(18)開会宣言

 剣術大会初日を迎え、シレイアは足取りも軽く会場になっている訓練場に向かった。

 まだ開始時間には間があったが、既に準備に余念がない者たちが動き回り、試合場の周囲に設けられた観覧席には既にかなりの人数の生徒が出向き、座る場所を確保していた。


「サビーネ、おはよう」

 最前列の一角に陣取っていた女生徒達の一団の中にサビーネの姿を認めたシレイアは、彼女に歩み寄りながら声をかけた。

「あ、シレイア、おはよう。今日は進行、頑張ってね」

「サビーネも応援の方をよろしく。しっかり場を盛り上げてね?」

「任せて頂戴」

 二人で何気ない会話を交わしてから、シレイアは声を潜めて尋ねる。


「ところで……、昨夜から今朝にかけて、他の寮では何も起きなかったわよね? 私の寮では問題なかったけど」

「全寮の状況を確認したわ。怪しげな動きをした生徒は何人かいたけど、全て未然に阻止したから。参加女生徒全員に問題はないし、熟睡できた筈よ」

「それなら良かったわ。それじゃあ準備があるから行くわね」

「ええ」

 安堵したシレイアは、スッキリした気持ちでその場を離れた。





 シレイアが開会式進行担当の集合場所に出向くと、集合時間にはまだ余裕があるにもかかわらず、ナジェークが既に出向いて手元の書類に目を落としていた。それを見た彼女は、(さすがナジェーク様。公爵家令息で最上級生なのに、率先して動いておられるのはさすがだわ。あの名前だけ名誉会長に、ナジェーク様を見習って欲しいわね)と密かに嘆息する。しかしすぐ気を取り直し、彼に挨拶した。


「おはようございます、ナジェーク様」

 それでナジェークは書類から顔を上げ、爽やかな笑顔で挨拶を返してくる。


「おはよう、シレイア。昨夜から今朝にかけて、女子寮では目立ったトラブルはなかったと報告を貰って安心したよ。こうなったら何が何でも、剣術大会を成功させないといけないな」

「はい、全くその通りです! 今日は来賓のディオーネ様に張り付く予定のエセリア様の分まで、全力で頑張ります!」

「本当にその通りだね……。それを考えたら王太子殿下を立てて見せるようにして、こちらに都合の良いように使い捨てる位、どうってことないか……」

(え? なんか今、不穏な言葉が聞こえてきたような……)

 学園長と共に、王太子生母の接待役に終始する羽目になったエセリアの気苦労を思いながら、シレイアは決意も新たに宣言した。するとナジェークは苦笑し、どこか遠くの方に視線をやりながらぼそりと呟く。それを聞き流しかけたシレイアが不思議に思っていると、集合時間が迫るに従い続々と他の担当者達が集まって来た。


「おはようございます、ナジェーク様」

「最上級生なのにお早いですね。遅れて申し訳ありません」

「いや、まだ集合時間には早いさ。なるべく早く行動するのが私の性分だから、気にしないでくれ」

「シレイア、おはよう」

「おはよう、エリザ。頑張りましょうね」

 進行担当者が全員集まり、ナジェーク主導で役割分担や進行状況の最終確認を進めていく。そして開会式直後の対戦者や審判役の教授も揃い、細かい打ち合わせを済ませたところで、相も変わらずバーナム以外の側付きを従えたグラディクトが現れた。


「おい、ナジェーク! 今日は母上が来賓として出向いて来るのに見苦しい物をお見せしたら、実行委員会名誉会長である私の面目が丸潰れだ。準備は滞りなく進んでいるのだろうな?」

「ご安心ください。準備万端、整えております」

「当然だ」

 名誉会長にも関わらず実務担当の者達に対する労いの言葉一つなく、来る早々居丈高に言い放ったグラディクトに対し、ナジェークは笑顔で応対した。それを見たシレイアは、ナジェークに対して尊敬の念を新たにする。


(何よ、偉そうに。ナジェーク様はあんな横柄な態度を取られて、よく平然としていられるわね。名誉会長なんて肩書だけで、これまで何もしていなかったくせに。潰れる程の面目なんて、王太子殿下にあるわけないじゃない)

 シレイアは内心で腹立たしく思ったが周囲の係の者達も同様らしく、皆無言で会釈してその場を離れるかグラディクトの視界に入らないように移動していた。そんな周囲の気配を察したのか、ナジェークがグラディクトの視線が逸れた隙に、各自に苦笑気味に目線で宥めてくる。一番迷惑を被っているナジェークが気にしていない状況であれば、第三者の自分達が事を荒立てたり王太子に責められるようなミスはできないと、皆気を引き締めて開会式の準備を進めた。


「それでは殿下。これから剣術大会の開会式を開始いたします。殿下には開会の宣言をしていただきますので、私の後についてこちらの朝礼台に上がってください」

「分かった」

 ナジェークが恭しく声をかけるとグラディクトは満足そうに頷き、側付きをその場に残してナジェークに続いて朝礼台の階段を上った。そしてナジェークは観覧席のざわめきを手振りである程度抑えてから、良く通る声で全体に向かって告げる。


「それでは時間になりましたので、今大会実行委員会名誉会長であられるグラディクト殿下から、開会のお言葉を頂きます」

 その台詞を受けて、ナジェークの斜め前に進んだグラディクトは、得意満面で考え抜いた開会宣言を発し始めた。


「今回の剣術大会実行委員会、名誉会長のグラディクトだ。この大会は生徒によって企画、運営、開催される事になっているが、外部から来賓もお呼びしている。決して気の抜けた試合や運営をしないように心がけて、各自励んで貰いたい。……それで」

