(9)些細な疑念

 その後も社会勉強としてのナジェークの外出は定期的に行われていたが、ある日、衣類用の生地や裁縫道具を幅広く揃えている大店おおだなに彼は側付き達とやって来た。

「すみません、ナジェーク様。姉が急に言い出した我が儘で、こういう店にお付き合いいただくなんて」

 昨日急遽実家から届いた手紙の内容に頭を抱え、昨夜と同様店の前で恐縮しきりで頭を下げたヴァイスに、ナジェークが鷹揚に笑いながら頷く。


「構わないよ。こういう店に普段足を踏み入れる機会は無いから、逆に興味があるし。準備していたベールが駄目になって、実家では困っているんだろう? 早く手配して、送ってあげないと。ついでにアルトーも、実家への土産に何か選んだらどうかな?」

「そうですね。領地にもそれなりの店があって普段使いの品揃えには問題ありませんが、やはり王都の店の方があか抜けていますから。あ、ですがくれぐれも」

「一人で抜け出したりしないから安心しろ」

「ナジェーク様、信じてますからね!」

「かえって、信じていないように聞こえるぞ……」

 二人から必死の形相で訴えられて少々気分を害したナジェークだったが、逃亡した前科がある身では反論するわけにもいかず、憮然とした顔付きで店内に入った。


「いらっしゃいませ。どのような物がご入り用でしょうか?」

「花嫁衣装のベールに使うレースを、幾つか見せて貰いたいのですが」

「畏まりました。それではこちらにどうぞ」

 三人を認めて早速歩み寄ってきた店員にヴァイスが来店の目的を告げると、彼は心得た様子で店の奥に進み、突き当たりのドアを開けてヴァイスを更に奥へと案内した。


「それではナジェーク様」

「ああ、ちゃんと店内にいるから安心しろ。適当に回って見ているから」

 ナジェークはアルトーと囁き合ってから彼と別れ、それなりに広さのある店内に所狭しと並べられている棚の並びを、見るともなしに眺め始めた。


(普段使いの品物は手前の店舗内に揃えて、特殊な物や高級品は奥に配置してあるみたいだな。なるほど、確かにその方が合理的だ。それに商人が屋敷に品物を持ち込む時はそれなりに厳選しているとは思うが、やはり物によっては自分の目で確かめた方が良いかもしれないな)

 考えを巡らせながら棚を回り込もうとしたナジェークだったが、ここで反対側から同様に回り込もうとした少女と出会い頭にぶつかりそうになった。


「あっ……と、ごめん……。って?」

「あら……、また会ったわね」

「……やあ、こんにちは」

(この前会った時から一ヶ月位か? 本当に、立て続けに会うな)

 ナジェークと同様にカテリーナも驚いたらしいが、すぐにキョロキョロと周囲を見回してから不思議そうに尋ねてきた。


「こういう所で、男の子が一人で買い物? この前引き連れていたお供の人は?」

「その彼の買い物に付き合って、来店してるんだ。遠くにいる姉が近々結婚予定だけど、準備していた花嫁衣装のベールを、不注意で駄目にしてしまったそうでね。『せっかくだからベールは王都で華やかな物を調達してくれないと嫌だ』と駄々を捏ねられたらしい。『俺が見ても良し悪しなんて分からないのに』とか、ぶちぶち文句を言っていたよ」

 そう言って笑ったナジェークだったが、てっきり同調すると思ったカテリーナが難しい顔で考え込んだのを見て、不思議に思った。


「どうかしたのかな?」

「う~ん、わざわざ王都でベールに使う生地を用立ててくれと言ってきたの?」

「何か問題でも?」

 質問の意味が分からなかったナジェークは困惑顔になったが、カテリーナは首を傾げながら慎重に言い出した。


「詳細が分からないから、はっきりとは言えないけど……。元々は地元で、ベールを準備していたんでしょう? また地元で作れば良いだけの話じゃない? そんなに王都で調達した物を使いたければ、最初からそうすると思うけど?」

