(13)誘導

「……それで、こうなるわけです」

「なるほど。そういう画法があったとは……。この新しい画材は、様々な可能性を秘めているのですね?」

「はい。勿論他にも、色々な描き方があると思いますから、使う者の感性次第とも言えますわね」

「これは是非とも試してみたいな。今度ワーレス商会に出向いてみます」

「店舗の方には四十色ほど揃えてあるそうですが、取り敢えず六色をお配りしていますので、実際に使ってみて下さい」

「そうですね。頂いていきましょう」

「おい、エドガー! 何をしている!?」

 数人の絵心がある者達と共に、マリーリカと会話していたエドガーは、その怒声に背後に向き直って答えた。


「殿下。この新しい画材の説明を、マリーリカ様から受けていたところです。今試供品を貰って来ますので」

「ふざけるな! そんな得体の知れない物を使って、どんな駄作を描く気だ!?」

 その罵倒に、周囲の者達は咄嗟にマリーリカを庇う様に彼女の前に回り込み、エドガーは彼に冷め切った目を向けた。


「駄作ですか……。駄作すら描けない方に、どうこう言われる筋合いはございませんが」

「何だと、貴様!?」

「殿下、お止め下さい!」

「エドガー! お前も謝罪しろ!」

「私は、本当の事を口にしたまでだ」

「エドガー!!」

 反射的にグラディクトが彼に詰め寄り、彼の制服の胸倉を掴んだところで周囲の側付きから制止の声が上がり、その様子を見たリーマンが慌てて駆け寄って来る。


「殿下! 何をなさっておいでですか!?」

「こいつが私に、無礼な事を言っただけだ!」

「私が『クーレ・ユオンを頂いていく』と申しましたら、殿下はそれがお気に召さなかったそうです。『そんな得体の知れない物を使って、どんな駄作を描く気だ』と言われました」

 自分の問いかけに対しての双方の主張を聞いたリーマンは、改めて両者の顔を眺めてから、疲れたように溜め息を吐いてグラディクトに言い聞かせてきた。


「殿下……。絵と言えば、顔料をパレットで油と混ぜ合わせて描くと言う固定観念をお持ちなのは分かりますが、前例を踏襲するだけでは、新たな未来を切り開けませんぞ? 王族たる者、画期的な発明や解釈は、他者に先んじて吸収するべきで」

「もう良い! エドガー、貴様に用は無い! さっさと私の前から消え失せろ!」

 リーマンが自分の肩を持つ気は無いと分かったグラディクトは、怒りを露わにしたままエドガーの服から手を離した。そして居丈高に命じたが、エドガーが素っ気なく言い返す。


「私はクーレ・ユオンを頂いてからここを離れますので、私の顔がそんなに見たくなければ、即刻殿下がここを離れる事をお勧めします」

「……っ、行くぞ!」

「殿下!」

「お待ち下さい、どちらに?」

 完全に開き直ったエドガーを見て、グラディクトは怒りで更に顔を赤くしながら、他の側付き達を従えてホールを後にした。そんな彼らの姿が見えなくなってから、エドガーはマリーリカに向き直って、深々と頭を下げる。


「お騒がせして、申し訳ありでした」

「いえ、構いませんわ。エドガー様の作品の素晴らしさは存じ上げておりますし、クーレ・ユオンで素敵な作品を描かれたら、是非見せて頂きたいです」

 そう言葉を返されて、エドガーは漸く表情を緩めた。


「お目汚しになるかもしれませんが、機会があればお見せ致します」

「楽しみですわ」

「そうだ。今度私達で、クーレ・ユオン愛好会とかの集まりを作りませんか?」

「それは良いな。月に一度位、各自の作品を持ち寄ってとか?」

「まあ、楽しそうですわね。学園長、構いませんか?」

「はい。生徒達の自主的な活動と交流を促す事こそ、学園の理念の根幹です。美術の教授達にも、私から話をしておきましょう」

 グラディクトの登場によって生じてしまった微妙な空気を払拭するべく、誰かが提案した事でその場が盛り上がり、そんな生徒達の様子を見ながら、リーマンは一人満足げに頷いていた。

 そこで少しの間話し込んでから、彼女達と別れて廊下を歩き出したエドガーだったが、ホールを出てすぐに背後から声をかけられた。 


「エドガー様、少々お時間を頂けますか?」

 その聞き慣れた声に、エドガーは訝しげな顔で振り返る。

「エセリア様? 私に何かご用でしょうか」

「先程、随分と面白い物を見させて頂いたから、一言お礼をと思いまして」

 その皮肉交じりの口調に、彼は憮然となりながら頭を下げた。


「お騒がせして、誠に申し訳ありません」

「それで? あなたはこれから、どうなさるつもりかしら?」

「どう、とは?」

「先程殿下は、あなたを側付きから外すような事を口にしていましたが、せっかく描いた絵をどこの馬の骨ともしれない女との共作とされても、黙って従うような使い勝手の良い生徒を、本気で手離すつもりとも思えませんが」

