(2)これも、ある意味覚醒

 ミランとの会話によってある事が閃いたエセリアは、それから数日の間、食事と睡眠の時間以外は自室の机にかじりついて、何かを猛然と書きなぐっていた。

 そんな彼女を見て当初家族達は困惑し、心配もしたのだが、いち早く何かを達観したらしい彼女付きの侍女であるミスティが、「食欲はいつも以上に旺盛でいらっしゃいますし、羨ましい位に毎晩熟睡されておられます。何もご心配要りません」と断言した為、エセリアの事は彼女に任せて静観の構えを取っていた。

 その状況が変化したのは、エセリアが部屋に籠もり始めて五日目、彼女がコーネリアの部屋を訪れた時だった。


「お姉様、お願いがあるのですが……」

「あら、どうしたの? エセリア」

 礼儀正しく侍女に先触れをさせて、都合を聞いた上で部屋を訪れた妹が、妙に神妙な態度でいる事に、コーネリアは僅かに首を傾げた。するとエセリアが、おずおずと紙の束を差し出しながら懇願してくる。


「これを、お姉様に読んで頂きたいの。自分では面白いと思うけど、第三者の率直な感想が欲しいので」

 そう頼まれたコーネリアは、笑いながらそれを受け取り、何気なく尋ねた。


「構わないわよ? それで一体、何を書いたの?」

「小説です」

 短く答えられた、聞き慣れない言葉に、コーネリアは本気で戸惑った。


「『しょうせつ』? 詩とか評論文とかでは無くて? 聖典から引用された訓話とか、導き出された寓話でも無く?」

「そんな堅苦しかったり、型にはまった物ではありません! もっと自由な発想で、想像力を駆使して書いた物です!」

 先程までのしおらしさをかなぐり捨て、急に語気強く訴えてきた妹に、コーネリアは気圧されながら頷く。


「そ、そうなの? それなら取り敢えず、読ませて貰うわね?」

「はい、お願いします」

 そして小さな丸テーブルを挟んで、向かい側のソファーに座りながら一心不乱に手元の原稿を読み始めた姉を見ながら、エセリアは一人苦笑した。


(『想像力を駆使して』とか偉そうに言っちゃったけど、最初だから手っ取り早く《クリスタル・ラビリンス》の内容を、そのまま書いちゃったのよね。一応名前はしっかり変えてあるから、問題は無いと思うけど)

 そのままエセリアも読み終わるのを待つ態勢になり、室内に沈黙が漂う。

 暫くしても、時折コーネリアが読み終えた分をテーブルに置く音だけが聞こえる室内で、その静寂に耐えられなくなったらしいコーネリア付きの侍女のアラナが、控え目にお伺いを立ててきた。


「あの、コーネリア様。お茶でもお持ちしましょうか?」

「……いえ、結構よ」

「それではエセリア様は……」

「いただきます」

「少々、お待ち下さい」

 常にはない素っ気なさで、顔も上げずに断りを入れたコーネリアに愕然とし、にこやかに飲み物を要求して来たエセリアには、(一体コーネリア様に、どんな物を読ませているの!?)と恐怖しながら、アラナはエセリアの分だけお茶と菓子を用意して、彼女の前に差し出した。

 それから更に時間が経過し、窓から差し込む日の光の角度がだいぶ変わった頃、コーネリアは漸く手元の用紙から視線を外し、ゆっくりと顔を上げた。


「……エセリア」

「はい、お姉様。どうでしたか?」

「素晴らしいわ。最初は単なる伝記なのかと思ったけど、こんな数奇な人生を送る人はそうそういないでしょうし、かと言って全く現実離れした荒唐無稽な設定ではないから、主人公に感情移入して読み進められるわ」

 最悪、「こんなありえない、馬鹿馬鹿しい話は読めません」と切り捨てられるのを覚悟していたエセリアは、その絶賛に近いコメントを貰えた事で、安堵の溜息を吐いた。


「良かった。お兄様はお姉様の事を、『姉上は模範的な貴族令嬢だから、エセリアも見習わなくてはならないよ』と常々言っておられたから、貴族のお嬢様方に読んで貰えるかどうか、まずお姉様の意見を貰いたかったの」

