(16)真相
メイドらしからぬかなりの速度で廊下を疾走した三人は、重厚な応接室のドアの前で息を整えてから、徐にノックをした。
「失礼します。ケイトです。入ります」
「ああ、入って来なさい」
室内から了承の返事を貰ってから、ケイトは他の二人を先導して入室する。
「公爵様、奥様。朝からお騒がせして申し訳ございません。ただいまの時間、当事者のルーナから、本を破損した報告と謝罪を受けておりまして、こちらに出向くのが遅れました」
そう言ってケイトは主夫妻に深々と頭を下げ、ルーナとイレーヌもそれに倣うと、シェーグレン公爵ディグレスと妻のミレディアは笑顔で応じた。
「それは構わないよ。今私達の方から彼に、お孫さんの責任を追求する気はないし弁償も必要ないと説明して、なんとか納得して貰ったところだから」
「妹さんも何やら随分恐がっていて、お姉さんが殴られたり蹴られたり人身売買組織に売られたりしないかと怯えていたけど、そんなことはないからと皆で宥めたから大丈夫よ?」
「そうでございますか……」
(初めてお目にかかるけど、このお二人が公爵様と奥様……。アリーがどんな誤解をしていたのか分かったけど……、穴があったら入りたい)
見れば公爵夫妻の目の前で祖父と妹が床に座り込んで、自分に驚きの視線を向けており、ルーナは頭痛がしてきた。
「あの! 皆様のお手を煩わせて、誠に申し訳ありませんでした!」
謝罪の言葉を口にしながらルーナが再び頭を下げると、横からソファーに座った少年と少女が、笑いを堪える口調で告げてくる。
「構わないよ。ケイトは、相変わらず周囲に恐れられているんだね。だけど、ルーナ。彼女は信頼できる人だし、理不尽な行為をする人ではないから安心して良いよ?」
「はい。それは存じています」
「それは良かったわ。妹さんも泣き止んでくれて良かった。可愛い顔が台無しだもの」
「……恐縮です」
(確か、若様のお名前はナジェーク様で、上のお嬢様はコーネリア様。お二人の笑顔が胸に刺さります……)
ルーナが本気で項垂れていると、ここで明るい声が割り込んだ。
「もう本当に、気にしなくて良いわよ? その本とかは布教用に置いてある物だから、最初から紛失や破損を見込んで準備した物だから」
自分より僅かに年下に見えるこの少女が、公爵の末娘であるエセリアだと名前だけは知っていたルーナは、彼女に言われた内容が咄嗟に理解できず、反射的に尋ね返した。
「はい? あの……、エセリア様。『布教用』とは、なんのことでしょうか?」
「本を購入する場合、同じ物を三冊ずつ購入するのが常識よ。自分で読む《観賞用》と、それが汚れたり破損した時の予備の《保存用》、他者にその魅了を余すことなく伝える為の《布教用》よ」
「…………」
真顔でそんなことを主張されたルーナは、無言になって考え込んだ。
(そんな話、初めて聞いたけど……。王都では本を三冊ずつ買うのが、普通なのかしら?)
そんなルーナの戸惑いが手に取るように分かったのか、ナジェークとコーネリアが笑いながら言い聞かせてくる。
「ルーナ、安心してくれ。エセリアの常識は、一般的なそれとは少々ずれていることがあるから」
「お兄様、少々酷い物言いではありません?」
「でも確かにエセリアの言動は、一般的とは言えないわね」
「もう! お姉様まで意地悪ですね!」
(え、ええと……、ここで一緒に笑って良いのかしら?)
ここで公爵家全員が楽しげに笑い出したが、ルーナは困惑することしかできなかった。するとドアが再びノックされ、一人のメイドが本を五冊抱えて入室してくる。
「失礼します。エセリア様、ご指定の物をお持ちしました」
「ご苦労様」
するとエセリアはそのメイドを労ってから、アリーの前に移動して話しかけた。
「アリーと言ったわね? 確かに本を破ってしまったのは失態だけど、わざと破ったわけではないし、お姉さんの立場が悪くなるのを心配して名乗り出たのは偉いわ。そのご褒美にこれをあげるから」
「え? おじょうさま?」
「これは《クリスタル・ラビリンス》シリーズの全巻五冊よ。ここの屋敷の保存用に置いておいた物だから、遠慮なく持っていって」
「どうぞ、お受け取りください」
エセリアが手振りで促し、メイドが屈み込んで運んできた本をアリーに向けて差し出す。それにアリーは勿論、ネーガスやルーナも顔色を変えて固辞しようとした。
「えぇ!? もらえません!」
「お嬢様、とんでもございません!」
「さすがにそれは!」
しかしエセリアは、邪気の無い笑顔で両親にお伺いを立てる。
「さっき話を聞いたけど、他にもルーナを心配しているお姉さんやお兄さんがいるのよね? これを持って帰れば、この屋敷で怒られていないことがはっきり分かって、皆も安心するわ。お父様、お母様、名案でしょう?」
「そうだな、そうしなさい」
「でも年配の方と小さいお子さんが何冊も持って帰るのは、大変ではない? 誰か騎士を付けて本を持たせて……、あ、馬車を手配させれば良いかしらね?」
ディグレスが鷹揚に頷き、ミレディアが真顔で考え始めたところで、これ以上話を大きくしたくなかったネーガスは、狼狽しながら頭を下げた。
