執事長のカルタスが出迎えの挨拶をすると、他の者達も揃って頭を下げる。それにディグレスは苦笑気味に応じた。


「帰りが遅れて、皆を待たせてしまってすまなかったな」

「いえ、遅いというほどでもございませんが、帰途で何かありましたか?」

 若干心配そうにカルタスが尋ねると、それにディグレスが答える前にエセリアが笑いながら会話に割り込む。


「カルタス、帰り道は順調だったわよ? なかなか王宮から出られなかっただけで」

「そうでございましたか」

「ええ。夜会の冒頭で、私が王太子殿下から婚約破棄を一方的に宣言されて、殿下は直ちに謹慎処分をなったものだから、参加者が動揺してしまってね。特に王太子殿下派の貴族達が陛下へのとりなしを我が家に懇願するために、まとわりついて大変だったのよ」

「……はい?」

「王太子殿下が、エセリア様との婚約を破棄ですって!?」

 さらりと言われたカルタスは目を丸くして絶句したが、彼の代わりにメイド長のロージアが顔色を変えて声を荒らげた。普段の彼女ではあり得ない失態ではあったが、エセリアはそれを咎めたりせず、笑みを深めながら説明を続ける。


「ええ、そうなのよ、ロージア。しかもその婚約破棄の理由が、殿下が贔屓にしている子爵令嬢に対して、私がクレランス学園在学中に嫌がらせを行った上、他の生徒に対しても傍若無人な振る舞いをして虐げていた行為が、未来の王妃として相応しくないからだそうよ。本当に、笑ってしまうわよね?」

「…………」

 そう告げてからエセリアはクスクスと笑いだしたが、あまりと言えばあまりの事態にほとんどの使用人は顔色をなくして絶句する。しかしロージアが、尚も語気強くエセリアに詰め寄った。



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