(3)ある意味想定内で、ある意味想定外の出会い

 貴族科下級学年に進級してからも、これまで通り側付きを従えて昼食を食べ終え、食堂から午後の授業が行われる教室に向かったグラディクトだったが、背後から聞こえてきた噂話で、神経を逆撫でされる事になった。


「次は歴史か……。覚える事が多過ぎるし、眠くなるんだよな……」

 誰かが何気なくそんな緊張感の無い事を言い出すと、同様にだれきっている周りが同調する。

「ああ、確かにそうだな」

「それに、担当のエール教授も気難しいし。毎回気が滅入るぞ」

「だがこの前、小テストが返却された時は、凄い上機嫌だったろう? 俺は一瞬、別人かと思った」

「ああ、エセリア嬢は満点だった時のあれか。確かにな」

 誰かがしみじみとした口調で口に出した瞬間、グラディクトの頬がピクリと動いた。しかし彼の背後を歩いていた彼らは、当然それに気が付かないまま、苦笑いしながら口々に言い合う。


「教授が『相当捻った問題を入れたので、まさか満点が取れるとは思いませんでした』とか平然と言いやがって。そんな問題を出すなよ、底意地悪い」

「だがそれにエセリア嬢が『今回の試験範囲が、偶々王国建国前後の時期だったからです。王妃様よりこの国の成り立ちを完璧に頭に入れておくようにと厳命されて、学園入学前から学習していましたから』と平然と言っていたよな」

「王妃様は、完璧主義者だから。実の姪で王太子殿下の婚約者でも、容赦しないとみえる」

「しかしあれで満点は、本当に凄いよな。さすがは未来の王太子妃殿。俺は平均点も取れなくて」

「おい、そう言えば……」

「あ……」

 一人が同じテストでグラディクトが平均点ギリギリの点だった事を思い出し、慌てて声を潜めながら周りに注意を促した。それを受けて忽ち周囲が静かになり、それがグラディクトを余計に苛立たせる。

 それまで賑やかに騒ぎながら歩いているうちに、一同は割と広い中庭を囲む回廊を歩いていたが、何故かグラディクトが無言のまま回廊から中庭に出る階段を下りた為、周りの者達は当惑して声をかけた。


「殿下、どちらに行かれるおつもりですか?」

「そろそろ午後の授業が始まりますから、教室に移動しませんと」

 その呼びかけにグラディクトは足を止め、軽く背後を振り返りながら叱りつけた。


「五月蝿い! 偶には一人で静かに、考え事をしたいだけだ。お前達は付いて来るな!」

 そう叫ぶとすぐに彼は向き直り、再び中庭の奥に向かって歩き出した。それを引き止める事もなく、残った者達は顔を見合わせる。

「……だとよ。どうする?」

 それに他の者が、呆れ気味に肩を竦めて応じた。


「一人になりたいって言うなら、させておけば良いだろう? 下手に意見したら、ご不興を買うからな」

「だが、もうすぐ授業が始まるんだが……」

「そんなの、どうせいつも俺達にノートを取らせているし、変わらないだろう? 出席の返事も、俺達が適当にしておけって事じゃないのか?」

「あんなのが王太子とは、世も末だな」

「だから、才色兼備の婚約者殿がおられるんだろうが」

「違いない。全く、父上からの命令でなければ、誰があんな扱い難い奴の側付きなんかするか」

「もう少し周囲に気を配れ。誰が聞いているか分からないぞ?」

 そんな嘲笑めいた会話をかわしながら、彼らは次の授業を受ける為、何事も無かったかのように歩いて行った。


 一方のグラディクトは、腹立たしい気持ちを抱えたまま中庭を進み、木立と植え込みの中にぽっかりと空いたスペースを見つけると、慎重に周りの枝を避けながら入り込み、そこにゴロリと仰向けに横たわった。

 人一人が横になるのが精々のそこは、絶妙に周囲からの視線を遮っており、寝転がるなどと行儀の悪い事を安心して実行できたが、落ち着くと共に周囲に対する怒りが、むらむらと湧き上がってくる。


(全くここの教授陣ときたら、どいつもこいつも……。口を開けば『王太子らしい威厳をお保ち下さい』だの、『エセリア様は、何事にももっと真摯に取り組んでおられます』などと、暇さえあれば余計な事ばかりさえずりやがって)

