(10)余計な気遣い

 シレイアが心底呆れたことに、婚約破棄騒動から半月近く経過して鎮静化したと思っていたら、今度は異なる話題が王宮内を席巻する事態になっていた。


「ねえ、聞いた? 昨日、ガロア侯爵家とカモスタット伯爵家の婚約披露の場である午餐会で、ダマールさんとカテリーナさんが立ち合いの結果、カテリーナ様が勝ってしまって婚約が解消したんですって」

「何それ!? 適当な事を言うにも程があるわよ?」

「そうよ。どうして午餐会で試合をすることになるわけ?」

「本当だってば! ダマールさんと同じ隊の人達が話していたもの! 『ダマールの奴、招待客の前で女に負けたのがショックで、今日休みだそうだ』って!」

「私も聞いたわ。遠縁の官吏が、その午餐会の招待客だったのよ。今日偶然顔を合わせたら、『いやはや、衝撃の展開だった』と真顔で教えてくれたもの」

「えぇ? じゃあ本当に本当なの?」

 勤務中はともかく、昼食や夕食の席で寄ると触ると決まって持ち上がる話題に、シレイアは(他人の破談の話で、どうしてそんなに盛り上がれるのよ?)と内心で苛つきながらも、傍目には相槌を打ちながら会話に加わる。そして散々憶測や好き勝手な事を言った挙句、その場全員が沈鬱な表情で話を締めくくるのがお約束になっていた。


「カテリーナさんは、以前から色々と噂があったけど……」

「物理的に縁談を破壊しているとかの話は、冗談とか嫌がらせ的な噂に過ぎないと思っていたのに……」

「こんなに噂が広がってしまったら、もう良縁は見込めないんじゃないかしら?」

「本当にそうよね……」

「カテリーナさんは家柄も良いし容姿だって問題ないのに、本当にお気の毒……」

「世の中、ままならないものねえ……」

 嘲笑うよりははるかにマシなものの、その一方的な価値観の押し付けとも言えるその考え方に、密かにシレイアの苛立ちが増す結果となっていた。



「なんかもう、色々気に食わない。どうしてカテリーナ様がそんなに気の毒なのよ。よくよく話を聞いてみたら、そのダマールって人は元から騎士団内での評判が良くなかったそうだし、寧ろ縁談が壊れて良かったんじゃないの? まあ、これも、私の勝手な想像と言えば想像だけど」

 食堂や談話室で周囲に口論をふっかけて揉めるわけにもいかず、シレイアは自室に戻ってから無人のベッドに向かって悪態を吐いた。


「第一、立ち合いでカテリーナ様が勝ったから破談ってなに? カテリーナ様が強行したなら周囲から止められて勝負になんかなるわけが無いし、ちゃんと双方の家から認められた立ち合いだったんでしょう? それなら結果がどうあれ、きちんと受け入れるのが分別ある人間の振る舞いではないの?」

 そこで苛立ちが募ってきたシレイアは枕を引き寄せたが、その手に無意識に力が籠る。


「それとも……。女だったら当然忖度して手を抜いて、男に花を持たせろって異なわけ? 本当に冗談じゃないわよね!? ふざけんな!!」

 思わず怒声を発しながら、シレイアは勢いよく枕を壁に投げつけた。それは全く衝撃音など生じないまま、ベッドの上に落ちる。それで幾らか冷静さを取り戻したシレイアは、このまま叫び続けて苦情が来る前に寝てしまうに限ると、早々にベッドに潜り込んだ。




 翌朝も微妙に気分が重いまま朝食を済ませたシレイアは、改めて身支度を整えて部屋を出た。そして業務棟に向かって歩き出したが、少し前に見覚えのある背中を認め、思わず走り寄る。


「カテリーナ様、おはようございます!」

「あら、シレイア。おはよう、なんだか久しぶりね」

「はい、勤務時間とかの関係で、この一週間ほどはお目にかかっていなかったかと」

「そうみたいね」

 並んで歩きながら挨拶を済ませたシレイアは、カテリーナの顔色を窺いながら話を切り出した。


「あの……。気になさることはないと思います!」

「え? 何の事かしら?」

「その、婚約破棄の事です。なんだか昨日から、凄い噂になっていまして」

「ああ、その噂ね。別に気にしてはいないわ」

「私が言いたいのは、カテリーナ様に一方的に非があるように面白おかしく話されている事と、カテリーナ様が気の毒だと同情されている事です」

 シレイアが思っていた事を口にすると、カテリーナが足を止めた。そして同様に立ち止まったシレイアをしげしげと眺めてから、少々驚いたように問い返してくる。


「……ええと? 要するにシレイアは、面白おかしく噂されている事自体ではなく、私が不必要に貶められているように感じることに義憤を感じているわけ?」

「仰る通りです! 両家は招待客が目撃している立ち合いなら、その責任をカテリーナ様だけが負われるのは筋違いだと思いますし、評判が良くないダマールさんとの婚約が回避できたと、寧ろ喜ぶところだと思います!」

 真顔のシレイアは、拳を握って力説した。するとカテリーナは、何度か瞬きしてか率直な感想を述べる。


「新鮮だわ……」

「はい? なにがでしょうか?」

「蔑視するでもなく憐れむのでもなく、そういう反応を貰えたのが。ナジェークも言っていたけど、将来有望な官吏は一味違うわね。ごく親しい友人達は、また違った反応だったし」

(うん? 今、ナジェーク様の事をナジェークって言った? カテリーナ様の家とシェーグレン公爵家って、結構親しくお付き合いしていたかしら? 貴族間の力関係とか親戚関係とかは、さすがにまだ網羅できていないのよね)

 しみじみとした口調のカテリーナの呟きに、シレイアは若干の引っ掛かりを覚えた。しかし他に気になった事について尋ねてみる。


「因みに、そのご友人達は、どんな反応をされたんですか?」

「諦めというか、現実逃避というか……。死人が出なくて良かったなみたいな、淡々とした受け答えをされたわ」

「それはそれでカテリーナ様の交友関係が、微妙に気がかりなのですが……」

 シレイアが思わず難しい顔になると、それがおかしかったのかカテリーナが苦笑の表情になる。


「気心の知れた間柄で、率直な物言いをしているだけだから大丈夫よ。それにそれほど親しくない私の事をそこまで気遣ってくれて、申し訳ないと言うかなんと言うか……」

「いえ、私の方こそ、朝の忙しい時間帯にお引き留めしてしまって申し訳ありませんでした」

 そこで話に一区切りつけた二人は、再び並んで歩き出した。


「でも結婚なんて、どこにどうご縁が転がっているか分からないしね。偶々今回は、ご縁がなかったということよ。他人からどう見られようと、本当に気にしていないから」

「そうですよね。他人がとやかく言うことではありませんよね。それでは失礼します」

「ええ。気分よくお仕事を頑張ってね」

「はい、頑張ります!」

 廊下の曲がり角でカテリーナと別れたシレイアは、気分よく民政局に向かって足を進めた。


(やっぱりカテリーナ様は、エセリア様同様、普通の貴族のお嬢様とは格が違うわ。他人の評価なんて歯牙にもかけない、あの潔さ。それに私の余計なおせっかいにも、あのような優しい対応をしてくれるなんて。本当に、エセリア様とは違った意味で尊敬しています!)

 カテリーナの人となりに改めて心酔したシレイアは、ちょっと前に感じた些細な疑問など、この時既に綺麗さっぱり忘れ去っていた。



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