(37)ちょっとした意趣返し

 その日エセリアは、マリーリカの誕生日に合わせたローガルド公爵家の夜会に、両親と共に招待されていた。

 エセリアは自室で支度を終えると、同様に招待されているグラディクトを出迎えるため部屋を出て玄関ホールに向かった。しかし暫くして彼女が部屋に戻ってきたのを見て、片付けをほぼ終わらせていたルーナが驚いて声をかけた。

「エセリア様? もうとっくに夜会にお出掛けになったと思っていましたが、どうかされましたか? まさか中止になったのですか?」

 その問いかけに、エセリアが笑って答える。


「違うわよ。殿下が連絡をしてきた到着予定時刻になっても、一向にいらっしゃらなくて。パートナーを待たせるなんて、なっていないわね。お兄様は引き続き玄関ホールで待機しているけど、私は部屋に戻っているように指示されたの。お兄様は今夜は招待されていないから、楽な服装だしね」

「まあ……、途中で何か事故でもあったのでしょうか?」

「それならこちらに連絡がくるでしょうし、単に出発が遅れて、その連絡もしなかっただけなのではないかしら? 遅れると分かった時点で、連絡を入れれば良いだけなのにね」

「ですが呼ばれたエセリア様が玄関ホールに行くまで、王太子殿下をお待たせしてよろしいのですか?」

 真っ当な懸念を口にしたルーナだったが、エセリアは明るく笑い飛ばした。


「こちらが散々待ったのだから、向こうをそれくらい待たせても構わないとのお兄様の判断よ。要するに軽い嫌がらせね。殿下をお出迎えしてご挨拶してから出立しようと、お父様とお母様はギリギリまでお待ちしてから出掛けられたのだもの。それでカルタスとロージアも腹に据えかねたのかお兄様の指示に何も言わなかったのだから、公認されたのも同然よ」

 それを聞いたルーナは、思わず溜め息を吐いた。


「執事長とメイド長公認の、軽い嫌がらせですか……。それではエセリア様、お茶でもお持ちしますか?」

「私のことは構わないで、片付けを進めていて良いわよ?」

「もう終わりましたので」

 そんな会話をしているとドアがノックされ、メイドの一人が現れて報告してきた。


「エセリア様、失礼します。ただいまグラディクト殿下が到着されました」

「ありがとう。今、行くわ」

 笑顔で頷いて椅子から立ち上がったエセリアは、ルーナに向き直った。


「残念。お茶を飲む暇はなかったわ」

「それでは行ってらっしゃいませ」

 そこで苦笑しながら頭を下げたルーナだったが、頭を上げるとなぜか真顔で考え込んでいるエセリアと視線が合う。


「……ねえ、ルーナ。前にグラディクト殿下がどんな人間か、聞いた事があったわよね?」

 そんなことを尋ねられたルーナは、当惑しながらも頷いた。


「はぁ……、確かに何かの折に、そんな話をした記憶があります。国王王妃両陛下の肖像画などは巷に出回っておりますが、王子王女殿下の物となるとあまりありませんので」

「それなら実物を見せてあげるわ。付いてきて」

「え? いえ、でも……。通常王太子殿下のお出迎えやお見送りには私のような若輩者は出ずに、古参の方々だけで対応しておりますが?」

「良いことを思い付いたから、そこら辺は大丈夫よ。任せてちょうだい」

(エセリア様の『良いこと』は、これまでのあれこれからすると、正直あまり信用がないのだけど……)

 エセリアは言うだけ言ってさっさと歩き出し、ルーナは少々不安になりながらその後に付いていった。そして玄関ホールに下りる階段に差し掛かったところで、エセリアが軽く肘を曲げて左手を差し出してくる。


「さあルーナ、私の手を取って。そして私の手を引いて、ゆっくり階段を下りていくのよ」

「あの……。エセリア様は、一人で階段を下りられますよね?」

 当惑したルーナが控え目に反論すると、笑いを堪える表情でエセリアが言い返してくる。


「まあ、ルーナ! 私は深窓のご令嬢なのよ? 手を引いて貰えないと、怖くて階段を下りられないわ! ドレスの裾を踏んで転がり落ちたりしないか、心配で心配で! 臆病すぎると笑われても仕方がないけど!」

 悲痛な口調で訴えたエセリアだったが、表情がそれを見事に裏切っていた。それを目の当たりにしてしまったルーナは、色々諦めながら確認を入れる。


「白々しすぎますが……。要するに、そういう勿体ぶった体裁でしずしずと階段を下りていって、お待たせしている王太子殿下を余計に苛立たせようという算段なのですね?」

「そういう事よ。それじゃあお願いね?」

「畏まりました」

 王太子殿下を怒らせる行為の片棒を担がされることになったルーナは、うんざりしながらもエセリアの手を取り、ゆっくりと先導して階段を下り始めた。そんな二人の姿を玄関ホールで待機していた者達が、微妙な表情で見上げてくる。


(ああ……、やっぱり皆さんが、変な顔で見上げているわ。ナジェーク様だけは、どこか面白がっている風情だけど……。そしてあの方が王太子殿下なのが分かるけど、確実に苛立っているわね。そもそも向こうが遅れてきたのが悪いとはいえ、こんなことをして本当に良いのかしら?)

