(17)猛省

(うあぁぁぁぁっ!! シレイア・カルバム、一生の不覚!! こんな事で、休憩の戻りに遅刻するなんて! 普段だったら、絶対にありえないのにぃぃっ!!)

 心の中で絶叫しながら廊下を疾走したシレイアだったが、すぐ至近距離から声が聞こえた。


「シレイア、廊下を走るな。官吏として、もってのほかだ」

「あ、はい! グイドさん。誠に申し訳ありません。ですが、これには深い訳が……」

 聞きなれた声に、シレイアは反射的に謝った。そこで、相手が自分と並走している事実に気がつく。


「あの……。グイドさんも今現在、私と同様の行為をされているのですが……」

「それは分かっている。自分の事を棚に上げてお前を非難するつもりはないが、指導役としては一応口にしておかないといけないからな。理不尽に思うかもしれんが、そこは理解してくれ」

「はぁ……、了解しました」

 前を向いたまま駆けているグイドの説明に、シレイアは複雑な心境になりながら言葉を返した。しかしどうしても一言、言っておきたい気持ちに駆られる。


「ですが一言だけ弁解させて貰えば、あの状況で、途中で席を立ってあの場から離れるなんて不可能ですよ。そんな事ができる人は、単に官吏という肩書を持っているだけの、人ではない別の生き物だと思います」

「……シレイア、あのな」

 グイドは呆れ気味に言葉を返そうとしたが、ここで彼らの背後から力強い賛同の声が上がった。


「全くその通りだ。そんな事ができる奴は、真っ当な人間じゃない。人としての感性を疑うぞ」

「途中でその場を離れてしまったら続きがどうなったのか気になって、確実に仕事に差し支えるじゃないか」

「実際、俺の視界の範囲では、あの間に席を立った人間は皆無だったぞ」

「あんなとんでもない内容でなかったら、きちんと刻限までに戻っていたさ」

 シレイアが走りながら軽く背後を振り返ると、同僚四人が真顔で主張していた。彼らが普段は自分と距離を取ったり、敵視まではいかないまでも隔意があるように感じる者達ばかりだった為、シレイアは少しだけ感動してしまう。


(なんかもの凄く、共感して貰っている。ひしひしと感じる、皆さんとの一体感。どうせだったら、仕事でこんな風に感じたかったけど……。これから仕事で、皆さんに認められるように頑張ろう)

 予想外の場面に遭遇した事で想定外の共感を得たシレイアは、それを実感した直後、容赦なく現実に引き戻された。


「うぅ……、大幅な遅刻の後で、さすがに入りずらい……」

 民政局の出入り口前に立ったシレイアは、ドアノブに手をかけながら項垂れた。しかしここで、グイドを筆頭に、先輩達から指示が出される。


「シレイア、場所を譲れ。まずは年長者の私からだ」

「ほら、お前は最後に並べ」

「序列ってものがあるだろ」

「お前は新人なんだから、分を弁えろ」

「はい、失礼します……」

 年功序列を乱すなと言われてしまっては反論できる筈もなく、シレイアはおとなしく移動して列の最後に並んだ。そして最年長のグイドを先頭に、室内に入って行く。


「戻りました」

 定刻を過ぎても戻らなかった六人が雁首を揃えて戻って来たとあっては、人目を引かないわけはなく、室内の視線が一斉に集まった。そんな居心地の悪い空気の中、シレイア達は列になったまま室内を移動し、局長席の前で横一列に並ぶ。


「休憩時間を過ぎてしまって、誠に申し訳ありません。以後、気をつけます」

 謝罪の言葉を口にして頭を下げたグイドに倣って、シレイア達も一斉に頭を下げた。対するベタニスは、皮肉っぽく尋ね返してくる。


「お前達……。揃いも揃ってどうした。まさか食堂で急病人が出て、こぞって救命活動をしていたのか? それとも壁面や天井が崩落して、通路が塞がって大幅に回り道でもしてきたのか?」

