(15)思わぬ気苦労
「お嬢様、ローダスさんが来ましたよ」
クレランス学園での最後の長期休暇に入り、シレイアは家に戻っていた。その日も前日までと同様に私室で寛いでいたが、メルダから声をかけられ、予め纏めておいた本や冊子の束を抱えて応接室へと向かう。
「やあ、シレイア。例の物を持って来たぞ」
ローダスの挨拶の言葉に応じて目を向けると、応接室のテーブルの上にはシレイアが持って来たのと同様の山ができていた。それで彼女はテーブルの対角線上に持参した物を乗せ、彼と向かい合って座る。
「ありがとう。私も部屋から持って来たわ。私がジャンの家に取りに行っても良いのに、悪いわね」
「別に構わないさ。あいつらの家は割と近所だし、俺が向こうに顔を出したいし」
「それにしても、長期休暇中に勉強に必要な資料とか過去問とかどうしようかと思っていたら、五人で分担して図書室から借りられるだけ借りて、順番に回すって手があったとはね。それを考え付くなんて、ローダスは流石だわ」
「シレイアだって、少し考えれば考えついたとは思うぞ?」
「う~ん、どうかな。やっぱり盲点だったから、考え付かなかったかも。やっぱりローダスは凄いわよ」
「そうか?」
素直に感心しているシレイアに、ローダスはまんざらでもない気分になりながら機嫌よく持参した物を指し示した。
「まあ、それはそれとして、これがジャンから受け取ってきた分。これまで通り、先にシレイアが使ってくれ」
「ありがとう。じゃあこれは一通り見たから、ローダスが持って帰ってね」
「ああ、そうする。ところで、これはどうだった?」
「なかなか手強かったわ。特に関数の所が」
「そうだろうな」
そこまで笑顔で話していたシレイアだったが、急に顔つきを変えて尋ねる。
「ところで……。気が滅入る話題を振って悪いけど、聞いても良い?」
「あの常春花畑ペアがどうかしたか?」
もうその時点で察してしまったローダスが、うんざりとした表情を隠そうともせずに応じた。
「休暇に入る前に、また成績表を改竄した話は聞いたけど、音楽祭云々に関してはやっぱり殿下達から何も指示されたりしていないわよね?」
「シレイアもそうだろう? やはりあの二人、前年開催されたから、今年も自動的に開催されると思い込んでいるのだろうな」
「それなら休暇が明けて学園に戻ってからも、下手にこちらから話題に出さない方が良いわね」
「そうだな。それにしても……、彼女、どこまで騙し通せると思っているのか」
溜め息まじりに、ローダスが愚痴っぽく呟く。それにシレイアが、淡々と言葉を返した。
「成績のこと? 官吏科所属のこと?」
「両方。その他にも細かいことが色々あるだろうが」
「最後まで誤魔化せると思っているから、平気で嘘をついているのではない?」
「本当に度し難いな。最近、ケリー大司教様が気の毒で仕方がない」
「私だってそうよ。今年に入ってからは家族の参加が求められる大規模な行事は無いし、内輪の集まりでもちょうど寮から戻れない日の開催だったりするから、総主教会に出向く機会が殆どなくて、心底安堵してるわ」
「本当に、大司教様と顔を合わせづらいよな……」
いまだにアリステアが官吏就任を目指して努力していると信じて疑わないケリー大司教の姿は、真相を知り、なおかつそれを秘密にしている二人からすると罪悪感を呼び起こすものだった。加えて、殆ど彼女の自業自得な面はあるにせよ、裏から直接的間接的に彼女を嵌めつつある身としては、ケリー大司教と対面するといたたまれない気分になっていた。
ケリー大司教のことを考えた二人が少々憂鬱な気持ちになっていると、慌ただしく応接室のドアが開けられ、ステラが入って来る。
「シレイア、ちょっと入るわよ」
「お母さん、どうかしたの? 今日は夕方まで、婦人会の会合に出ている筈じゃなかった?」
