(8)とんでもない勘違い

「あの……、皆が揃っているし、ちょっと相談したいことがあるんですけど……」

 食堂に家族全員が集まり、和やかに夕食を食べ終えたタイミングで、ルーナが慎重に話を切り出した。それに大人達が、何気なく尋ね返す。


「あら、ルーナ。どうしたの?」

「何か欲しい物でもあるのかな?」

「遠慮なく言ってね?」

「ええと……、そうじゃなくて。ご領主様のお屋敷に、メイドとして働きに出ようと思うんです」

 それを聞いたゼスラン達は、血相を変えて問い質してくる。


「はぁ!? メイドだって?」

「え? 一体、どういうこと!?」

「ルーナ! 別にあなた達を養っても、この家はお金に不自由していませんよ!?」

「ええと……、別に、お金がどうとかという話では」

「五月蝿いぞ! 他人の話は黙って聞かんか!!」

「…………」

 こぞって声を荒らげた大人達に困惑したルーナだったが、ここでネーガスが妻と息子夫婦を一喝した。そして三人を黙らせてから、不機嫌そうにルーナを促す。


「ルーナ! 話があるなら、さっさと言え!」

「あ、は、はい!」

(おじいさんからまともに話しかけられたのって、ここに来てからひと月近く経つけど、これが初めてかも……。いえ、そんな事より、ここはきちんと説明するのが先決よね)

 思わぬ助け船に少々驚いたものの、ルーナは即座に気持ちを切り替えて話を続けた。


「あのですね……、実はこちらに移ってから、ずっと悩んでいたことがあるんです」

「まあ……、どんなこと?」

「どうも生まれてからずっと山暮らしだったものですから、感覚が変に敏感になっているみたいなんです」

 その告白に、ゼスランは怪訝な顔になった。


「すまない、ルーナ。『感覚が変に敏感』というのは、どういう意味なんだい?」

「山を歩いていると、危険に遭遇することが多いんです。うっかり獣の生息範囲に足を踏み入れると死角から襲われますし、崖からの落石とか地面の陥没とか、触るとかぶれたりする草木もありますし」

「うん、それは確かにあるだろうね。それで?」

「暮らしているうちに、頭上の枝とか茂みの中から、こちらの様子を窺っている獣の気配を感じ取れるようになったんです。それを会得してからは、猟がすごく楽になりました」

「……へ、へえ? それは凄いね」

「だけどこの街に獣は居ない筈なのに、こちらに来てから結構な頻度で、自分の様子を窺っている気配を感じるんです。だから私、山での暮らしが長過ぎて神経過敏になっていて、こういう都会暮らしができない体質になっているんじゃないかと思うんです。だってこれは、存在しない筈の獣の気配を感じているってことですよね? 頻繁に妄想してしまっているとか、日常生活に支障があると思います」

「…………」

 そこでルーナは同意を求めたが、何故かゼスランとミアとアルレアは、無言でネーガスに物言いたげな視線を向けた。そのネーガスは面白くなさそうにそっぽを向いたが、ルーナはそんな大人達の反応に気がつかないまま、妹に向き直って尋ねる。


「アリーはそんな感じ、しないでしょう?」

「……え、ええと。、イノシシとかクマとかキツネとかヘビに見られている感じ、だよね?」

「そうよ」

「…………うん、しないね」

 困ったように考え込んでからアリーが小さく頷くと、ミアが口を開いた。


「あ、あのね? ルーナ。今の話だけど、それは単にルーナの感覚が鋭いだけだと思うのよ? その気配というのは獣のものじゃなくて、多分お」

「ぐぉほぉっ! ぐはぁっ! ぐへぇっ!」

「え? おじいさん、大丈夫ですか?」

 ミアの台詞の途中で、いきなりネーガスが激しく咳き込んだ。その尋常ではない様子にルーナは驚いて声をかけたが、ネーガスは語気強く言い返してくる。


「なんともない! それより、その獣の妄想とメイドになるのが、どう繋がると言うんだ!」

「…………」

(なんだか、急に凄い咳き込みだったけど、大丈夫かな? 知らなかったけど、おじいさんは持病があったのかしら?)

 他の大人三人が、何やら呆れ気味の視線をネーガスに向けていたが、ルーナはそれには気がつかなかった。


「それがですね。今日掲示板を見たら、ご領主様のお屋敷で、メイド見習いを募集していたんです」

 ルーナがそこまで話したところで、今度はカイルが激しく動揺しながら口を挟んできた。


「ちょっと待て、ルーナ! まさか《あれ》に応募するつもりなのか!? 悪いことは言わないから止めておけ!」

「カイル? ご領主様のお屋敷の求人だろう?」

「変な内容ではない筈よ。どうしてそこまで否定するの?」

 息子の言い分にゼスランとミアは不思議そうに尋ねたが、カイルは血相を変えながらその理由を告げた。


「だって『気力体力根性運気が充実した、身内が少ないなど後がないために大抵の衝撃に耐えられて踏み留まれる、シェーグレン公爵家に死ぬまで仕える気概のある、年齢11歳から13歳までの女子を求む』って、色々な意味でおかしくないか!? どんな危険作業に携わるメイドを募集してるんだよ!?」

