(23)極端な例え

 シェーグレン公爵邸を予告時間通り訪れたローダスは、恭しく執事に第二応接室に案内されたが、室内に足を踏み入れた瞬間、その顔に僅かに動揺の色を見せた。しかしそんな事には構わずエセリアが席を立ち、丸テーブルの向こう側の席を指し示しながら、笑顔で挨拶してくる。


「ローダス様、ようこそいらっしゃいました。さあ、どうぞ、そちらにお座りになって下さい」

「エセリア様、本日はお時間を頂き、誠にありがとうございます」

 取り敢えずの疑念を押さえ込みながら彼が頭を下げると、エセリアは続けて先客である少年を紹介してきた。


「ミラン。こちらはキリング総大司教様のご子息の、ローダス・キリング様よ。私と同様にクレランス学園の教養科に所属しているの。それからローダス様、こちらはワーレス商会会頭の息子の、ミラン・ワーレスです。以後、お見知りおき下さい」

 そこですかさずミランが立ち上がり、極めて友好的な挨拶をしてきた。


「総大司教のご子息でしたか。私も来年クレランス学園に入学する事になっています。宜しくお願いします」

「エセリア様と取引がある、ワーレス商会会頭のお身内ですか。こちらこそ、宜しくお願いします」

 互いに笑顔で挨拶し合い、席に着いてからもローダスが微妙な顔つきをしているのを見て取ったエセリアは、少々困ったように彼を宥めた。


「ローダス様、仰りたい事は分かりますわ。ただそちらのお話の前に、お二人に揃って聞いて貰いたい話があるのです。その後に必要があれば、以前お申し出があった通り、ミランには席を外して貰いますから」

 そう説明を受けたローダスは、すっかり恐縮してミランに向き直り、頭を下げた。


「そうでしたか……。こちらが無理に申し出ましたのに、申し訳ありません」

「いえ、大事なお話のようですし、私の話は後でも構いませんから」

「それでは話の前に、ローダス様にちょっとした質問があるのですが」

「はい、何でしょうか?」

 唐突に声をかけられたローダスが慌ててエセリアに向き直ると、彼女はすこぶる真顔で問いを発した。


「音楽についてです。一般に普及している音楽は、得てして単調でゆったりしたメロディーの物しか耳にしません」

「……そうですね。それが何か?」

「その成り立ちや歴史を確認してみましたら、音楽はそもそも国教会が教義を広める為に作成された、賛美歌から派生した物だとか」

「はい。昔は今と比べると識字率が格段に低く、字の読めない庶民に教義を広める為の苦肉の策だったと、教会の記録にも残っております」

「本当に先人の知恵とご苦労には、頭が下がる思いですわ」

 そこまではしおらしく話をしていたエセリアだったが、内心では不満たらたらだった。


(だけどね! タラタラモタモタ、ノリが悪い曲ばかり聞かされて、却ってストレスが溜まるのよ!)

 そして音楽一般に対してストレスを感じる、最大の理由を思い浮かべ、無意識に憤怒の形相になる。


(それに第一、この世界の楽譜って、どうして五線譜じゃなくて八線譜なんて代物なの!? しかも音符表記も微妙に違うから、前世の知識が邪魔をして、咄嗟にどこの音に該当するか分からなくて、音楽の成績が伸び悩んでいるんだから! これに関しては、前世の記憶なんて邪魔でしかないわよ!!)

 すると突然黙り込んでしまった彼女に、ミランが恐る恐る声をかける。


「あの……、エセリア様? 急に怖い顔をして、どうかされましたか?」

 それで我に返ったエセリアは、豹変っぷりに唖然としていたローダスを認めて、慌てて愛想笑いを振り撒いた。

「あ……、いいえ、何でもないのよ? ええと、それでは先程の話を続けますが……」

 そして彼らが安堵したように表情を緩めるのを見てから、エセリアは再び話し出した。


「音楽が賛美歌から派生したと言う事は、従来の物からかけ離れた歌や音楽を発表したり演奏したら、教会から不遜だと抗議を受けたりはしないかと思いましたの」

「従来の歌や音楽からかけ離れた物、ですか?」

 怪訝な顔になったローダスに、エセリアはなおも説明を続ける。


「ええ。こう、何と言うか……、ゆったり穏やかではなく。ああ、勿論下品とかではありませんが、ただ、ポップでロックな感じのメロディーとかは、教会的にはどうなのかと思いまして。教会内の事情に詳しいローダス様の意見を、一度お伺いしたかったのです」

「『ぽっぷでろっくな感じ』……、ですか?」

 初めて耳にする単語を口にしながら、益々困惑を深めたローダスを見て、ミランは呆れ顔でエセリアを窘めた。


「エセリア様……、それでは他人に伝わりませんよ。申し訳ありませんが、凡人の私にも分かるように、説明して頂けませんか? ローダスさんも困っていますし」

 そう言われたエセリアは、ローダスが微妙な表情になっているのを確認し、素直に頷いた。


「そうね。言葉で色々説明するより、実際にやってみた方が分かって貰えるわね。それなら……」

「エセリア様?」

 椅子から立ち上がってテーブルから離れた彼女を見て、ミランとローダスは戸惑ったが、エセリアは明るく笑いながら理由を口にした。


「座ったままだと感じが出ないから、立って歌う事にするわ」

「何の歌ですか?」

「賛美歌の《久遠の救済》の新解釈と言うか、新バージョンと言うか、そんなところよ」

 それを聞いた二人は、揃って首を傾げた。


「『久遠の救済』ですか?」

「それは誰もが知っている有名過ぎる賛美歌ですし、色々な方が随分アレンジして歌い継がれてきましたよ? エセリア様には申し訳ありませんが、どう歌っても、大して変わり映えはしないのではありませんか?」

