(10)エセリアの指摘

「あ、見て。カテリーナ様よ」

「でも、一緒にいる方はどなた?」

「さあ……、見覚えがないけれど……」

「新しく、ガロア侯爵家の後継者になった……」

「ああ、そういえば……」

 少し離れた所から、自分達に視線を向けながら困惑顔で交わしている囁き声が伝わり、カテリーナは苦笑した。


「……視線を集めていますね」

「まあ、仕方がないがな」

 そのまま部屋の中央に進もうとすると、ギリギリ非礼にならない程度の声量で呼び掛けつつ、足早に近寄ってくる人物がいた。


「カテリーナ様!」

「サビーネ……」

(周囲の招待客が、さすがにどう声をかけたものか困惑している雰囲気だし、率先してこちらに突っ込んできてくれるわけね)

 サビーネがやって来た方向に視線を向けると、彼女の婚約者であるイズファインの他、ナジェークとエセリアを含めた何人かで集団になっており、カテリーナはその意図を察した。


「カテリーナ様、お久し振りです。イズファイン様からあなたがこちらに参加すると聞いてから、お会いできるのを楽しみにしておりました。最近はお仕事が忙しかったのか、このような催し物への参加もされていなかったようですし、嬉しいです」

 嬉々として挨拶してきたサビーネに、カテリーナも笑顔で応じた。


「私も、久し振りにあなたに会えて嬉しいわ。今夜は色々お話したい事もあるし。まずは、兄夫婦を紹介させてくれるかしら。今度、ガロア侯爵家の後継者になった次兄のジュールと、義理の姉のリサよ。ジュール兄様、リサお義姉様。こちらはリール伯爵家のご令嬢で、イズファインの婚約者でもあるサビーネ様です」

 カテリーナからそう紹介されたジュールとリサは、幾分緊張しながら挨拶した。


「サビーネ嬢、初めまして。ジュール・ヴァン・ガロアです。以後、お見知りおきください」

「リサ・ヴァン・ガロアです。宜しくお願いします」

「サビーネ・ヴァン・リールと申します。こちらこそ、宜しくお願いします」

 そんな挨拶を交わしている間に、イズファインがサビーネを追う形で、ナジェークとエセリアを引き連れてやって来た。


「サビーネ、いきなり私を放置して抜け駆けしないで欲しいな。私も昔馴染みのジュール殿に挨拶するつもりだったのに」

 苦笑しながら婚約者に声をかけたイズファインは、次いでジュールに向き直って親しげに話しかける。


「ジュール殿、お久し振りです。最後に顔を合わせたのは、私がクレランス学園に入学する前でしたね。ご夫人には初めてお目にかかります。イズファイン・ヴァン・ティアドです。宜しくお願いします」

「イズファイン殿、丁重な挨拶痛み入ります。妻ともども、宜しくお付き合いください」

「リサ・ヴァン・ガロアです。こちらこそ、宜しくお願いします」

「お二人は、最近王都に戻ってきたばかりだと伺いました。色々煩わしい事が多いと思いますが、今夜は楽しんでいってください」

 主催者としての挨拶をしたイズファインは、ここで背後に佇んでいた二人を振り返って言葉を継いだ。


「私から紹介します。シェーグレン公爵家のナジェークとエセリア嬢です。二人とも、こちらはガロア侯爵家のジュール殿とリサ夫人。ジャスティン殿とカテリーナ嬢は、今更紹介するまでもないと思うが」

 イズファインが話を向けると、ナジェークとエセリアが笑顔で応じる。


「勿論、クレランス学園の同期を忘れるほど、耄碌してはいないつもりだよ。それに近衛騎士団所属の二人とは、時々王宮で顔を合わせるしね。ガロア侯爵家の後継者のお二方には、初めてお目にかかります。ナジェーク・ヴァン・シェーグレンです。以後、宜しくお付き合いください」

「エセリア・ヴァン・シェーグレンです。これまでにカテリーナ様と直に接した事は殆どありませんが、三年前の剣術大会での勇姿は、今でも克明に思い返すことができますわ。カテリーナ様だけではなく、この機会にお兄様達ともお知り合いになることができて、嬉しく思っています」

(堂々と初対面を装うナジェークの白々しさは今に始まったことではないけど、エセリア様もさりげなく会話を進めているわね。しかしやはり格が違うと言うか、なんと言うか……)