「まあ……、私は試されたのね?」

 そこで苦笑したコーネリアだったが、すぐにその笑いを収めて真顔になった。


「エセリア。私はこれを読んで、如何に自分の視野や世界が狭いのかを思い知らされて、ショックを受けたわ」

「え? お姉様?」

「だって、私は今まで文章と言えば、報告や記録の為に残される物、教育や躾の為に書かれた物、後は私信やごく定型的な詩で自分の気持ちを表現する物と、思い込んでいたのよ?」

「ええと……、でもそれは、世間一般的な認識ですよね? ですから」

 だから別に、お姉様がショックを受ける事は無いのだと、続けたかったエセリアだったが、それをコーネリアの叫びが遮った。


「そう! そうなのよ! それなのにあなたはいとも容易く、その常識を打ち破ってしまったのよ!? 素晴らしいわ、エセリア! あなたから、今、この瞬間から、新しい文化が花開くのよ! もう『文聖』と言う呼び名が、あなた以外に相応しい人間は存在しえないわ!! まさに時代の先駆者! ああ、こんな素晴らしい人間が私の妹だなんて、神様は私になんて多大な幸運を授けて下さったのかしら!?」

「……え?」

「お嬢様っ……」

「ああ、何やらコーネリア様まで変におなりに……」

 エセリアが顔を引き攣らせた背後で、アラナが涙ぐみ、ミスティが遠い目をしながら呟く。その囁き声を聞きながら、エセリアは盛大に冷や汗を流した。


(ええと……、そんな大げさに感動する様な事をしたつもりは……。単に小説を書いただけよ? ひょっとしてお姉様って、もの凄い姉馬鹿?)

 するとコーネリアは、あまりの展開に固まっている妹に向かって、これ以上は無い位の真剣な表情で主張した。


「エセリア! これは是非、広い世の中に知らしめるべきよ! 文章を用いた娯楽の分野を、果敢に切り拓いていくべきだわ!」

「そ、そうですか……。お姉様から賞賛の言葉を頂けましたので、今度ミランが来た時に原稿を渡して製本して貰います。原稿は何冊分かありますが、まだ一部書きかけなので」

「エセリアッ!!」

「はっ、はいぃぃっ! お姉様、どうかなさいましたか?」

「ああっ! アラナさん、大丈夫ですかっ!?」

 いきなり悪魔の如き形相で掴みかかって来たコーネリアに、エセリアは本気で心臓が止まりかけたが、その様子を見たショックでアラナが声も無く倒れ、慌ててミスティが介抱を始める。そんな中、コーネリアが低い声で問い質してくる。


「何冊分って、どういう事? 今、手元にあるのはこれだけでは無いの?」

「あっ、あのですね! お姉様にお渡しした分は、《クリスタル・ラビリンス》の《暁の王子編》でして、主人公は同じですが相手役が違うという、色々なパターンを書いておりまして。因みに今、同時進行で書き進めているのは、《苦悩の神の使徒編》と《信義の聖騎士編》で」

「今すぐ、書き上がっている分だけで構わないから、ここに持っていらっしゃい!!」

「はっ、はいぃ――っ!!」

 常とはまるで違う迫力満点の姉から厳命されてしまったエセリアは、ミスティをその場に放置して、転げ出る様に廊下に出て、自室へと走った。


(小説自体を認めて貰って、気に入って貰えたのは良かったけど、食いつきっぷりが半端じゃない! あの穏やかな笑みを絶やさないお姉様の人格が、豹変しちゃってるわ!)

 そして激しく嫌な予感を覚えながら、エセリアは恐る恐る姉に書きかけの原稿を渡したのだが、その予想通り、彼女はそれから暫く姉からの原稿の続きの催促を、頻繁に受ける事になった。

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