(8)良い男は良い女の踏み台であれ

「それでね? シレイア。仕事と家庭を両立した女性官吏として、より名声を高めて歴史に名を残す為には、避けては通れない要素があると思うの」

「エセリア様、それは何でしょうか?」

「結婚相手の質。それに尽きるわ」

「質……、ですか?」

「そうよ!」

 大真面目に問い返したシレイアが、その返答を聞いて戸惑う。しかしエセリアはそんな彼女に向かって、益々語気強く訴えた。


「シレイア、良く考えてみて。本当にできる男を踏み台にしてこそ、真のできる女と言えるのではないかしら。どうでも良い男を踏み台にするのは、どんな女にだってできると思わない?」

「確かに……。エセリア様の仰る通りですね」

 エセリアは口調だけは大真面目にろくでもない事を主張したが、シレイアはそれに真顔で同意した。それを追い風にしたエセリアの主張が続く。


「世の中はまだまだ男尊女卑の風潮が強いから、普通の男性と結婚したなら、あなたの仕事に文句をつけるかもしれないわ。それどころかあなたの才能や能力を妬んで、あなたの仕事の邪魔したり、制限をかける可能性だって考えられない?」

「冗談じゃありません! 誰がそんな男と結婚するものですか!」

「そうでしょう? だけどローダスと結婚したら、間違い無くそういう可能性は無いわよ? あなたの事を前から好きだし、同じ官吏として能力を認めているし」

「……そうかもしれませんね」

 いきなり持ち出された名前にシレイアは一瞬当惑したものの、考え込みながら応じる。


「それに加えてローダスなら、若手の中では群を抜いて優秀だと、周りからの評価が高いでしょう? だから」

「エセリア様、お話は十分に理解できました。最後まで仰らなくて結構です」

「そう? それなら良かったわ」

「申し訳ありませんが急用ができましたので、失礼させて貰っても宜しいでしょうか?」

 急に自分の話を遮ってきたと思ったら、神妙に頭を下げてきたシレイアに、エセリアは鷹揚に頷いてみせた。


「ええ、構わないわよ? 私の話は終わったし。ところでシレイアは、ひょっとしたらこれから王宮に出向いてから、総主教会にも顔を出すつもりかしら?」

「はい、そのつもりです」

「それなら足が無いと大変そうだから、我が家の馬車を貸すわ。乗って行って頂戴」

「ありがとうございます。ご好意に甘えさせていただきます!」

 相手が何も言わずともこれから何をするつもりかを察したエセリアが、公爵家の馬車を使うように勧めると、シレイアは満面の笑みで礼を述べた。


「今日はお邪魔いたしました」

「気をつけてね」

 馬車の用意が整ったとの連絡を受けて玄関ホールに移動した二人は、そこで別れの挨拶を交わした。そして意気揚々とシレイアが乗り込んだ馬車を見送ったエセリアに、数歩下がった所で控えていたルーナが、呆れ気味に声をかける。


「エセリア様……。あんな事を言って、宜しかったのですか?」

「シレイアの思うところを聞いて、ちょっとした提案をしただけだし、総大司教とカルバム大司教からの依頼は果たした事になるし、別に問題は無いでしょう? 肩の荷が下りてホッとしたわ」

「確かにお嬢様はすっきりしたでしょうし、シレイアさんはやる気満々ですけどね……」

 小さく肩を竦めた後は、何事も無かったかのように自室に向かうエセリアに付き従いながら、ルーナは溜め息を吐いた。


(本当に、ローダスさんに同情するわ。これから一体、どんな事になるのやら)

 どう考えてもこれから一波乱も二波乱もありそうなローダスの恋の行方に、ルーナは思わず遠い目をしてしまった。



「それではシレイア様の用事が済むまで、こちらで待機しております」

「ありがとうございます。宜しくお願いします」

 シェーグレン公爵家の馬車で堂々と王宮の馬車寄せに乗り付け、地面に降り立ったシレイアは、御者と短く言葉を交わしてから、一直線に外交局が入っている部屋を目指した。


「お仕事中、失礼します!」

「え?」

「何だ?」

 一応断りを入れてから入室したシレイアだったが、明らかに私服姿の彼女に、室内にいた官吏達は目を丸くした。彼女はそんな視線を物ともせず、足早に真っすぐローダスの席に向かう。

