(15)騒動の顛末

 カテリーナの予想通り、翌日、憤怒の形相でラツェル伯爵夫妻がガロア侯爵邸に乗り込んできた。

「本当に信じられませんな! 他家の家宝をいきなり殴り付けるとは!」

「何て野蛮なのでしょう! とても侯爵令嬢がなさる事とは思えませんわ!」

 当初、当主夫妻だけで顔を合わせたが、ラツェル伯爵夫妻が一通り事情を説明すると驚愕したジェフリーは使用人にカテリーナを呼びに行かせた。そして自室からやって来たカテリーナが伯爵夫妻の主張を大筋で認めると、ジェフリーとイーリスは揃って頭を下げた。


「誠に申し訳ない。平にお詫びします」

「娘にもきつく言い聞かせておきますので」

「謝罪して済む問題ではありませんぞ!」

「全く、そちらではご令嬢をどういう風にお育てになりましたの!?」

「…………」

 しかし謝罪されただけで腹の虫がおさまる筈も無かったラツェル伯爵夫妻は、カテリーナのみならずジェフリーとイーリスまで非難してきた。両親が神妙に頭を下げる中、親まで当て擦られて気分を害したカテリーナは、ついラツェル夫妻に言い返してしまう。


「それではお伺いしますが、ラツェル伯爵家では、ケビン様をどのようにお育てになりましたの?」

「何だと!?」

「カテリーナ! 何を言い出す!」

 伯爵夫妻は忽ち怒気を露にし、ジェフリーは慌てて娘を嗜めようとしたが、カテリーナの口は止まらなかった。


「あの像が倒れてくるまでには十分間があり、私は余裕を持って横に逃れる事ができましたのに、ケビン様は驚くばかりで逃げもせず、まともに正面からぶつかりましたのよ? 状況判断をされるのが、少々遅すぎませんか? もしくは状況判断ができても、動きが鈍かったとか」

「なんですって!? ケビンが愚鈍だとでも言うつもり!?」

 伯爵夫人がいきり立って怒鳴り返したが、カテリーナは淡々と続ける。


「そうは言っておりませんが、家宝と仰るわりには、あの像の管理がお粗末だったのも事実かと。普通でしたら、素手で若い女性が石像を殴っても手を傷めるだけで石像はびくともしませんのに、あんなに呆気なく折れて倒れてしまうなんて。よほど像自体が傷んでいたとしか思えませんわ」

 ナジェークが裏工作させず、自分がメリケンサックを使用しなければ倒れたりはしなかったかもしれないが、などと言う事は微塵も漏らさずカテリーナは言い切った。その発言は、ラツェル伯爵夫妻の怒りを更に煽った。


「言うに事欠いて、こちらに責任転嫁をする気か!?」

「呆れて物が言えませんわ! 金輪際、あなた方とのお付き合いはごめんです!」

「そちらが何と言おうと、慰謝料は払っていただきますからな!」

「本当に、冗談では無いわ!」

 揃って吐き捨ててラツェル夫妻が引き上げて行くのを、カテリーナは表面上神妙に頭を下げて見送った。


(最後のあれは言わなくても良かったとは思うけど、お父様とお母様を悪しざまに言われるのは我慢できないもの。ケビン殿が逃げなかったのは、本当の事だし)

 憮然としながら伯爵夫妻を見送ってから、カテリーナは相当迷惑をかけてしまう事になった両親に向き直り、再度深々と頭を下げた。


「お父様、お母様。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」

「それにしても……、本当に石像の足が折れて倒れたの?」

「はい。ラツェル家初代のご武運にあやかろうと、足首に拳を入れてみただけなのですが」

「それがケビン殿を直撃したと……。それを屋敷の者に、何も言わずに帰って来たのはまずかったな」

「はぁ……。さすがに驚いて、何をどう説明したら良いか、咄嗟に判断がつきませんでしたので」

 改めてカテリーナから話を聞いて、イーリスが困惑を深め、ジェフリーが渋面になる。するとここで、「当主同士の話をするから控えているように」と厳命され、自分達の私室で呼ばれるのをまっていたジェスランとエリーゼが、ラツェル伯爵夫妻が既に屋敷を離れた上、カテリーナの所業に激怒して抗議に来た事を使用人達から聞いて、血相を変えて応接室になだれ込んできた。


