(15)密談
剣術大会が間近に迫った頃。シレイアが休日に家に戻って自室で寛いでいると、母が声をかけてきた。
「シレイア、ローダスが来ているわ。居間に通してお茶を出したから」
「そうなの? 別に約束とかはしていないけど、すぐに下りるわ」
不思議に思いながらシレイアが読んでいた本を片付け、ゆっくり応接室に向かうと、ステラが言った通りローダスがソファーに座っていた。
「ローダス、何か急用なの?」
「急用というわけではないが、ちょっと話をしたくて」
「それで?」
彼と向かい合って座ったシレイアは、ステラが自分用に淹れてくれたお茶に手を伸ばした。するとローダスが、声を潜めて確認を入れてくる。
「例の、エセリア様が王太子との婚約話を破棄に持ち込みたいと考えている件だが。今のところ、積極的に動いてはいないよな?」
「そうね。今年中は剣術大会を成功に導くのが、エセリア様の中でも最優先事項になっているみたいだし」
「それならそれで良いんだが……」
「それがどうかしたの?」
自然とシレイアも声量を抑えながら尋ねると、ローダスは慎重に話し出した。
「実はこの間、実際に婚約破棄が成立した場合の国教会内の動揺を少しでも抑えるために、休暇で家に戻るごとに父さんやレナード兄さんに、さりげなく王太子殿下の実情を含ませる会話をしていたんだ」
「それは私もよ。父さんが渋い顔をしていたから、最後は軽く流しておいたけどね。今の時点で、変な騒ぎになってもまずいし」
「勿論俺も、世間話の一つという体で話しておいたさ。そうしたら昨夜、レナード兄さんからちょっと困った顔で言われたんだ」
「レナード兄さんが? どんな事を言っていたの?」
レナードの立場であれば、国教会内部に関する話かとシレイアは推察した。しかし身内といえどもわざわざ年下の部外者に愚痴を零すだろうかと、怪訝に思いながら話の先を促す。
「王太子殿下が十五歳になってから徐々に公務を任されるようになっているらしく、半月ほど前に総主教会に、国王陛下の名代として出向かれたんだ。今年の王家からの寄付目録を持っていらしたそうだ」
「王家からは、毎年多額の寄付を頂いている筈だしね。それで?」
「王太子殿下の対応をしたのは父さんやノランおじさん達、総主教会の上層部だ。当然だが、その場で特に問題はなかった。しかし大司教レベルの人間が席を外した場での王太子殿下の振る舞いや言動が、いささか品位に欠けていたそうなんだ」
その微妙にぼかした物言いに、シレイアは両目を細めた。そして彼女の声に皮肉が混じる。
「ふうう〜ん? 少々? 品位に欠ける? 具体的には、どんな言動をしていたの?」
「そこの所はレナード兄さんも口を濁して、具体的な事は言わなかった。俺は家族だが、総主教会の所属者ではないからな。迂闊な事は言えないと、自重しているんだろう」
「なんとなく想像はつくけどね。付き従う官吏や騎士も同様だと思うけど、平民の末端聖職者なんて、あの殿下は歯牙にも掛けないでしょうよ。でもレナード兄さんが総大司教の息子だと知ったら、きっと愛想笑いの一つもしていたわね。本当にエセリア様と比べると、薄っぺらさが際立つわ。エセリア様は総主教会内でも支持は絶大で、上層部は勿論、末端の司祭や司教からも尊敬されているのに」
「シレイアは本当に王太子殿下に対しては容赦ないし、辛辣だな。だが確かに、総主教会内での王太子殿下の評価が、微妙になっているらしい」
「どういう事?」
まさかそんな一事だけでそこまでなるわけが無いと、シレイアは意外に思いながら尋ねた。するとローダスが、淡々と事情を説明する。
「エセリア様が総主教会内で尊敬されているのは、様々な制度を提案して外部顧問になっている他に、総主教会への寄付額がこの数年最高額であることも大きい。ちなみに寄付額の総額で言うと、昨年度は彼女の次がワーレス商会で、その次が王家、その次が王妃陛下が個人として寄付された額だそうだ」
そこまで話を聞いたシレイアは、渋面になりながら確認を入れた。
「なんとなく想像がつくけど……、王太子殿下個人名での寄付は?」
「皆無だ。王家として寄付しているから、別に個人として寄付をする必要など考え付かないのではないか?」
「そうかもしれないけど、王妃様は前々から個人として寄付されているのでしょう?」
「ああ、それに単なる金銭のやり取りだけではなく、城下や周辺の地域で病気が流行ったり大火事が起きたりした時など、迅速に総主教会と連絡を取って被災者の保護や救援に必要な物品の手配をしたり、王家から人員を配置したりと、きめ細やかな対応をしてくださっている」