 有力公爵家の次代を担う者としての風格と気品を兼ね備えた二人を眺めて、カテリーナは密かに感心した。彼女以上にジュールとリサはそれを感じたらしく、かなり恐縮しながら挨拶の言葉を口にする。


「ジュール・ヴァン・ガロアです。貴族としての立ち居振舞いや心構えなどは、お二方とは比べるのも恥ずかしい位ですが、宜しくお付き合いください」

「リサ・ヴァン・ガロアです。これまでに社交界で殆ど活動した事がなく、色々と至らない点が多くて恥ずかしい限りですが、宜しくお願いします」

「失礼かもしれませんが、お二人の考え方は少々間違っておられるのではありませんか?」

「え?」

「はい?」

「エセリア。いきなり何を言い出す。本当に失礼だろう」

 エセリアに真顔で切り返されて、ジュールとリサは揃って戸惑った顔になった。それを見たナジェークが小声で制止しようとしたが、エセリアは平然と話を続ける。


「ですがお兄様。お二方とも貴族として恥ずかしいと仰っておられたみたいですが、一体、誰に対して恥ずかしいと仰っておられるのやら。貴族として最も恥ずかしいのは、領地に暮らす領民の生活が立ちゆかなくなる事ではありませんか?」

「…………」

 エセリアがそう指摘すると、ジュールとリサは無言で顔を見合わせる。


「貴族は王家から拝領している領地を問題なく運営し、そこで暮らす民の生活を守り改善させるという、最大最優先の義務があります。ですから貴族というものは領民から搾取だけして、贅沢に暮らせばよいだけの存在ではないと思っております。その辺りを、ジュール殿はどう思われますか?」

「誠に、エセリア嬢の仰る通りです」

 エセリアの問いかけに、ジュールは真摯に頷く。


「確かに貴族同士での情報交換や交友関係の樹立は、他家との連携や共同での事業運営には必要なことだと思います。でもそれは互いの人格を認めあってこそ、真の信頼関係が樹立できると思われます。必要以上に謙虚であるのは卑屈に見えかねませんし、それでは他者からの信頼を得るのは困難です。話を戻しますが、貴族として本当に恥じねばならないのは領民に貧困を強いることで、謝罪しなければならないのは領民に対してではないでしょうか? リサ様はそれについて、どう考えておられますか?」

「……はい。本当に、エセリア様の仰る通りです」

 しみじみとした口調でリサが同意を示すと、エセリアは幾分表情を和らげながら話を纏めにかかった。


「お二方ともガロア侯爵家の後継者になられたのは最近だと伺っておりますし、実際に領地運営や社交に携わって間もないはずです。失敗をする前から卑屈になっているのは、改めた方が宜しいかと。本当にガロア侯爵家の家名に傷をつけたり、領地運営に失敗した時には大いに恥じて、領民に謝罪すればよろしいのです」

「エセリア。初対面の方に対して、遠慮が無さすぎるぞ」

 ここでナジェークがはっきりと顔をしかめて話に割り込んだが、そんな彼をジュールが宥めた。


「いえ、ナジェーク殿。さすがは未来の王太子妃、ひいては王妃としての教育を受け、それに相応しい行いをされてきたであろう方だと感服いたしました。確かに自分自身の体面や保身ばかりを考えるのではなく、まず第一に領地とそこに暮らす領民に恥じない行いをするべきでしょう」

「本当に、礼儀作法がどうと些細な事に拘っていた自分が、ものすごく卑小な存在に思えてきました。恐らく他の方々より領地暮らしは長いのに、その視点を見失っていました。勿論、不作法な振る舞いで周りの方々を不快にさせてしまうのは怖いですが、引きこもっていては周りの方々との信頼関係など構築できませんものね。エセリア様のご忠告、胸に染みました。本当にありがとうございます」

「兄の言うとおり、初対面の方に遠慮のない事を口にしてしまいましたのに、お礼を言われてしまうなんて却って恐縮ですわ」

(エセリア様、さすがの貫禄だわ。同じことを私がジュール兄様達に言い聞かせても、納得してはくれなかったわよね……。とにかく、これで兄様達の腹も据わったみたいだし、後でエセリア様にお礼を言わないと)

 穏やかな笑みを浮かべながら世間話に移行したエセリアに対し、カテリーナの前で、ジュールとリサは早くも崇拝と羨望の視線を向けていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る