 ルーナがそんな事を考えているうちに玄関ホールに到着し、使用人達が一列に並んでいる場所でエセリアが足を止める。


「ありがとう、ルーナ。それでは後のことを頼んだわよ?」

「はい、お任せください。行ってらっしゃいませ」

(ああ、小芝居ですね。私をここまで連れてきたのを、尤もらしく見せるための)

 エセリアの台詞に応じてルーナは恭しく頭を下げ、使用人達の列の端に並んだ。それからエセリアは、優雅な足取りでグラディクトに向かって足を進める。


「殿下、お待たせしました」

「遅い! 行くぞ!」

 エセリアは笑顔で声をかけたが、グラディクトは挨拶もそこそこに踵を返し、外に待たせている馬車に向かった。しかしエセリアは、落ち着き払ってナジェークに笑いかける。


「それでは行って来ます」

「ああ、気を付けて」

 それから馬車寄せに停めてあった王家の紋章入りの馬車に、エセリアが乗り込んで去っていくのを見届けてから、ルーナは思わずと言った感じで感想を漏らす。


「あの方が、王太子殿下ですか……。初めてお目にかかりましたが、お気の毒な方ですね……」

 それを耳にした周囲の使用人達が、怪訝な顔で問い返した。

「ルーナ? どうして殿下がお気の毒なの?」

「そうよ。あれだけ見目の良い方だし、ちょっと気難しい方みたいだけど、貴族からの支持も多い方でしょう?」

「何かにお困りとか、悩んでいるような事もないと思うが?」

「そういう意味ではなくて……、何と言っても“あの”お嬢様の婚約者に、なられてしまいましたし……」

 ぼそぼそとルーナが理由を述べると、周囲は一瞬当惑してから揃って笑った。


「ああ、そういう意味で言ったのか。でも大丈夫だろう? 確かにエセリア様は非凡で奇抜なことをなさる方だが、能力的には問題ないし」

「そうそう。対外的には全く問題ないでしょうし、王太子妃になっても大丈夫よ」

「ルーナは心配性ね。まあ、エセリア様付きで、色々とんでもない事に遭遇していれば、仕方がないかもしれないけど」

「……はぁ、そうかもしれません」

「それはそうと、どうしてエセリア様の手を引いて下りてきたの?」

 その想定された質問に、ルーナは冷静に答える。


「私が王太子殿下にお目にかかる機会がないので、そうすれば直に見られるだろうとエセリア様が提案なさいまして。ついでに勿体ぶった姿で現れれば、お待ちの殿下を少々余計に苛立たせることができるだろうと、意地の悪いことを申されたものですから……」

 ルーナが恐縮気味に述べると、周囲は納得したように頷いた。


「そんな事だろうと思ったがな」

「それくらいの意趣返しは構わないでしょう」

「そうですよ。旦那様と奥様は、もっと長い時間殿下をお待ちになっておられたのですから」

 特に問題視されることはなく話が終わり、使用人達は各自持ち場に戻り始めた。

(実はそうではなくて、お嬢様が婚約破棄に向けて、着々と小細工を進めているからだけど……。お嬢様が王太子殿下を毛嫌いしてそんな事を企んでいるなんて言っても、誰も信じないわよね)

 そんな事を考えていると、ルーナは何となく視線を感じた。それで何気無くそちらの方に顔を向けると、どうやら先程から自分達のやり取りを眺めていたらしいナジェークと目が合う。すると彼が、思わせぶりに笑いかけてきたことで、ルーナは無意識に顔を強張らせた。


(このお屋敷の中でも、エセリア様が殿下からの婚約破棄を目論んでいるのを知っているのは、恐らくご本人の他はナジェーク様とナジェーク様付きのオリガさんと私だけ。万が一表沙汰になったら、大騒ぎになるのは確実だわ。絶対に周囲にバレないようにしないと)

 そして用は済んだとばかりにさっさと自室に戻るナジェークの後姿を見ながら、ルーナは密かに気合を入れ直していた。 


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