 正直に口にしたミランに、エセリアが困ったように笑いかける。


「そう言わずに、取り敢えず一曲聞いてみてから、感想を聞かせてくれる?」

「分かりました。何かお考えがあるみたいですね。拝聴させていただきます」

「ローダス様も、お願いしますわ」

「はい、畏まりました」

 そして自分達に向かって軽く頭を下げたエセリアに向かって、二人は自然に拍手をした。


(新規の原稿を受け取りつつ、内々に王宮からご下問があった、宿泊施設や屋台の事でエセリア様に助言を頂きに来たのに、いきなり歌を聞かせられる事になるとは……。だがエセリア様の事だから、きっと何か深謀遠慮がおありに違いない。これは心して聴かないと)

 緊張を解す為か、何回か深呼吸を繰り返している彼女を、困惑と期待が入り交じった気分でミランが眺める。しかし確かに一応、深く考えた末での行動だったのだが、彼女のそれはミランの予想から激しく逸脱していた。

 何故なら息を整えたエセリアは、勢い良く左足を斜め前に踏み出して軽く前傾姿勢になりながら、何かを抱えるような体勢になったかと思ったら、発狂したのではないかと思えるような奇声を上げたのだった。


「イェーイ! 俺っちのっ、カワイイ、迷えるぅ――、小さな、子羊ちゃあ――ん! 今日も、元気に、カンシャしてるかぁぁ――い!?

「…………へ?」

「…………は?」

 盛大にエアギターをかき鳴らしながら、エセリアがハイテンションで叫び、それを目の当たりにしたミランとローダスが、目を限界まで見開いて固まる。しかしそれを無視してエセリアは激しく右手を動かし、全身を前後左右に揺らしながら、そのままのテンションで歌い始めた。


「愛愛愛してるってぇぇ――、言われ続けてぇもぉ――、行ぁいがぁ――、伴わなぁあいぃ――、薄っ! ぺらなっ! あ愛ならぁぁ――! 道ぃ端ぁのぉ――、草一本のっ! 価値さえっ! 無いのさぁあああ――っ!!」

「…………」

「…………げっ!? ルーナさん、大丈夫ですかっ!? ローダスさん、ルーナさんを運ぶのを手伝って下さ……、 うわっ!! ローダスさんが息をしてないっ!! 大丈夫ですか? しっかりして下さいっ!!」

 あまりの非常識さに当初固まっていたミランは、少し離れていた所に控えていたルーナが、ゆっくりと仰向けに倒れて行くのを見て、本気で悲鳴を上げた。

 更に慌てて立ち上がりながら隣席のローダスに声をかけたものの、彼は拍手の位置で止まっていた手を無意識に下ろしたのか、まだろくに手を付けていないティーカップを見事にひっくり返し、倒れたカップから盛大に流れ出たお茶が彼の服を濡らして、かなり悲惨な状態になっていた。それにもかかわらず、まばたき一つしない彼の顔を遠慮無く叩きながら、怒鳴りつけて正気に戻す。

 一方で、その剣幕に驚いたエセリアが背後を振り返ると、確かに仰向けに倒れているルーナの姿を認めて、さすがに動揺した。


「え? ルーナがどう……。きゃあぁっ、ルーナ! どうしたの!? めまい!? 貧血!?」

「違います! あなたのわけの分からない、歌とも言えない歌を聞いて、あまりの衝撃で物も言えずにぶっ倒れたんですよ!!」

 本気の怒りの形相でミランに叱りつけられたエセリアは、激しく狼狽した。


「え、えぇ!? どうしてそうなるの!? それにまさか、まともに後頭部を打ってなんかいないわよね? 大丈夫!?」

「エセリア様こそ、頭の中は大丈夫ですか? 何なんですかさっきの歌は! 不敬を通り越して、教会に喧嘩を売るつもりですか!? 絶対、破門どころの騒ぎじゃ済みませんよ! 確実に狂信者に焼き討ちされます!」

「ちょっとミラン、そんな大袈裟な……。ちょっと歌詞を軽い台詞風に変えて、ノリが良いアップテンポにしただけ」

「とにかく! ローダスさんの意識は戻ったので、誰か使用人の方を呼んできます! ルーナさんを介抱して貰って、部屋と服を借りてローダスさんに着替えて貰わないと!」

「あ、え、ええと……。そうね、ミラン。お願い」

 ローダスが瞬きし、殴られた頬が痛むのか無言でそこを手でさすり始めたのを見届けたミランは、勢い良く立ち上がり、叫びながらドアに向かって駆け出した。それを呆然と見送ったエセリアは、それから少しの間ローダスと二人きりで、気まずい時間を過ごす事となった。

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