 その問いかけに、グイドたちは微妙に言葉を濁した。


「いいえ。決して、人の生き死にに係わる突発事項が、発生したわけではないのですが……」

「その……、極めて個人的な事情に予想外に遭遇して、困惑したと申しましょうか……」

「あくまでも他人事と割り切るべきところ、なかなかそうもいかず……」

「業務と好奇心を秤にかけて、その判断を誤りました……」

「今後は同様の事がないよう、気を引き締めますのでご容赦ください」

「……シレイア?」

 詳細を語らない部下達に、ベタニスは不機嫌そうに眉根を寄せた。そしてどう答えたものかと、密かに動揺していたシレイアを軽く睨みつけながら声をかける。それに過敏に反応してしまったシレイアは、狼狽しながら正直に事の次第を口にした。


「あ、あのっ! 本当に申し訳ございません! 未来の宰相閣下から未来の騎士団長様への求婚の場面に、たまたま遭遇してしまいまして! その結果を見届けなければ、気になって午後の業務に支障が出てしまった可能性が! 溢れ出る好奇心を抑えきれなかった自分の心の弱さを、只今猛省しております! 以後はこのような事がないよう、これまで以上に自制心を強固にして、職務に当たる所存です!」

「はぁ?」

 その報告を聞いたベタニスは呆気に取られ、間抜けな声を上げた。そしてグイド達が、半ば呆れながら溜め息を吐く。


「シレイア……。お前、何を馬鹿正直に言っている……」

「え、えぇ? 駄目ですか!?」

「いや、駄目というか……。言ってしまったし、もう良いか」

「どうせ退勤時間までには、王宮中に広まっているよな……」

「局長が呆れ果てなければ良いな……」

 先輩達が遠い目をするのを、シレイアは未だ動揺しながら眺めた。そこでベタニスが、真顔になって詳細について尋ねてくる。


「シレイア。何がどうした。順序立てて的確に、簡潔に説明してみろ」

「あ、ええと……、はい。それでは、私達が食堂で食べていたところに、ナジェーク・ヴァン・シェーグレン王太子筆頭補佐官が現れたのですが……」

 それからシレイアはなんとか動揺を抑え込みながら、食堂にナジェークがやって来たところから、無事に求婚を終えてカテリーナに承諾して貰った上で引き上げるまでを、端的に語り終えた。その間室内は静まり返っており、その事実にシレイアは全身から冷や汗を流した。


「それで? その奇想天外すぎる求婚の一部始終を好奇心全開で眺めていたら、いつの間にか休憩時間が過ぎてしまっていたと言うんだな?」

「……その通りです」

 難しい顔で確認を入れられたシレイアは、消え入りそうな声で言葉を返した。それを聞いたベタニスは、無言で溜め息を吐いてから、部下達に仕事に戻るように促す。


「分かった。今回の事は大目に見る。以後、同様の事が無いように。仕事に戻れ」

「誠に申し訳ありませんでした。肝に銘じておきます」

 再びグイドの謝罪の言葉に合わせて一同は頭を下げ、各自の席に戻った。



「ラジンさん、遅くなってすみませんでした」

「それは良いんだが、本当にそんな場面に出くわしたのか。災難だったな。俺もそんな場面に居合わせたら、中座する自信がないぞ」

 シレイアの謝罪に、ラジンは苦笑いで応じた。そして仕事もキリが良いところまで進んでいたのか、手元の書類を彼女に手渡しながら立ち上がる。


「じゃあ休憩に入るから、その間にこの統計をまとめておいてくれ」

「分かりました、預かります。それにしても……、公爵家にお嫁入するのに、騎士団勤務を続けられるだなんて凄いですよね」

「いや、さすがにそれは、その場限りの話じゃないのか?」

「ええ? だって王太子筆頭補佐官就任二か月強で、既に敏腕と名高いナジェーク様が、小手先だけの話で女性の関心を引こうとするとは思えませんけど」

「それはそうかもしれないが……」

 そこで二人揃って難しい顔になったが、ここで延々と議論する話題ではないと判断した。


「まあ、とにかく休憩してくる。今頃はこの話で、王宮中が持ちきりだろうな」

「そうですよね。寮に戻ったら大騒ぎかも」

「騒ぎすぎて夜更かしして、明日の朝、遅刻するなよ?」

「夜更かしの可能性は大ですね。重々気をつけます」

 苦笑しながら釘を刺してきたラジンに、シレイアは思わず笑顔で返した。それと同時に、寮に引き上げてからの騒動を想像したのだった。









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