(14)戻ってきた日常
王都で予定の全てを消化したエセリアは、複数の方面から熱心に引き止められたにも係わらず、それらをあっさりと袖にして本来のスケジュール通りに領地へ戻った。
「ただいま! 皆、お疲れ様! 色々お土産を持って来たわよ!」
アズール学術院は既に施設全体の建設は殆ど終わっていたが、中の備品等の設置はまだまだこれからで、がらんとした空間が大部分を占めていた。しかしその一部では物が溢れかえっており、その間を人が忙しそうに動き回る中、エセリアが大声で呼びかけると、室内にいた全員が仕事の手を止めて歓喜の声を上げる。
「学院長!」
「遅いですよ!」
「もう戻って来ないんじゃないかって、俺達心配していたんですから!」
「遅くないわよ。ちゃんと当初の予定通りに、帰って来たじゃない。どうして、戻って来る来ないの話になるわけ?」
自分が使っている机に向かって、部屋を横切りながら周囲に問いかけると、学術院開設に向けてエセリアがスカウトしたスタッフ達は、少々気まずそうに顔を見合わせながら弁解してきた。
「それはその……」
「今回、王都滞在中に、ご友人の結婚式に参列してくると仰られていましたし……」
「学院長の年齢を考えると、ご家族からしつこく結婚を勧められるんじゃないかと」
それを聞いたエセリアは、思わず足を止めて言い返した。
「あのね……。そもそもそんな事にこだわる人間が私の家族に一人でもいたら、私はこっちに一人で来ないわよ?」
「……それもそうですよね」
「頭では分かっていたつもりなんですが」
「皆、まだまだ固定観念に縛られているみたいね。そんな頭の固さじゃ、革新的な事なんてできないわよ?」
「申し訳ありません。肝に銘じておきます」
笑って再び歩き出しながらエセリアが軽口を叩くと、周りの者達も苦笑の表情になった。その直後、自分の机に到達したエセリアは、そこに山積みなっている書類を見下ろして、うんざりした呟きを漏らす。
「書類の山に迎えられるのは想定内だったけど、さすがにこの高さと幅は想定外だったわね」
「丸々二ヶ月の間、お留守にしていたのですから、諦めてください。これでも単なる事務手続きや確認書類などは、こちらで処理しておきましたので」
エセリアが学術院の事業を始めるに当たって、ディグレスとナジェークが彼女を補佐する実務担当者を何人か付けており、そのまとめ役であるギュンターが彼女の愚痴に冷静に応じた。さすがにここで計画を進めていた面々に、かなりの負担をかけた事は分かっていたエセリアが、軽く頭を下げる。
「ありがとう、ギュンター。それじゃあ早速、この書類に取りかかりますか。お土産は皆で適当に分けて頂戴」
エセリアが周囲を見回しながら声をかけると、彼女に付き従って来たルーナが部屋の隅にある空いている机に向かい、そこに抱えてきた箱から幾つもの包みを取り出した。それを見たスタッフ達から、歓声が上がる。
「遠慮無く頂きます!」
「じゃあ、お茶を飲みながら、少し休憩するか?」
「そうだな」
「それなら少しお時間をいただけるなら、皆様の分も順番にお茶を淹れますよ? これからエセリア様の分を淹れますから」
「ありがとうございます!」
「じゃあルーナさん、すみません、俺の分もお願いします」
「はい。全員分お淹れしますね」
自ら提案し、全員分のお湯を沸かす為に自分の横をすり抜けて部屋を出て行こうとしたルーナを、エセリアが呼び止めた。
「ルーナ。戻って早々、悪いわね」
「エセリア様が早速お仕事をされているのに、私だけ先にお屋敷に帰るわけにはいきません。それに今回も旦那様と奥様に、『エセリアの事をくれぐれも宜しく頼む』と頭を下げられましたので。エセリア様が引き起こすトラブルをフォローするには、できるだけ張り付いている必要がありますから、お気遣いなく」
大真面目にそんな事を言われたエセリアは、盛大に顔を引き攣らせた。
「私の事を、超特大の問題児みたいに言わないで欲しいわ」
「……せめて自覚位はして欲しいと思うのは、贅沢な願いでした」
小さく溜め息を吐いてからルーナは廊下に出て行き、それを憮然とした顔で見送ったエセリアも、すぐに気を取り直して仕事に取りかかった。
「皆様、お茶を五人分淹れましたので、お手すきの方から順番にどうぞ」
「ありがとうございます、ルーナさん」
「私は後からで良いので、これを施設室のダンテスさんに持って行って貰えますか?」
「すみません、ついでにこれを、研究室のクオールさんに」
「分かりました、お預かりします。戻ったら次の方達のお茶を淹れますね」
「お願いします」
「お、美味そうな焼き菓子があるぞ?」
「やっぱり王都の物は、洗練されてるよなぁ……」