 それはどうしてもエセリアと比べると、能力的に見劣りする彼を少しでも伸ばそうという教授達の親心故の発言だったのだが、グラディクトは入学してからの一年間で、それらをすっかり斜めに捉えてしまっていた。


(大体、あの女もあの女だ。私はれっきとした王太子だぞ? その婚約者なら余計に私を立てて、周囲に気を配るべきだろうが! 何かにつけてでしゃばって、全く配慮ができていないじゃないか。あれで未来の王太子妃とは、笑わせてくれる)

 気を配っていないわけではなく、教養科の一年間でエセリアが意図的に、しかし周囲にはそれと悟られないように、グラディクトの意図する方向とは逆方向に気を配っていた結果、エセリアの評価は徐々に高く、相対的にグラディクトの評価は下がりつつあった。


(大体、教室内でも移動中でも、いつも何人もの取り巻きに囲まれて、何様のつもりだ! あの連中は、単に未来の王太子妃に今のうちに媚びを売っておこうという、浅ましい者ばかりなのに、追従を真に受けて側においておくとは、俗物にも程があるぞ!)

 自分が追従ばかりを口にする側仕えを使い走りにしている事を棚に上げ、グラディクトは憤慨した。

 しかしエセリアを常時取り囲んでいる女生徒達は、未来の王太子妃に媚びを売っているわけではなく、実は全員が紫蘭会会員で、エセリアから新作の構想や内容を聞き出したり、作品の話で盛り上がったり、ワーレス商会から送られてくる新作本の貸し借りで盛り上がっているだけであり、完全にグラディクトの邪推でしかなかった。


(全く、こんな学園生活に、一体何の意味があるんだ。下級貴族や平民なら、家庭教師を雇う金にも困るだろうが、王族に関してはやはり専属の教師を配置するべきだろう)

 学園に入る前に王宮で個人授業を受けていた頃の、自分に無理をさせず、誉め倒していた教授陣を思い返しながら、グラディクトは考えを巡らせた。


(そうだな……。私が即位したら、次代の王族達がこんな無駄な時間を過ごさないように、王族のこの学園への就学義務を撤廃しよう。ああ、貴族もそうだな。きっと皆、私の英断を喜んでくれるに違いない)

 凄い名案を思い付いたように、グラディクトが寝転がったまま満足げに顔を緩めていると、いきなり右足を踏みつけられた。


「っ! きゃあっ!」

「うっ! 貴様、何をする!?」

 せっかく気分が良くなってきた所に、足を踏まれた上に倒れ込まれて、グラディクトは腹を立てながら上半身を起こした。すると見事に倒れ込んだ女生徒も慌ててその前に座り込み、勢い良く何度も頭を下げながら謝罪する。


「あのっ! すみません! 本当に申し訳ございません! まさか王太子殿下が、こんな所でお休みだとは、夢にも思っておりませんでしたので!」

 恐縮しきっている相手を見て、グラディクトは直前まで結構機嫌が良かった事もあり、何とか怒りを抑えながら尋ねてみた。


「お前……、私が王太子だと知っているのか? 面識は無いと思うが」

「はい、私の家は子爵家風情なので、殿下と直接お目にかかる機会はございませんでした。ですが入学後に遠くを歩いていた殿下を目にした時に、近くにいた方が殿下のお名前を言っておられたので」

「そうか」

 それで納得したグラディクトだったが、ここでアリステアは表情を明るくして言い出した。


「ですが例えその事が無かったとしても、殿下だと絶対に気が付いた自信がありますわ! だって殿下からは、隠そうとしても隠しきれない高貴なオーラが滲み出ておられますもの!」

 そこまであからさまに誉められて悪い気はしなかったグラディクトが、些か自嘲気味に言葉を返した。


「……そうか? だが婚約者と比べて、甚だ見劣りする王太子だがな」

 しかしその台詞を聞いたアリステアは、他の人間のように慌てたり困ったりせず、考え込みながら淡々と感想を述べた。


「婚約者……。それはシェーグレン公爵家の、エセリア様の事ですよね?」

「ああ、そうだが」

「ここだけの話ですが、私、あの方はあまり好きではありませんわ」

「どうしてだ? あの女は成績優秀で社交術にも秀でていて、生徒や教師の人望が篤いが」

 本気で意外に思いながらグラディクトが尋ねると、アリステアが真顔で主張し始めた。

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