「カテリーナ! お前と言う奴は、どこまで私達に恥をかかせる気だ!? ケビン殿にぶつかったあの像は、お前が殴り倒したというのは本当か!?」

「昨日はそんな事、一言も言っていなかったじゃない! 冗談では無いわ! あんなに好意的だったラツェル伯爵夫妻を激怒させるなんて! 明日、一緒に謝罪しに行くわよ!」

 怒声を張り上げた息子夫婦に、ジェフリーは眉根を寄せたものの、冷静に言い聞かせる。


「止めろ。下手に押し掛けたら、先方が益々不快に思われる。お前達は動かなくて良い。ラツェル伯爵と懇意にしている方に口添えをお願いして、私とイーリスで改めて詫びを入れる」

「そうは言っても!」

「カテリーナのせいで私達の立場が!」

 しかしなおも喚き立てる息子夫婦に対して、これまでラツェル伯爵夫妻から散々文句や非難の言葉を受けても堪えていたジェフリーの堪忍袋の緒が、容易く切れた。


「くどい! 何を勘違いしている! ガロア侯爵家の当主は私だ! 私が頭を下げると言っているのに、お前達はそれが不服だとでも言うのか!?」

「そんな! 不服だなんて!」

「いえ、そうは言っていませんが!」

「第一、当主でもないお前達が頭を下げて、どれだけの価値があると? 思い上がるのもいい加減にしろ!」

「……っ!」

「分かったか! この件は私達で対応する。お前達は間違っても口を出すな!!」

「……分かりました」

「カテリーナ。お前は取り急ぎ、ケビン殿とラツェル伯爵夫妻に対しての謝罪文を書け。下がってよい」

「分かりました。すぐに取りかかります」

(確かに、大事おおごとになりすぎたわね……)

 大声で叱責され、歯ぎしりせんばかりの形相で口を噤んだ兄夫婦を横目で見ながら、カテリーナは父に言いつけられた謝罪文をしたためるべく、ミリアーナと遊ぶのは後回しにして、自分の私室へと駆け戻った。 


 同日、ルイザからの知らせを知人を介して受け取ったアルトーは、この半月ほどの成果を主人に報告した。

「ナジェーク様。ラツェル伯爵邸の例の細工ですが、無事に倒れたそうです」

 自室で一人、お茶を飲みながら書類に目を通していたナジェークは、入室してきた部下に冷やかすように言葉を返した。


「アルトー。『無事に倒れた』と言うのは、言い回しが少々おかしくはないか?」

「確かに少々おかしいですが、事実ですので」

「確かにそうだな」

「ですが、ちょっとした問題が発生しました」

「何だ? まさかカテリーナが怪我をしたわけではないだろうな?」

 ナジェークが薄笑いを消して真顔になると、アルトーが苦笑いしながら懸念を打ち消す。


「カテリーナ様は無事ですが、ケビン殿が倒れた像の下敷きになって顔と頭を強打し、一時意識不明になったそうです」

「それなら別に構わない。単にどんくさい奴が、逃げ遅れただけだ」

「本当に容赦ありませんね」

 アルトーが苦笑を深めたところで、ナジェークはテーブルにカップを置きつつ、この間頑張ってくれた部下の労をねぎらった。


「とにかく、今回は裏工作ご苦労だった。特別手当てを出す。連日のように夜に出掛けて、奥方に浮気を疑われかねなかったか?」

「確かに、手当に加えて一筆書いていただいたら、こちらは非常に助かりますね。それでは失礼します」

「準備しておく。ご苦労だった」

 そんなやり取りを苦笑と共に終えた二人は、それから何事も無かったかのように別れ、それぞれの仕事に専念していった。

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