(4)不屈の精神

「それにしても、遅いわね」

「ええ。見つからないのかしら?」

 すぐに戻って来るかと思いきやミスティがなかなか戻って来ない為、エセリアは勿論コーネリアも、次第に困惑した表情になった。するとその場に残っていたコーネリア付きの侍女であるアラナが、控え目に弁解してくる。


「あの、コーネリア様、エセリア様。あれは使う度に水に溶かして、それを火にかけて温める必要がありますので、少々お時間を頂く事になるかと思います」

 それを聞いた二人は、揃って驚いた顔になった。


「え? そうなの?」

「はい。それを温かいうちに使わないと、固まって使えなくなりますから」

「そうだったの……。結構、手間がかかるものだったのね」

「ごめんなさい。良く分からなかったから……」

「いいえ。これ位、何でもありませんから。ただ、もう少しお待ち下さい」

 普段、使用人に無茶な事は言わないコーネリアは勿論、そんな手間のかかる物だとは想像だにしていなかったエセリアも神妙な顔つきで謝罪したが、アラナはそんな姉妹を穏やかに宥めた。それを受けて、コーネリアが優しく言い聞かせる。


「エセリア、このまま大人しく待っていましょうね?」

「はい」

 それに異論を唱える気など無く、エセリアが大人しく待っていると、更にもう少しして片手鍋を持ったミスティが部屋に戻って来た。


「お待たせしました。エセリア様、これで宜しいでしょうか?」

「ええと……、うん、ありがとう」

(これって……、実際に見たことは無いけど、『糊』と言うよりは、もはや『にかわ』に近い物なんじゃ……)

 鍋の中のドロリとした物は透明では無く茶褐色で、エセリアの認識している糊とは似ても似つかない代物だった。それを覗き込んで茫然としていると、コーネリアが困ったように声をかけてくる。


「エセリア? 早く使わないと固まって、使えなくなってしまうのでしょう? それとも、欲しい物はこれでは無いの?」

 それでエセリアは、瞬時に我に返った。

「そうだった! ちょっと借りるわね!」

「はい、どうぞ」

 慌ててミスティから鍋を受け取り、テーブルの上に置いて貼り付ける準備をする。しかし既に鍋の中に入れてあった物を見て、エセリアは泣きそうになった。


(うぅ……、取り敢えず粘りはあるみたいだからくっつきそうだけど、塗るのに筆やヘラじゃなくて刷毛……。まだ幅が細いタイプだったから良かったものの。綺麗に均一に塗れる自信が無い……)

 心の中で密かに泣き言を言いつつ、エセリアは刷毛に得体の知れない物体を付け、それを便箋の縁に沿ってなるべく均一に塗り始めた。そして便箋を四枚を張り合わせて、ほぼ真四角の用紙を作り上げる。


「なんとか、これで良いかしら?」

 自分自身を納得させる様に、出来上がった物を見下ろしながらエセリアが呟くと、横から同じ様に覗き込みながら、コーネリアが尋ねてきた。


「綺麗に、縦横同じ長さにできたわね。それで、これをどうするの? まだ糊は使うの?」

「いえ、取り敢えず、これはもう良いわ。ありがとう」

「分かりました。片付けてきます」

 ミスティに礼を言って鍋を片付けて貰ったエセリアは、再び姉に尋ねた。


「それじゃあ、お姉様。定規を使いたいのですけど」

 何気なく口にした彼女だったが、それを聞いたコーネリアは変な顔になった。

「『じょうぎ』って、何の事かしら?」

「ええと……、目盛りが付いていて、長さを測る物で」

「巻き尺の事?」

「いえ、そうではなくて、硬くて真っ直ぐな棒と言うか、細い板状の物で……」

 そこまで説明を聞いたコーネリアが、自分付きの侍女を振り返った。


「アラナ、あなたは知っている? どんな物なのか分かるかしら?」

「申し訳ありません。何の事やらさっぱり……」

「……ごめんなさい、お姉様。今のは聞かなかった事にして下さい」

 本気で首を傾げる主従を見て、エセリアは必死に涙を堪えた。


(これ位で負けちゃ駄目よ、エセリア! どんな世界でも先駆者って言う存在は、己の知恵と勇気で人生を切り開いて行くんだから!!)

 そしてふるふると握った拳を震わせていたのは少しの間で、彼女はすぐに壁際に走って行った。そして本棚から立派な装丁の本を取り出し、その縁にペン先を当てながら出来上がったばかりの紙に、苦労して線を引き始める。そこに何とか大きい正方形を書き込んでから、紙を縦横細かく二つ折り四つ折りにして等間隔の折り目を付けてから、再度一心不乱に正方形の中に縦横に線を書き込み始めた。

 その鬼気迫る表情のエセリアを見ながら、アラナが恐る恐る主に尋ねる。


「あの……、コーネリア様。エセリア様が、とても怖いお顔で何やら紙に書いていらっしゃいますが……、あのまま放っておいても大丈夫でしょうか?」

「物を書くだけだから、別に構わないと思うのだけど……。私も、段々不安になってきたわ」

 そんな気づかわし気な視線を受けている事に気付かないまま、エセリアはすぐに目指す物を書き終えた。


「あの、エセリア?」

「できた! お姉様、見て!」

「ええと……、その四角が並んだ模様は何かしら?」

「今から使うのよ」

 得意満面で両手で書き上げた物を見せたエセリアだったが、姉の反応は薄かった。しかしそれを気にする風情を見せず、彼女が新しい要求を繰り出す。


「それから、こういうペラペラの紙じゃなくて、もっとぶ厚い紙はありませんか?」

「厚い紙? そんな物、何に使うの?」

「……やっぱり段ボールとかは無いわよね」

 またコーネリアは首を傾げたが、これまでのやり取りでしっかり耐性が付いてしまったエセリアは、もう落ち込んだりはしなかった。


「よし、お姉様。私、これからちょっと庭に行って来ます!」

 そう言ってテーブルの上に用紙を置くなり、エセリアが廊下に向かって駆け出して行った為、コーネリアは焦った声を出した。


「あ、エセリア、待ちなさい! 私も、一緒に行くわ! あなた達も付いて来て!」

「はい!」

「お嬢様、お待ち下さい!」

 そしてアラナと、ちょうどその時戻って来たミスティを従えて、コーネリアは妹の後を追った。

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