(4)ある意味お似合いな二人

「入学してから、あの方を遠目で見た限りでの感想ですが、何だか笑顔が胡散臭く見えてしまって。第一、婚約者たる殿下より目立つなんて、あまりにも殿下を蔑ろにしていませんか?」

 そう言われたグラディクトは、我が意を得たりとばかりに即座に同意した。


「ああ、全くその通りだ! それなのに周りの連中と来たら、あの女の見た目にあっさりと騙されて! 短慮で不甲斐ないにも程がある!」

「まあ……、やっぱりそうでしたか……。陰で王太子殿下に肩身の狭い思いをさせているなんて、エセリア様は本当に、自分本位な方なのですね。やっぱり幾ら優秀な方でも、尊敬できません」

 そんな心底同情する口調で言われたグラディクトは、しみじみとした口調で返した。


「お前のような、事の本質を正確に捉える事のできる者に会えたのは、久しぶりだ」

「そうですか? 光栄です」

「ところで、お前の名前は何と言うんだ?」

 そこで自己紹介がまだだった事に気付いたアリステアは、神妙に頭を下げた。


「申し遅れました。アリステア・ヴァン・ミンティアです。お見知りおき下さい」

「そうか。それではアリステアと呼んでも構わないか?」

「ええ、勿論です、殿下」

「そう言えば、アリステアはどうしてこんな所に、わざわざ入って来たんだ?」

 植え込みに囲まれている周囲を見回しながら、普通だったらこんな所を通らないのにと、グラディクトが不思議に思いながら尋ねると、何故かアリステアは動揺しながら弁解した。


「え、ええと……、偶には一人で考え事をしてみたいなと思いまして、どこか人目に付かない所で座れる場所はないかと、探しておりまして……。殿下がおくつろぎになっているのをお邪魔して、本当に申し訳ありません」

「いや、君と会話して、十分気晴らしになったから構わない。寧ろ礼を言わなければならないだろうな」

 そう言って微笑んだグラディクトに対して、アリステアは慎重に申し出た。


「殿下。失礼に当たると思いますが、一言言わせていただいて宜しいでしょうか?」

「何だ?」

「先程殿下は、自分がエセリア様より見劣りする云々と仰っておられましたが、そんな些細な事を気に病むなどおかしいです」

 それを聞いた彼は、些か気分を害したように言い返した。


「私は真剣に悩んでいるんだが?」

「だって、何でも殿下が一番にならなければいけない理由など、無いでしょう? 国政は官吏の仕事ですし、軍政は騎士の仕事です」

「それはそうだが……」

 そこで彼は、昨年の剣術大会で騎士団の者達に「武術は我らにお任せ下さい」と言われた事を思い出し、言葉を途切れさせた。そんな彼にアリステアが、励ますように声をかける。


「それにエセリア様と殿下とでは、これから担う重責は桁が違います。それなのにお二人を単純に比較して笑っているような、無神経で物の道理の分からない愚か者達など、心の中で笑ってやれば良いんですよ!」