「滅相もございません!! 私どもが勝手に騒ぎを起こした挙げ句に本を頂くことになってしまったのに、この上、騎士様のお手を煩わせたりご領主様の馬車を使わせて頂くなど! ありがたく頂戴して、二人で持って帰ります! アリー、持てるな!? お前からも、お嬢様と公爵様達にお礼を申し上げなさい!」
「はい! おじょうさま、こうしゃくさま、ありがとうございました! だいじに読みます!」
「ええ、楽しんでくれたら嬉しいわ」
祖父に促されて、慌てて礼を述べたアリーに、エセリアが微笑みながら頷く。それを機に、ネーガスはかなり恐縮しながら腰を上げた。
「公爵様、皆様。この度は身に余るご厚情、誠にありがとうございました。それでは失礼いたします」
「じゃあお姉ちゃん、また後でね」
「うん。気を付けて帰ってね」
ネーガスとアリーがイレーヌに先導されて応接室を出て行くのを、ルーナはなんとも言えない表情で見送った。そして改めて、主一家に向かって頭を下げる。
「あの……、この度はお騒がせして、誠に申し訳ありませんでした」
その謝罪を聞いた公爵夫妻は、苦笑しながら答える。
「気にしなくて良いから。それにしても、仲の良い家族なのだな」
「本当ね。お祖父様が『仕事上で失敗したのなら、あくまでも本人の失態ですからご存分に処分願います。しかし自宅での失態であれば、家長である自分が責めを負うべきところです。孫の代わりに私をご処分ください』と言って土下座された時には、驚きましたけど」
「……はぁ?」
そこで当惑し、間抜けな声をあげてしまったルーナを、ケイトが軽く睨む。
「なんですか。皆様の前で変な声を出して」
「あ、いえ、少々意外な話を聞きましたので……」
「あら……、今の話のどこが意外だったのかしら?」
ミレディアから不思議そうに尋ねられたルーナは、
首を傾げながら言葉を継いだ。
「その……、祖父と初めて顔を合わせてから、まだふた月足らずで、一緒に暮らし始めたのもそれからで。未だに満足に会話をしていないというか、なんというか……」
「え? それはどういうことなの?」
ミレディアを含め、他の者達も益々怪訝な顔になったため、ルーナは自身の生い立ちを含めて山からこちらに移ってきた経緯や、この屋敷の募集に応じた事情を簡単に説明した。
「……そういう訳で、つい昨日、ワーレス商会の支店の前で遭遇した時も、凄い勢いで先に帰ってしまったので、満足に会話できない状態が続い」
「あ、あはははははっ! ツッ、ツンデレ! 典型的なツンデレおじいさん~! かっ、可愛いぃ~!」
「はい? あの……、『つんでれ』とはなんの事でしょうか?」
いきなり自分の話を遮り、お腹を抱えて爆笑したエセリアを見て、ルーナは何事かと困惑した。するとエセリアはなんとか笑いを抑え、ルーナに説明してくる。
「あ、ご、ごめんなさい。要は普段人目がある所では素っ気ない態度を取ったり厳しく接して、いわゆる『ツンツン』状態でも、好きな人と二人きりとか本人が知らないところで、その人に対して弱いとか甘い『デレデレ』状態の人の事よ。あ、あははははっ! おかしいぃ~!」
そこでエセリアは再び笑い始め、ナジェークとコーネリアも必死に笑いを堪える。
「な、なるほど……。『ツンツン』と『デレデレ』か……」
「エセリア、ナジェーク。笑ったりしたら失礼よ?」
「姉上こそ、笑っていますよ?」
(ええと……、ツンデレって……。王都では、随分変わった言葉が使われているのね……)
ルーナは唖然とするしかできなかったが、子供達が笑っているのとは裏腹に、公爵夫妻は妙にしみじみとした口調で頷き合っていた。
「確かに彼にしてみれば、かなり複雑な心境だろうな。勘当していた娘さんが既に死亡していのが分かっただけでも混乱しただろうし、後悔することが多々あったりして、引き取ったお孫さんにどう接して良いか、すぐには分からなかったのだろう」
「素直に優しく接する事ができず、常に物陰から見守っていただなんて、本当にいじらしいですわね」
「え? 見守るって、なんのことでしょう?」
思わず口を挟んでしまったルーナに、ケイトが呆れ果てた表情と口調で指摘する。
「ルーナ……、あなた、本当に分かっていなかったのですね。あなたが幻の獣の視線と勘違いしたのは、恐らくお祖父様の視線ですよ?」
「…………へ?」
「恐らくあなたに正直に告げたら、お祖父様が怒って益々へそを曲げると思って、ご家族は敢えて口にしなかったのでしょうね。しかし他人が聞いてあっさり看破する内容なのに、当の本人が変な誤解をして、今の今まで気が付いていなかったとは……」
「…………」
そこでケイトに深い溜め息を吐かれてしまったルーナは、いたたまれなくなって押し黙った。しかしここでコーネリアが、微笑みながら優しく話しかけてくる。
「とても素敵なお祖父様だわ。大事にしてあげてね?」
「はい。コーネリア様、ありがとうございます」
ルーナは自然に笑顔になり、素直に頭を下げた。そこで話は終わりになり、ケイトとルーナは自分達の仕事場に戻っていった。
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