(7)動き出す事態

「先程の私の推察通りなら、グラディクト殿下は彼女に好意を持っている筈。そこで私が彼女に嫉妬して、罵倒して暴虐の限りを尽くす事になれば、殿下は私を廃して彼女を婚約者に据える事を考えると思うのです」

 さらりと言われた内容が全く理解できず、ミランは疑わしげに問いを発した。


「あの……、今『暴虐の限りを尽くして』とか仰いましたが、まさかエセリア様が本当に、そんな事をするのですか?」

「いいえ、そんな事をするわけが無いわ。証拠を握られて糾弾されたら、私だけの話ではなく、家の名前にまで傷が付きますもの」

「はい?」

 平然と言い返されてミランの目が点になったが、エセリアは構わずに話を続けた。


「だから殿下がそう思いこむように、そして彼女が被害者であると自作自演するように、こっそり働きかけて裏工作をしていくと言う事よ。ミラン、分かったかしら?」

「またそんな、無茶苦茶な事を……」

 テーブルに両肘を付き、両手で頭を抱えてしまったミランを見て、本来ならお茶を飲む時のマナー違反ではあるものの、誰もそれを咎めたりはしなかった。


「エセリア嬢。さすがに私も、そのように上手く事を運ぶのは、なかなか難しいかと思いますが」

 その場全員を代表してローダスが意見を述べると、エセリアは真顔で頷き返した。


「確かにそうでしょうね。……ですがローダス、シレイア」

「はい」

「何でしょうか?」

「難しければ難しい程、成し遂げた時の達成感と喜びが、大きいとは思われませんか? この際、年間総合成績学年一位と二位の聡明なお二方の活躍に、大いに期待させて貰いたいのですが」

 そう言って優雅に微笑んだエセリアを見て、二人は揃って呆気に取られ、次いで含み笑いで彼女に問い返した。


「それは……、私達に対する挑戦ですか?」

「年間を通して、常に学年十位以内におられた方にそう言われましても」

 そう言っておかしそうにクスクスと笑い合ってから、二人は笑みを消してエセリアに宣言した。


「分かりました。私達で方策を考えてみましょう」

「幸い対象のお二人は、御し易そうな方ですし。官吏志望としては、腕の見せ所ですわね」

 微笑みながらそう口にしたシレイアを、ローダスが呆れ気味に窘める。


「シレイア……。官吏の仕事は人を操る事では無いぞ?」

「勿論、分かっているわよ。使えない人間を自分の都合の良いように誘導するのは、官吏の仕事そのものでは無く、仕事を円滑に回す為の手段だわ」

「一理あるな。それなら詳しい事は追々詰めるとして、いつでもすぐに動けるように、準備だけはしておこうか」

 そこでローダスは、早速ミランに向き直って声をかけた。


「ミラン。ワーレス商会で、僕達のウィッグを用立てては貰えないかな?」

「そうね。どうしても直接働きかけなければいけないと思うから、身元がバレないように色々準備しないと。接触する時は変装と偽名使用は必須よね」

「それならウィッグの他に、付けぼくろなんかもどうでしょうか?」

 ミランがすかさず提案すると、即座に話が纏まる。


「それは良いかも。効果的に使えば、結構印象が変わるわね」

「他にも君の方で使えそうだと判断した物があれば、準備して欲しい」

「そうですね。制服のタイは所属科や学年で色が異なりますし、そちらも併せて手配しましょう。他にも必要な物があれば、遠慮無く申し出て下さい。すぐに実家から取り寄せます」

「お願いね、ミラン」

 エセリアはそう声をかけてから、改めて参加者全員を見回しながら頼み込んだ。


「それではローダスとシレイアには、当面は今後の基本作戦を練って貰う事にして、ミランとカレナには引き続きアリステア嬢の、サビーネには殿下の監視と情報収集をお願いするわ」

「分かりました」

「お任せ下さい」

 そして全員が笑顔で力強く請け負ったのを見て、エセリアは頬が緩むのを止められなかった。


(さあ、これからがいよいよ本番。何だか段々、楽しくなってきたわね。絶対バッドエンドにさせずに、返り討ちにしてやるわ!)