本来はエセリア付きの侍女ながら、雑用をこなすスタッフと化しているルーナを含めて、いつも通りの風景が戻って来た。ここである事を思い出したエセリアが、何気ない口調で隣の席のギュンターに話しかける。
「あ、そう言えばギュンター。例の、テーマパーク構想だけど」
「ええ。あれの計画書の作成も、お留守の間に幾らか進めておきました。それがどうかしましたか?」
「両陛下に長期視察に出向いて貰って、職業体験をしていただく事になったから。まだ口約束の段階だけどね」
「……え?」
彼女がサラリと口にした言葉にギュンターが瞬時に固まり、それを聞くともなしに聞いてしまった他の面々は、揃って驚愕した。
「りょ、両陛下に!?」
「ちょっと待ってください、エセリア様!」
「あんた陛下と王妃様に、何をさせる気ですか!?」
室内のあちこちで、何かを取り落とす物音と共に狼狽しきった叫び声が上がったが、エセリアは冷静に話を続けた。
「因みに陛下は、是非庭師とパン屋をやってみたいと仰っていたわ。王妃様も口では陛下を窘めていたけど、結構興味津々だったし。実際に足を運んでいただいたら、面白がって率先して色々体験してくださるのではないかしら」
そんな能天気な台詞を聞いた面々は、揃って頭を抱えた。
「嘘だろ……」
「勘弁してください」
「確かにエセリア様が王都に行く前、『せっかくだからテーマパークのオープニングセレモニーに相応しい、貴族でも高位の方に賛同いただいて参加して貰えるように、お願いしてこようかしら』とかなんとか仰っていましたが……」
「まさか両陛下なんて最大級の代物を、しっかり釣り上げて帰って来るだなんて、想像だにしていなかったじゃないですか!」
「だいたい、どうやって話を持ち込んだんですか?」
段々八つ当たりめいてきた叫びに、エセリアが困惑しながら答える。
「『どうやって』といわれても……。単に陛下から呼び出しを受けて王宮に出向いた時に、ついでに話題に出してみたら、食い付いてくださっただけだし。特に裏工作とかはしていないわよ?」
それを聞いた男達は、がっくりと肩を落とした。
「そうでした……。すっかり忘れていましたけど、学院長ってれっきとした公爵令嬢でしたね……」
「そう言えば王妃様の姪にも当たる方ですから、平民の俺達とは違って、行こうと思えば出向く事は可能ですよね」
「奇想天外な言動が多くて、その事実を完全に忘れさっていましたが」
「あなた達、何気に失礼じゃない?」
エセリアが思わず軽く眉根を寄せたところで、用事を済ませて戻ってきたルーナが驚きの声を上げた。
「皆様、また五人分お茶を淹れて……。まあ! エルミンさん、カールさん、大丈夫ですか? 派手に零れていますけど」
お茶を飲んでいた時に衝撃の台詞を聞いてしまい、思わずカップを取り落とした者達は、慌ててルーナに詫びを入れた。
「あ、だ、大丈夫です。火傷とかはしていませんから」
「周りを汚してしまってすみません」
しかしそんな彼らに、彼女は平然と笑って返す。
「大丈夫です。布巾はたくさんありますし、床もすぐに掃除します。どうせまたエセリア様が、いきなりとんでもない事をするか、仰ったんですよね? 伊達に何年も、専属侍女をしていません。私ならとっくに慣れていますから、気にしないでください」
「…………」
全く動じないルーナが笑顔で手際良く後始末を始める中、室内の殆どの人間の物言いたげな視線が、エセリアに集まった。それを誤魔化すが如く、エセリアが力強く宣言する。
「とにかく! そういう訳だから両陛下の期待に応える為にも、このテーマパークは何が何でも成功させるわよ!? 皆、宜しくね!」
「うわ! さり気なくプレッシャーをかけられた!」
「加えて計画の前倒しも、暗に求められた気がする!」
「正直まだ、学院を軌道に乗せるだけで手一杯ですよ!」
「勘弁してください!」
一斉に上がった悲鳴じみた叫びを聞いたエセリアは、平然と付け加えた。
「それ位、分かっているわよ。これから募集をかけて、また有能な人材を補充するから」
「そうしてください。正直、手に余ります」
心底うんざりした表情でギュンターが応じたのを聞いてから、エセリアは再び仕事に戻った。それを見た他の面々もそれぞれ休憩に入ったり、仕事を再開させる。
(最近は本当に、やりたい事や考える事が多過ぎて、退屈している暇は無いわね。子供から大人まで楽しめるテーマパーク設立に向けて、これまで以上に頑張るわよ!)
そんな風にやる気を漲らせながら、エセリアは自身の構想の実現に向かって、突き進んでいくのだった。
(完)
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