「……………………」

 その訴えを聞いた全員が口を閉ざし、ルーナに視線を向けた。その視線にルーナは若干たじろぎながらも、真顔で訴える。


「でも、そういう神経を研ぎ澄ます仕事なら、私の体質が活かせるかなと思って。それに実際に屋敷内で狩りをする筈がないから危険性は少ないと思うし、仕事をしていくうちに少しずつ感覚が慣れていって、問題なく日常生活を送れるようになるんじゃないかと考えたの」

 そこでミアが顔を引き攣らせながら、ルーナに言い聞かせようとした。


「あ、あのね? ルーナが感じていた気配は妄想とか幻とかじゃな」

「がはぅっあ! ぐはぉっ! ぎふぇっ!」

「え? あ、あの、おじいさん? 大丈夫ですか?」

 しかしミアの台詞は、再びネーガスの尋常ではない咳き込みに遮られた。それでルーナは先程と同様に驚きの視線を向けたが、今度はアルレアが腹立たしげに言い出す。


「ルーナ、この人は放っておいて頂戴。それで、ルーナの感覚がおかしいわけじゃなくて、この人が」

「ぎふぁっ! げふぇおっ! ぐあはっ!」

「でも、なんだか酷そうですけど……」

 再びネーガスがむせるような変な声を上げたことで、祖父は何やら変な病気なのかもしれないとルーナが思い始めると、今度はゼスランが真顔で口を挟んでくる。


「あのな、実は父さんがルーナのことを」

「ぎへっえっ! ぐほぁっ! ふぎょあぁっ!」

「あの……、本当に大丈夫なんですか?」

「……………………」

 どうにも尋常ではないネーガスの様子に、ルーナが本気で心配しながら尋ねると、それが伝わったらしいネーガスが無言で視線を逸らし、他の三人は怒るのを通り越して呆れ果てた目を向けた。そのまま微妙な沈黙が室内に漂ってから、ルーナが恐縮気味にお伺いを立てる。


「ええと……、それで採用試験の日時に、お屋敷に出向いてみようと思うんですけど……」

 するとカイルが、幾分心配そうに確認を入れてくる。


「だけどルーナ、あれには『採用試験時に得意とする一芸を披露すること』とも書いてあったぞ? 何をするつもりなんだ?」

「一応、考えていることはあるから……」

 そのやり取りを聞いて、ここまで黙って話を聞いていたリリーとラングも、不安そうに顔を見合わせる。


「え? そんな事も書いてあったの? その話、本当に大丈夫かしら? 見習いとはいえ、仮にもお屋敷のメイドの募集なのよね?」

「おい、カイル。変な紛い物を見たわけじゃないだろうな?」

「俺だって変だと思ったから、管理人のラルフさんに聞いたさ! そうしたら『俺も変だとは思ったんだが、いつも掲示物を持ってくる管理官の部下だったんだよ』と言ってたし! だから本物の筈だよ!」

 憤慨しながらカイルが言い返したが、膠着しかけたこの議論に、ここでネーガスがかなり強引に結論を出した。


「良いんじゃないか? 受けたいと言うのであれば、取り敢えず採用試験を受けさせてみれば」

「え? 良いんですか?」

「お父さん!」

 許可が出たルーナは安堵したが、ゼスランは父に向かって声を荒らげた。しかしネーガスは、息子以上の迫力で怒声を放つ。


「五月蝿い! この家の家長はこの俺だ! ルーナが受けたいと言うなら、受けさせれば良かろうが! どうせ山育ちの田舎育ちだ! お屋敷のメイドであれば、この近辺の娘達がたくさん受けるだろうし、受かる筈がないだろうが! 身の程を知るのにちょうど良い!」

 その言い草に、即座に周囲から非難の声が上がる。


「お父さん!」

「お義父様!」

「あなた!」

「お祖父さん!」

「じいさん!」

「じいちゃん!」

「黙れ! 試験を受けて落ちたら、これにこりて12の小娘の分際で、外で働くなど生意気なことも言わなくなるだろうが!」

「…………」

 それを聞いて、各自がそれぞれ何か言いたげにしながらも口をつぐみ、そんな微妙な空気の中、ルーナがおそるおそる確認を入れる。


「あの……、それなら、そういうことで良いですよね?」

 するとアリーが、不安そうに尋ねてきた。


「おねえちゃん、イルマさんみたいに、お屋敷に住んでメイドをするの?」

「貼り紙には『住み込みでも通いでも可』って書いてあったから、採用されたらここから通うつもりよ」

「……そうか。じゃあ、がんばってね? おねえちゃんなんでもできるから、メイドさんもできると思う」

「ありがとう、アリー」

 これからも姉と一緒に暮らせると分かったアリーは、笑顔で姉を応援した。そこで話は終わり、子供達がそれぞれの部屋に引き上げた後で、食堂に残った大人達が渋面で言い合う。


「お義父さん、本当に良いんですか? 万が一、採用されたりしたら……。お屋敷のメイドですから、お断りなんかできませんよ?」

「くどい! お屋敷のメイドなら、色々求められるものも多い筈だ。山暮らしのルーナには無理だろうが!」

「確かに、それでルーナが納得してくれるなら良いでしょうが……」

「全く……。お父さんがこそこそと変なことをしているから、ルーナがすっかり誤解して……」

「そうですよ。こっそり見ていないで、ちゃんと声をかけてあげれば良いじゃありませんか」

「…………」

 息子夫婦と妻に苦言を呈されたネーガスは、それ以上何も言わずに立ち上がり、食堂から引き上げた。それを見た他の三人は色々諦め、余計なことは言わずに事態の推移を見守ることにしたのだった。

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