 それからエセリアは、そのまま友人達と他愛のない話をしながら、楽しいひと時を過ごした。



 同じ頃、図書室に併設された自習室では、広々とした机にグラディクトとアリステアが椅子を並べて座り、ノートを覗き込みながら何事かを言い合っていた。


「それで……、ここでこの部分を持ってくると……」

「ああ、なるほど。漸く分かりました! 殿下は、教え方が上手でいらっしゃるんですね!」

「いや、それほどでもないが……」

 手こずっていた問題が解けた事でアリステアが尊敬に満ちた目をグラディクトに向け、彼もまんざらではなさそうな表情で応じる。しかし彼女が取り組んでいた問題がごくごく初歩的な物であり、本来であれば褒められて喜ぶ以前に、学習進度の遅さを指摘しなければならない筈なのだが、彼はそんな事に思い至りもしなかった。


「教授も殿下位、丁寧に教えてくれれば良いのに……」

 そしてぼそりと呟かれた言葉に、グラディクトがすぐに反応した。

「アリステアのクラスを担当している教授は、きちんと指導しないのか?」

「はい。どんどん教科書の内容を進めていって。授業中に質問の時間を一応設定していますけど、しっかり教えてくれないんです。『放課後に聞きに来なさい』って言うばかりで」

「なんて教授だ。怠慢にも程がある」


 教授にしてみれば教えているのは彼女一人だけではなく、授業時間内で個別に一から教えるわけにはいかない為であったが、彼女の話を聞いたグラディクトは本気で腹を立てた。そもそも官吏を目指す平民出身の生徒の理解力は高く、貴族出身の生徒も入学前にある程度の基礎学力は身に付けており、貴族でありながら真っ当な教育を施されず、修道院で保護されてからも十分な教育を受けられなかった彼女が、授業に付いて行くのは困難だった。

 心配した教授が放課後に個別授業をしようと指名したものの、その途端周囲から小さな笑い声が聞こえてきた為、教授が他の生徒たちと共謀して馬鹿にしていると被害妄想を募らせた結果、アリステアは非礼にも程がある、個別授業すっぽかしという事をやらかしていたのだった。


「きっと私が下級貴族だから、馬鹿にされているんです」

「何だと?」

「同じクラスの人に質問しても、その侯爵家の人は『普通に授業を聞いていれば分かる内容よね?』と言って、解き方を教えてくれなくて……」

 真相は、同年代の生徒から指導を受ければ、さすがに恥ずかしく思って自主的に勉学に励むのではないかと考えた教授からの依頼を受けて、クラスで優秀な生徒が指導役を任されたものの、すぐに彼女のあまりの理解力と根気の無さに呆れて匙を投げた末の事だったのだが、そんな事など知りようもないグラディクトは、アリステアの主観をそのまま受け入れた。


「何て失礼な奴だ! そんな奴に頭を下げて、教えて貰わなくても良い。これからは私が教えるから」

「ありがとうございます! でも……、私なんかと一緒にいると、殿下にご迷惑がかかりませんか?」

 心配そうに周囲を見回しながら尋ねてきた彼女に、グラディクトは(なんて謙虚で他人の立場を思いやれる、優しい子なんだ)と密かに感動しながら、笑って宥めた。


「自習室で、勉強を教える事でか? 困っている下級生を助けるのは上級生として当然の事だし、何もやましい所は無い。難癖を付けるような奴らの性根が、曲がっているだけの話だ。アリステアが気にする事ではない」

「分かりました。宜しくお願いします!」

「ああ、それでは次の問題に取り掛かろうか」

 そう言って気分良く勉強を再開した二人だったが、同じ様に自習室を利用しようとしていた女生徒達が、彼らの姿を見て足を止めた。


「あら、グラディクト殿下だわ。自習室におられるなんて、お珍しい」

「でも……、一緒にいる方はどなた?」

「さあ……。見かけない顔ですわね……」

 彼女達は不審そうな顔で楽し気に語り合う二人を眺め、それから学園内ではとある噂が静かに広まりつつあった。

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