 そうエセリアが指摘すると、エドガーが苦々しげな顔付きになった。


「……お見通しでしたか」

「寧ろ、見破られないと本気で考えている方がおかしいですわ。彼女の画力については、同じクラスの方は美術の授業で目の当たりにしていますから、幾ら二人での合作と言われても、自ずから真実は察せられますもの」

「…………」

「ですが、今回はマリーリカの絵ばかりに目がいって、そもそもあなたの絵に目を向ける方がおりませんから、誰も問題になどしておりませんわね」

 そう断言して「おほほほほ」とおかしそうにエセリアは高笑いしたが、エドガーは無言を貫いた。そしてエセリアも、彼の反応を期待していたわけでは無い為、すぐに真顔になって話を続ける。


「話を戻しますが、あなたが自ら頭を下げて詫びを入れに来る事を、殿下は期待しておられるのではないかしら? そのご厚情に甘えるおつもり?」

 しかしその問いかけを、エドガーは一刀両断した。

「冗談ではありません。今度と言う今度は、殿下に愛想が尽きました。側付きを辞めさせて頂きます。頭を下げるつもりもありません」

 それを聞いたエセリアが、わざとらしく驚いてみせる。


「まあ……。それではお父上に、叱責されるのではなくて?」

「父はこの学園に在籍中から陛下の学友としてお仕えし、謹厳実直を旨として、陛下からの信頼も篤い人間です。平気で代作を命じた挙げ句、その成果が無かったからと、礼の一つも言わずに罵倒する人間に唯々諾々と従おうものなら、余計に叱責される事確実です」

 エドガーが迷い無く断言した為、エセリアも真顔で頷いた。


「なるほど。それでは笑わせてくれたお礼に、一つ忠告をして差し上げるわ」

「何でしょう?」

「殿下の側付きを辞めさせられた事について、お父上に直接申し開きをするか、お手紙で弁明する事になった場合、アリステア嬢については一切触れない方が良いでしょうね」

「どういう事ですか?」

 怪訝に思いながら尋ねた彼に、エセリアが苦笑しながら説明する。


「謹厳実直な方なら、彼女の事を知ったなら『側付きでありながら、子爵家風情の女生徒を容易に殿下に近付けさせるなど、言語道断』などと仰るのではないかしら? あなた達、側付きの忠告など無視して、殿下自ら彼女を近付けておられるのに、理不尽な話だとは思いませんか?」

「…………」

 エセリアの話を聞いて、エドガーは面白く無さそうな顔になりながら考え込んだ。そんな彼に向かって、エセリアが更に語りかける。


「ですからお父上に仔細を尋ねられたら、彼女の事には触れずに『殿下に絵の代作を頼まれて仕上げたが、自分の力量不足で周囲の関心を得る事が叶わず、殿下の怒りを買った』とだけ言えば宜しいのではなくて? 今口にした内容の中に、嘘は含まれているかしら?」

「いえ……、敢えて説明を省いている所はありますが、虚偽の内容は皆無ですね」

「どうせ殿下もアリステア嬢の事など、公にはしないでしょう。陛下の側近たるあなたのお父上にその存在がバレたら、『そんな者が王太子殿下の側近くに侍るなどとんでもない』と、即座に遠ざけられるのは明らかですし。殿下が存在を明らかにしないのに、わざわざあなたが暴露して、より叱責を受ける事になるのは割に合わないのでは?」

 そうエセリアが指摘すると、エドガーは全面的に同意した。


「そうですね。自分に非の無い事で叱責を受けるのは、割に合いません。ご忠告、ありがとうございます」

「これ位、何でもありませんわ。エドガー様はこれまで殿下にお仕えして、力になって下さった方ですもの。それでは失礼します」

 深々と頭を下げた彼に会釈で応じてから、エセリアは悠然と歩き出した。


(これでなんとかエドガー様から、アリステアの存在が周囲に吹聴されるのは防げたわね。全く、この時点でアリステアをあっさり排除されたら困るっていうのに、癇癪を起こすのもほどほどにしてくれないかしら?)

 そして歩きながら密かに胸をなで下ろしていたエセリアは、グラディクトの短慮について深く静かに怒りを溜め込んでいた。

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