そこでシレイアは、深い溜め息を吐いた。
「人心掌握って単に金銭を配るだけではなくて、日々の気配りや行動が伴わないと身を結ばないのが良く分かるわ。それなのにお金すら配らないなんて、話にならないわね」
「王子殿下全員がそうなら、まだ問題化しないと思うんだがな。実はアーロン殿下が、エセリア様や王妃様と比べると少額ながら寄付されているんだ」
「え? 何それ? 初耳だけど、本当なの?」
本気で驚きながらシレイアが問い返した。それにローダスが、小さく頷いてから説明を続ける。
「アーロン殿下が『多額の寄付をされているであろうエセリア嬢と比べられるのは恥ずかしいので、金額も含めて寄付した事は公にはしないで欲しい』と仰られたらしい。どうやら施政について王宮で講義を受けた時、貸金業務や財産信託制度の内容や成り立ちを知って感銘を受けて、一時期許可を取って総主教会に通って実際の運用状況を視察していたそうなんだ」
「視察の事も、全然知らなかったわ」
「その過程で誰も説明していないのに、資料などを読み込んだ結果なのかどちらもエセリア様が元々の提案者だと察したらしく『自分と一歳しか違わない人が、子供にうちにこんな素晴らしい制度を考えつくとは』と感動して、僅かばかりでも貢献したいと思われたとか」
しみじみとした口調での説明を聞いて、シレイアは額を押さえて項垂れた。
「ローダス……。なんか一気に疲労感が増したんだけど。何、その洞察力。その率直さ。アーロン殿下の方が王太子、いえ、国王に相応しいんじゃない?」
「まさに同じ事を、レナード兄さんも愚痴っぽく言っていてね。『正式に立太子された方の資質について、どうこう口にする不遜な真似はできない。しかしあの王太子殿下の手綱を握るのは、エセリア様でも相当大変なのでは。シレイアがエセリア様と親しくしていると聞いているし、在学中はなるべく彼女にエセリア様を助けて貰いたい』と真顔で言っていた。それでレナード兄さんから頼まれて、シレイアにそれを伝えに来たんだ」
(レナード兄さんも、エセリア様を尊敬しているものね。あの王太子、本当にろくでもないわ。レナード兄さんまで不安にさせるような言動は、教会内では慎みなさいよ)
内心で腹を立てながら、シレイアは真顔で頷いた。
「なるほどね。事情は分かったわ。それにしても、総主教会内で王太子殿下の評価が、そんな事から微妙な代物になっていたとはね」
「まあ一部の、ちょっとした噂程度だがな」
「でも逆に、これで敢えて王太子と深く付き合って利権を目論むような人間が出てきたら、性根が察せられるし切り捨てやすいんじゃない?」
「確かに、人を見る目が怪しいのが歴然としているな」
「レナード兄さんには、エセリア様をこれからも全力でサポートしていくから、心配しないでと伝えておいて。あ、そうだわ。せっかく来たし、ちょっと知恵を貸してもらえない?」
「どうした?」
そこで懸案事項を思い出したシレイアは、ローダスに意見を求めた。
「剣術大会の組み合わせを公平に抽選で決めることにしたけど、変な事で難癖をつけて無効だと言い出す輩がいそうで。万人が見て、不正ができないと思うような抽選方法はないかと考えていたのよ」
それを聞いたローダスは、真顔で考え込む。
「抽選って……、要はくじ引きだよな?」
「ええ、そうね」
「それなら……、2段階にすれば良いんじゃないか?」
「2段階って、どういう意味?」
「だから、まず予備抽選として1回目にくじを引いて、次にくじを引く順番を決める。そして2回目の本抽選は、1回目で引き当てた順番で引く。それからくじは手の中に容易に握り締められる紙を折り畳んだような物ではなくて、握った拳からはみ出る大きさの板状にして、引いたものは机の上に並べて番号をチェックする。こんな風に2回に分けて引けば誰が何番目に引くかなんて分からないし、そうすると準備する番号札を何番にするかも分からなくなるから、不正のしようがないんじゃないか?」
その提案に、シレイアは喜色満面で頷いた。
「さすがローダス、天才! ありがとう、その手があったわね! 早速それで準備するわ!」
「役に立てて良かったよ」
嬉しそうに褒め称えてくるシレイアを眺めながら、ローダスは満足そうにお茶を飲み、少し雑談をしてから気分よく帰宅していった。
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