 そう笑顔で言ってのけた彼女の顔をしげしげと眺めてから、グラディクトは憑き物が落ちた様な顔とかすれた声で、彼女に呼びかけた。


「アリステア……」

「はい。どうかされましたか?」

「ありがとう。私は生まれて初めて、本当の理解者に巡り会えた気がする」

「殿下、それは大袈裟ですから」

 軽く頭まで下げてみせた彼に、彼女が慌てて手を振って宥める。すると顔を上げたグラディクトが、真顔で言い出した。


「グラディクトだ」

「え?」

「今後私の事は、グラディクトと呼んでくれ」

「いえ、あの、そんな! 王太子殿下のお名前を呼び捨てにするなんて、できません!」

 顔色を変えて固辞した彼女を見て、彼がおかしそうに笑いながら話を続ける。


「本当にアリステアは、高慢ちきな女どもとは違って謙虚だな。私が許すと言っているんだが」

「それでもやっぱり駄目ですから! 人目もありますし!」

「それではグラディクト様、ではどうだ?」

「はぁ……、殿下がそう仰るなら……。それではグラディクト様? そろそろ午後の授業が始まりますので、失礼いたし」

 そう別れの挨拶をしようとした所で、アリステアはある事に気が付いた。


「あのグラディクト様。専科の午後の授業は、もう始まっておられるのでは?」

「ああ、そのようだな。アリステアとの話が楽しくて、つい忘れていた」

「何て事!? 申し訳ありません! 急いで授業に行かれませんと!」

 途端に真っ青になった彼女を、グラディクトが慌てて宥める。


「いや、今日の予定講義内容はくだらない物だったから、元々出る気は無かったんだ。だから気にしなくて良い」

「え? ああ……、そうか。グラディクト様は優秀ですから、一回や二回授業を受けなくとも、支障はないのですね。流石です」

「まあ……、そんなところだ。それよりも、授業に遅れないのか?」

「あ、そうでした! それでは失礼します」

 要らぬ見栄を張ったグラディクトに、慌てて頭を下げて立ち去ろうとしたアリステアを、彼が思わずと言った感じで引き止める。


「アリステア!」

「はい! 何でしょうか?」

 振り返った彼女見て、グラディクトは一瞬言葉を詰まらせてから、慎重に問いを発する。


「その……、また会えるか?」

 それに彼女も、幾分困ったように考え、慎重に答えた。

「ええと……、はい。グラディクト様がお嫌で無ければ、晴れた日にこの辺りで。人目に付く所でお会いすると、『子爵家風情の人間が殿下の側近くに侍るなど』と、言いがかりを付けられそうなので……」

「確かにな……。それじゃあまた」

「はい。失礼します」

 そして今度こそ植込みを抜けて、慌ただしく走り去った彼女を密かに見送ったグラディクトは、再び仰向けに転がって青空を眺めながら、呟く。


「アリステア・ヴァン・ミンティアか……」

 その時の彼の顔には、満足げな微笑みが浮かんでいた。

 そんな彼の穏やかな心境とは裏腹に、アリステアは廊下を走りながら心の中で狂喜乱舞していた。


(やった――っ!! まさかあんな所にグラディクト様が居るとは思わなかったけど、念の為にあの本の筋書き通りにしてみたら、本当に王太子殿下と二人きりで会えるなんて! 作者のマール・ハナーって、実は預言者か何かじゃないの? 凄い凄い!!)

 そんな浮かれた事を考えてから、アリステアは先程のグラディクトの様子を思い返した。 


(でも殿下を遠目で見た時は、お供の人達を引き連れてキラキラしていて、悩みなんて少しも無さそうだったのに……。あの本に書いてあった通り、横柄で自己中心的で自分の才能をひけらして、他人を相対的に見下す事で優越感を感じる人って、本当にいるのね。あれじゃあ幾ら何でも、グラディクト様がお気の毒だわ)

 エセリアが《クリスタル・ラビリンス~暁の王子編~》で書いていた《悪役令嬢メレジーヌ》のイメージを、彼女はそのままエセリアに当て嵌めて、本気で憤慨した。


(だから本の流れ通り、書いてあるのと同じような台詞で宥めて励ましてみたら、凄く感動されたみたいだし。もう《クリスタル・ラビリンス》は、私にとっての聖書だわ! これを参考にして行動していけば、きっとグラディクト殿下と一緒に、私も幸せになれる筈よ!)

 アリステアは同様に、グラディクトの事も、有能な故に周囲からの重圧に押し潰されそうになっている上、常に一歩先を行く婚約者にも密かに見下されているという設定をそのまま当て嵌め、共に状況を好転させていく事を決意した。


「うふふ……、私を利用しようとしていた連中を、見返してやるんだから。《クリスタル・ラビリンス》と同じ様に、最後は悪辣な婚約者を排除して、絶対にグラディクト殿下と幸せになってみせるわ!」

 思わずそう叫んだ所で、廊下に面した少し先のドアが開き、中から怒りの形相で一人の年配の女性が顔を出して怒声を放った。


「廊下で騒いでいるのは誰ですか!?」

 そして歩いているアリステアの姿を認めたその女性教授は、忌々し気に溜め息を吐いてから、彼女を促した。


「……あなたですか、アリステア・ヴァン・ミンティア。授業はもう始まっていますよ? 早く教室にお入りなさい」

「はい。先生方も大変ですね」

 アリステアが微笑みながら、馬鹿にしているとしか思えない発言をして教授の横を通り抜けた為、当然相手は激怒した。


「誰のせいで、余計な労力を使っていると思っているのですか! さっさと席に着きなさい!」

「どうして怒るのよ? 『大変ですね』って労っただけなのに。これだから行き遅れのオバサンは、怒りっぽくて嫌だわ……」

 ブツブツと不満げに呟きながら、空いている席に着いた彼女に視線を向けつつ、クラスメイト達が密かに囁き合う。


「本当に何なのかしら、あの方……」

「場を弁えないにも程がありますわね」

 そんな周囲の囁きを聞きながら、彼女と同じクラスになっていたミランは、呆れ顔で考え込んでいた。


(本当にあの女、何なんだ? それにはっきりとは聞こえなかったが、グラディクト殿下がどうとか叫んでいたみたいだし……。エセリア様に頼まれていた教養科の報告をする為に、近々会いに行く予定だが、この女の事も一応報告しておくか)

 頭の片隅に素早くアリステアの事を記憶したミランは、それから再開した授業内容に意識を集中した。

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