予定外の行動に、シレイアは驚いて母親に問いかけた。しかしステラはそれに答える前に、ローダスに目を向けて謝罪してくる。
「ローダス、ごめんなさいね。あなたが来ているのは分かっていたんだけど、ちょっと急ぎの用だからお邪魔させて貰うわ」
「構いませんけど、本当に何かあったんですか?」
「ええ。ちょっと困ったことが起きて、打ち合わせを抜けてきたの」
いつものステラらしくない行動に、ローダスも何かあったのかと心配しながら尋ねた。それにステラが難しい顔で応じてから、シレイアに向き直る。
「シレイア。あなた三日後は空いているわよね? その日半日、夫人会の催し物を手伝って貰えないかしら?」
「三日後? 勿論空いているから、構わないけど。何かあったの?」
「礼拝の後、貧困層への配食事業と、手工芸品や衣類などの即売会をする予定なのだけど、運営人員の欠員が重なっていたところに、今日エルマが捻挫して歩けなくなったと連絡がきたのよ」
そこまで話を聞いたシレイアは、顔見知りの女性の名前を聞いて本気で驚いた。
「え? エルマおばさんが? それじゃあ三日後までに治るのは無理だし、半日ずっと立ち仕事は無理よ」
「そうなのよ。ケリー大司教様が『それなら私が販売や配膳の係に入りますから』と仰ったのだけど、さすがに大司教様に入っていただくわけには……。確かに率先して荷運びをしてくださるくらいの方だけど、人前に立ってそこまでしていただくのは申し訳なくて」
「…………」
ここでステラは心底困ったように溜め息を吐いたが、ついさきほどまで話題に上がっていた人物の名前を予想外に耳にしてしまったシレイアは、無言で固まった。そこでローダスが、思わず口を挟む。
「ええと……。確かに大司教様であれば、夫人会の皆さんの背後にドンと控えて、催し物全体に目配りしていただきたいですよね。その方が皆さんも落ち着くでしょうし」
「そうなのよ、ローダス」
全くその通りだと言わんばかりに、ステラがローダスの言葉に頷く。そこでようやく、シレイアが声を絞り出した。
「……お母さん。そこでどうしてケリー大司教様の名前が出てくるの?」
その問いかけに、ステラは不思議そうな表情になりながら、事情を説明する。
「どうしてって……、即売会で売る物は、修道院や育児院で保護している女性や子供が作った物が多いから、ケリー大司教様がそれらの取り纏めと管理をされているからだけど」
「ああ、なるほど……。その売り上げをその人達の生活費の一部にしたり、独立資金として貯めておくから、財産信託制度担当のケリー大司教様がかかわってくるのね」
「そういう事だから、急で悪いけど手伝って頂戴」
「分かったわ。最近総主教会の催し物に参加していないし、今回手伝うから」
完全に諦めてしまったシレイアは、素直に手伝いを申し出た。それにステラが、喜色満面で応じる。
「ありがとう、助かったわ! あ、ローダス! あなたは予定は空いていないかしら?」
そこで期待に満ち溢れた視線を受けたローダスは、拒否の選択肢を持たなかった。
「……いえ。三日後は丸々空いていますので、俺で良ければお手伝いします」
「二人とも、本当にありがとう! とても助かるわ! それじゃあ人手は確保できたし、また会合に戻るから!」
「うん。頑張ってね」
引き攣った笑顔で上機嫌な母親を見送ってから、シレイアはローダスに頭を下げる。
「ごめんなさい、ローダス。思い切り巻き込んでしまったみたいで」
「気にするな。ここで俺だけ回避するほど、薄情でも根性なしでもないつもりだ。だができたら、以前貰った胃薬を分けてくれるか?」
「あれ、効くわよね。私も飲んで参加するわ」
そして二人は胃薬を携えながらケリー大司教と対面する場を想像して、揃って項垂れたのだった。
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