 その考えは無かったナジェークは完全に虚を衝かれ、しどろもどろになりながら言葉を返した。


「それは……、届いた手紙を直に見たわけではないから、僕にも分からないけど……」

「本当に、ちょっとした不注意なのかしら? 何か深刻な事情があるのじゃない? 実は、結婚が破談になりそうだとか」

「まさか! ヴァイスはそんな事は一言も言っていないし、気配も無いぞ?」

「それなら良いのよ。私の気の回しすぎだったみたいね。ほら、結婚前に花嫁が妙に不安になって『やっぱり結婚は止める』とか言い出す事があるって聞かない? もしかしたらベールが駄目になった事で不吉だと思い込んだり、逆に精神的に不安定になった花嫁がベールを駄目にしちゃったりとか。それでわざわざ弟さんの手を煩わせて王都から取り寄せた物なら気も落ち着くし、滅多な事もできないと周りが考えたとか」

「………………」

 慌て気味に否定したナジェークだったが、カテリーナが語った内容を聞いて、(確かにそういう可能性があるかもしれない)と本気で考え込んでしまった。その様子を見たカテリーナが、申し訳なさそうに謝ってくる。


「ええと……。それこそ縁起でもない事を言ってしまったのなら、悪かったわ」

 相手に悪気が無かったのは理解していたナジェークは、真顔で首を振って少々強引に話題を変えた。


「いや。確かに世間では、そういう事もあるだろうから……。ところで君は、ここで一人で買い物中なのかな?」

「今日もお父様と一緒に来たんだけど、お父様はすぐそこの通りで具合が悪くてうずくまっていたおじいさんを、周りの人達に聞きながら近くの医者の所に運んでいる最中よ」

 カテリーナが事も無げに語った内容が今一つ理解できなかったナジェークは、不思議そうに彼女に確認を入れた。


「え? 運ぶって、馬車で?」

「背負ってに決まっているじゃない。何を言ってるのよ?」

「はぁ!? だって、君の父親って侯爵じゃないのか?」

 ナジェークが思わず声を荒げながら言い返すと、カテリーナから冷たい視線が返ってくる。


「……貴族は動けない病人を、背負って運んではいけないの?」

「あ、いや……、そういうつもりじゃ……。ええと……、それなら君は……」

 別につまらない選民思想を説くつもりなど無かったナジェークは、言葉を濁しながら話を続けた。


「お父様に、戻るまでここで待っているように言われたのよ。勝手に移動したら居場所が分からなくなるでしょう? ついでに、お母様へのお土産を選んでいるの」

「お土産って……」

「刺繍用の糸よ。お母様は刺繍をするのが好きだから。普段は『こういう色の糸が欲しい』と伝えれば、出入りの商人が該当する物を複数持参してくれるからその中から選ぶけど、お母様が気に入りそうな糸を選んで買って帰ろうかと思って」

「なるほど。確かに種類は豊富だね」

「あなたは何も買わないの?」

 それを聞いて、どうやら機嫌は直ったらしいとナジェークは安堵し、周囲を見回しながら答えた。


「そうだな……。僕も刺繍糸をお土産に買おうかな」

「お母様に?」

「どちらかというと姉かな? 姉は刺繍が得意だから」

「そう」

 そこで会話が途切れた二人は、それぞれ商品ごとに仕切ってある棚を眺めながら、様々な色の糸を物色し始めた。しかしカテリーナは予めどういう色の物を購入するか決めていたらしく、大して時間をかけずに二種類の糸の束を手に取る。


「うん、綺麗な色。これと、これかな?」

 並んで糸を見ていた彼女の呟きを耳にしたナジェークは、何気なく横目で彼女の手元を見やった。

(確かにくどくない上品な赤と、鮮やかな若草色だな。物言いは遠慮がないけど、趣味はそれなりに良いみたいだ)

 少々カテリーナに失礼な事を考えてからナジェークが再び棚に目を向けると、ある糸が目についた。


「へぇ、こんな色の糸もあるんだ……」

 あまり見た事が無い色の為、思わずナジェークがそれを手に取ると、その手元を覗き込んできたカテリーナが感想を口にする。


「あら、落ち着いた感じの、素敵な紫色ね」

「そうだね」

(こういう色は、姉さんが好きそうかな? これにするか。他にも幾つか、見繕っていこう)

 自分のセンスを誉められたような気がして、気分が良くなったナジェークが再び糸を探し始めると、背後から聞き覚えのある声がかけられた。


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