(6)マグダレーナの思い煩い

「それではキャレイド公爵。本日はお時間を頂き、誠にありがとうございました」

「いえいえ、この度は宰相閣下と深く語らい、有意義な時間を過ごさせて貰いました。お気をつけてお帰りください」

 一通りの話を済ませたテオドールは、傍から見ると世間話をしに来た風情で笑顔で帰って行った。正面玄関で、テオドールが乗り込んだ馬車が走り去っていくのを見送ったマグダレーナは、一気に疲労感を覚える。

 ふと傍らを見ると、応接室での論争に参加していなかった母親のジュリエラと目が合い、マグダレーナは反射的に問いを発した。


「お母様。お尋ねしても良いですか?」

「何かしら?」

「お母様は、大叔父様がこちらに足を運ばれた理由をご存じなのですか?」

 それにジュリエラは、含み笑いで答える。


「私には、国政の難しい事は分からないわ。だけどランタスとリロイを信じているから。勿論、あなたもよ。本当に、自慢の旦那様と子供達を持てて嬉しいわ」

「……そうですか」

(意見する気なんて、欠片もないみたい。分からないと言いながらも、恐らく事前にとんでもない内容を聞かされているわよね。それでも微塵も動じていない上、これまで一言もその内容を漏らしたり素振りも見せていなかったお母様は、なかなかの人物だと思います)

 改めて母親の胆力を認識したマグダレーナは、それ以上は思考を放棄して家族に断りを入れて自室へと引き上げた。



 部屋に入って緊張は解れたものの、とてもリラックスできる心境ではなく、まずはお茶を飲み直して気持ちを切り替えようと、自分付きのメイドであるグレダに声をかける。心得た彼女は手際よく支度をし、丸テーブルにお茶の入ったカップを置いた。

 マグダレーナはそれを飲み始めたが、すぐに難しい顔になって聞いたばかりの話の内容を頭の中で反芻する。そんな主人の様子を黙って観察していたグレダだったが、カップの中のお茶がかなりぬるくなった頃、控え目に声をかけてきた。


「マグダレーナ様。随分と険しいお顔をされておいでですが、先程の応接室での旦那様達のお話は、何か難しい事だったのですか?」

「あぁ、ええと……。ええ、まあ……、少しね。だけど難しい課題を出されるのは、これが初めてではないから大丈夫よ。心配しないで」

「そうですか」

 曖昧に笑って誤魔化したマグダレーナだったが、グレダはそれ以上追及はしなかった。その代わり、少々不満げに言い出す。


「確かに公爵様はお嬢様の躾や教育に関して、かなり厳しくされておられますよね。普通の貴族のお嬢様は、マグダレーナ様程お勉強はされないと思います。それにリロイ様はお嬢様と入れ替わりにクレランス学園を卒業なされたのに、相変わらずお気楽に遊び回っておられて、屋敷にいない方が多いではありませんか。あれでは未だに縁談が調わないのも、仕方がありません。公爵家の嫡男ともあろうお方が、何てみっともないのでしょう。少しはマグダレーナ様を見習っていただきたいものです」

 常日頃から積もり積もっていたらしい鬱憤が思わず溢れ出たような物言いに、マグダレーナは思わず反論しかけた。


「それだけどね、グレダ」

「はい。何でございましょう?」

 そこで彼女は、瞬時に我に返る。


(お兄様は以前から、恐らく身分を隠して王都内で情報収集に勤しみつつ、今後のための根回しをしているはずよ。お兄様付きの補佐役達も最近屋敷内では殆ど見かけないのに、お父様が黙認なさっておられるなんて普通ではあり得ないもの。帳簿を見ても、推測できる領地からの収益のうち帳簿に計上されていない分がかなりあるから、それらがお兄様達の活動資金に流用されているとみて間違いないわ)

 そこまで考えた彼女は、グレダに笑顔で指示を出す。


「……いいえ、何でもないわ。ご苦労様、しばらく下がっていて構わないわよ?」

「かしこまりました。それでは用がありましたらお呼びください」

 そして恭しく下がった自分付きのメイドにまで兄が無能と認識されている事態に、マグダレーナは深い溜め息を吐いた。


(お兄様の書棚を確認すれば、その内容の幅広さとどれだけ読み込んでいるかが分かるから、決して見た目通りの考えなしの方ではないのは一目瞭然なのだけど……。屋敷の使用人に対してまで徹底して偽装しているのだから、私がそれを暴露する訳にはいかないわね)

 すっかり冷めてしまったお茶を飲みながら不愉快な内容を考えていると、ノックの音に続いて入室の許可を求める可愛らしい声が聞こえてくる。


「お姉様、入ってもよろしいですか?」

「ええ、ミレディア。構わないわよ」

「失礼します」

「あら、エルシラも来たのね。どうしたの?」

 今年十二歳のミレディアと十歳のエルシラ、二人の妹が揃って入室してきたのを見て、マグダレーナは思わず笑顔になった。


「お父様達とのお話が終わったみたいですから、お姉様と一緒にお茶を飲みたくて。お話したい事もありますし」

「私もゆっくりお茶を飲みたいと思っていたところなの。それなら一緒に飲みましょう」

「はい」

 姉の笑顔に、ミレディアが嬉しそうに頷く。そこでエルシラが、控えめに言葉を継いだ。


「あの……、先生に教わった刺繍が凄く上手にできたので、マグダレーナ姉様に差し上げようと思って持ってきました」

「まあ、ありがとうエルシラ。とっても素敵よ」

 そして日ごろから仲の良い三姉妹は、並んでソファーに座りながら和やかにひと時を過ごした。

 そのうちに夕食の時間帯になり、グレダに声をかけられた三人は、揃って食堂に向かう。するとエルシラが、並んで歩く長姉を見上げながら心配そうに尋ねてくる。


「マグダレーナ姉様。学園が始まって寮に入ったら、以前のお兄様みたいにあまりお家に帰って来れなくなるのでしょう?」

「確かにそうだけど、お休みの日にはちゃんと帰るわよ」

「本当? 約束してくださいね?」

「ええ、約束するわ」

「学園のお話も、聞かせてくださいね?」

「勿論よ、ミレディア」

 左右から念を押してくる妹達を微笑ましく見やりながら、マグダレーナは決意を新たにする。


(ミレディアとエルシラの縁談は、年齢から考えてそろそろ持ち上がり始めてもおかしくない時期。私やお父様達の動きによっては、社交界での我が家の影響力が激変する可能性があるから、この子達の将来にも関わるわ。我が家にとって最善の選択ができるように、慎重に王子達を見極めていかないとね)

 無茶振りにも程がある極秘任務ではあったが、ここに至ってマグダレーナは完璧に腹を括り、自身と家と家族のために精一杯努力する事を自分自身に誓った。














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