「シレイア? でもその服は私服だし、今日は休みじゃ無いのか?」

 無意識に椅子から立ち上がって出迎えた彼に対して、シレイアは単刀直入に切り出した。


「ローダス。仕事中だし、さっさと話を済ませるわ。あなた、私の事を好きなのよね?」

「……へ?」

 周囲に同僚達が揃っている職場で、いきなり真顔でそんな事を問われた為、ローダスは咄嗟に言葉が出なかった。同様に周囲も固まる中、シレイアが苛つきながら彼に掴みかかり、再度尋ねる。


「間抜け面晒してないで、きりきり答えなさい! 私の事が好きなの? 嫌いなの?」

「好きです!」

「それなら私と結婚したいのよね?」

「あ、いや……、それは確かにそうだが」

「結婚するのかしないのか、ぐだぐだ言ってないで、さっさと答えなさい!」

 話の流れに殆ど頭が付いていかなかったローダスだったが、辛うじて「この機会を逃したら駄目だ」との判断だけはできた為、殆ど勢いで答える。


「俺と結婚してくれ!」

「分かったわ」

「本当か!?」

「できる女が踏み台にするのは、できる男と相場が決まっていると、エセリア様が言っていたものね」

「……は? どうしてここで、エセリア様の名前が出てくるんだ?」

 予想外の幸運にローダスが表情を明るくしたのもつかの間、唐突に無関係と思われるエセリアの名前が出てきた事で怪訝な顔になった。しかし彼の困惑などには構わず、シレイアが話を続ける。


「それはともかく、あなたと結婚しても良いけど条件があるわ。私と結婚したかったら、半年以内に外交局から民政局に異動した上で、アズール学術院に派遣される専任担当官になりなさい」

「え? 何でそんな事を?」

「私がそれになって、来年から学術院に派遣されるからに決まってるでしょう? できないって言うなら、結婚の話は無しだからそのつもりで」

「はぁ!? どうしてそうなる!」

 驚愕したローダスだったが、周囲も唖然とするばかりで言葉が出なかった。そんな彼らを置き去りにして、シレイアがさくさくと話を進める。


「その場合、あんたには劣るかもしれないけど、そこそこ能力があってそこそこ理解がある男と結婚して、女官吏としての経歴を積んで、歴史書に名前を残してみせるわ! 時代の先駆者……、ああ、何て心地良い響きなのかしら……」

「あ、あの……、シレイア?」

 何やら急に陶酔し始めた彼女に、ローダスが恐る恐る声をかけると、彼女は真顔になってあっさりと踵を返した。


「用はそれだけよ。返事は1ヶ月以内で宜しく。それ以降音沙汰無しだったら、他を当たるから。それじゃあ、これから総主教会にも行かなきゃいけないし、失礼するわ。邪魔したわね!」

「…………ちょっと待て、シレイア! 今の話はどういう事だ!?」

 言うだけ言って駆け去ったシレイアを呆然と見送ってから、我に返ったローダスが慌てて後を追った。そして二人がいなくなった室内で、囁き声が交わされる。


「何だったんだ、今のは?」

「さぁ……、俺に聞くなよ」

「ええと……、そうするとローダス達は、結婚するのか?」

「でも彼女、仕事を辞める気は無さそうだぜ?」

「だよなぁ……。それなら例の賭けはどうなるんだ?」

 皆で首を捻っていると、スタートダッシュに遅れてシレイアに振り切られたらしいローダスが、息を切らせて戻って来た。しかし周囲が先程の事について尋ねる前に、彼は一直線に上司の机に向かって嘆願する。


「局長! お願いします! 俺を今すぐ、民政局に異動させてください!」

 しかしいきなりそんな事を言われた局長のタイラーは、困惑も露わに部下を宥めようとした。


「いや、そう言われても……。そんな前例の無い事はできないし、先程の彼女の話も要領を得ない所が多々あったしな。取り敢えず落ち着け」

「落ち着いていられますか! お願いします! 俺の人生がかかってるんです!」

「しかし、君はなかなか優秀な人材だし、こんな事を申し入れても、民政局の方でも困ると」

「局長!! 何でもしますから、お願いします!」

「ぐふぉぅっ、ぐ、ぐるし……」

 目を血走らせながらローダスが座っているタイラーの喉元に組み付き、締め上げながら懇願した為、周囲の者達は血相を変えて二人に駆け寄った。


「おい、ローダス! お前、何やってんだ!?」

「止めろ! 局長を殺す気か!」

「首! 首が締まってるぞ!」

「こいつを早く引き剥がせ!」

 すぐに数人がかりでローダスは引き剥がされたが、騒動はその時だけでは収まらず、タイラーと民政局局長のグルズは、それから彼に仕事そっちのけで纏わりつかれ、繰り返し懇願される羽目になった。

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