「それではここで、今大会優勝者にグラディクト殿下から贈られる事になる、記念品のマントを披露します。君達、前に出て」

「はい、こちらです!」

「皆様、ご覧下さい!」

「あ、おい! 私の話はまだ」

 グラディクトは息継ぎをしてから、まだまだ続く開会宣言を口にしようとしたが、その隙をついてナジェークが声を張り上げて会場の注意を引いた。それと同時にナジェークから事前に指示を受け、グラディクトの宣言が開始されると同時に控えていた朝礼台の下から音もなく上がっていた女生徒二人が、ナジェークの手招きと共に前に出て、グラディクトを隠すようにマントを広げて披露する。


「うおぉぉっ! 凄いぞ、あれは!」

「無礼な! 私の挨拶の途中だぞ!」

「あんな立派な刺繍、そうそう見かけないぞ」

「そのマントを退けろ!」

「それに職人に頼むとなったら、どれだけの金額と日数がかかるんだ?」

「お前達、私の邪魔をして良いと思っているのか!」

「優勝したら、本当にあれが貰えるのか?」

「ナジェーク!」

「いや、あれはなかなか……」

 当然グラディクトが憤慨してそこで文句を口にしたが、それを打ち消すどよめきが会場全体から沸き起こった。憤然としてグラディクトが文句を言ったが、ナジェークはそれに気がつかないふりをして、声を張り上げる。


「それでは、これで剣術大会開会式を終了とします。皆さん、参加者全員の健闘を祈って、盛大な拍手をお願いします!」

「ナジェーク、貴様!!」

「皆さん、頑張ってください!」

「参加者全員が楽しんで貰えるよう、私達も頑張ります!」

「マントの他にも、準備している物がありますからお楽しみに!」

 満面の笑みで拍手するナジェークに、グラディクトは掴みかからんばかりの形相で罵声を浴びせる。しかし至近距離で一部始終を見てしまったシレイアや周囲の者達は、笑いを堪えながらナジェークに同調し、盛大に参加者達に対して拍手と声援を送った。

 宣言を終えたナジェークは、女生徒達を引き連れてさっさと朝礼台を下りた。さすがにその状況でグそのまま居座って中断した挨拶の続きなどできず、グラディクトは苦虫を嚙みつぶしたような顔で朝礼台を下りる。しかしその直後、その場の責任者であるナジェークを叱責し始めた。


「ナジェーク!! 私の挨拶の途中だったのに、遮るとは何事だ! 不敬極まりないぞ!!」

 その指摘に、ナジェークは少々わざとらしく驚いてみせる。


「は? あれで終わりではなかったのですか? 事前に『試合順が早い出場生徒を長々と待たせる事態にならないよう、挨拶は端的にお願いします』と申し上げましたので、うまく纏めて頂いたと安堵して次の段階に移らせて貰ったのですが」

「あれで終わりのわけがあるかっ!! 考えなしにも程があるぞ!! それに、私がまだ終わっていないと言ったのに、聞いていなかったのか!?」

「え? そのように仰られていたのですか? 色々とこの後の進行について頭の中で考えを巡らせておりまして、注意力散漫だったかもしれません。誠に失礼いたしました」

「ふざけるな!! それで済むと思っているのか!? 貴様、私をなんだと思っている!?」

(単なるお飾りの名誉会長よね)

 グラディクトは怒りに任せて喚き散らし、その見苦しさにシレイアは心の中で冷たく切って捨てた。一方のナジェークは表面上は神妙に、しかし傍から見ると平然とグラディクトの怒りを受け流す。進行担当者達はそれを遠巻きにして見守っていたが、迫りくる時間に傍観していられなくなったシレイアは、恐縮気味に声をかけながら二人に歩み寄った。


「あの……、王太子殿下、ナジェーク様。そろそろ試合開始時刻になります。予定時刻になっても開始されないとあれば、来賓として出向かれている王太子殿下のご生母様が、何事が起きたのかとご心配されるのではないかと推察いたしますが……」

 些かわざとらしく、シレイアは観覧席の一番目立つ上段に目を向けつつ指摘した。するとさすがにグラディクトも何か問題が起きたのかと懸念される事態は避けたいため、予定通り進めるよう周囲の者達に言いつける。


「ちっ! さっさと始めろ! いいか、ナジェーク! 母上がご覧になっているのに、これ以上の失態は許さんぞ!!」

「肝に銘じておきます。この度は、誠に失礼いたしました」

 深々と頭を下げるナジェークに背を向け、グラディクトは憤然としながら側付き達を引き連れてその場を後にした。その途端、周囲から一斉にナジェークに同情の眼差しが向けられる。


「お疲れ様です、ナジェーク様」

 一同を代表してシレイアが声をかけると、頭を上げたナジェークは楽しげに笑って返した。


「いや、あれくらいどうという事はないさ。そろそろ切り上げようとしていたが、シレイアに助けて貰ったね。ありがとう」

「それこそ、大した事はありません。ナジェーク様だったら王太子殿下が相手でもきちんと切り上げるだろうと思いましたが、時間が迫っていたもので。つい口を出してしまいました」

「そうだね。それでは皆、気を取り直していこう」

「はい!」

「頑張ります!」

 ぐるりと周囲を見回しながらナジェークが声をかけると、全員からやる気に満ちた声が上がる。そして試合開始を待つばかりとなった。





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