(17)変革の起爆剤

 いつも通りシェーグレン公爵邸を訪問したミランだったが、その時、とある騒動が勃発した。


「ミラン……。実は私、この半年程、自分の破滅的未来を打開する方法を、真剣に考えていたの」

 向かい合って座り、一口お茶を飲んでから怖いくらい真剣な表情で言い出したエセリアに、ミランは何事かと緊張しながらも、疑問に思った事を口にした。


「あの……、エセリア様? この半年程と言いますと、《シャイニング・スター》シリーズの執筆を開始したり、ハサミではない画期的な爪切りを始めとした、数々の便利グッズの開発など、精力的に活動されていたと思うのですが……」

 すると更に顔付きを険しくしながら、彼女が言い返してくる。


「それはそれ、これはこれよ! 第一、辛気くさい事を悶々と考え込んでいるんだから、気晴らしに楽しい事を考えるのは自然な事でしょうが!!」

「……失礼しました。ですがどうして『破滅的未来』なのですか? エセリア様は今現在、向かうところ敵無しと言った感じですが」

 まだ怪訝な顔で問いを重ねたミランに、エセリアは力強く宣言する。


「そこが落とし穴という所よ。それでこの際、全力で運命に抗ってみる事にしたわ」

「はぁ、そうですか……」

(何だか嫌な予感がひしひしと……。この人、今度は何をしでかす気だ?)

 相槌を打ちながらもミランが戦々恐々としていると、エセリアは傍らに控えていたミスティに目配せした。それを認めた彼女はミランに歩み寄り、手にしている用紙の束を、無言のまま彼に向かって差し出す。


「と言うわけで、ミラン。これを読んで感想を聞かせて欲しいの」

「……はい?」

「どうしたの? 新作のこの原稿を、読んでみて欲しいんだけど」

「はぁ……、お借りします」

 予想に反して原稿を読むだけだった為、ミランは呆気に取られてから、素直に原稿を受け取った。その時、ミスティの目がどことなく生気が乏しいと感じたものの、すぐに目の前の原稿に意識を集中する。


(何だ、単なる原稿じゃないか。『破滅的未来』とか『運命に抗う』とか物騒な言葉を聞かされたから、何事かと思ったぞ。エセリア様は何を大袈裟な事を)

 安堵しながら早速読み進めたミランだったが、何ページもいかないうちに、ちょっとした違和感を覚えた。


(あれ? 今回の主人公は男性なんだよな? そうなると今度の話は、冒険ものとか悲劇的な話なのか? 確かにエセリア様は、これまでその手の類は書いていらっしゃらないな。これは期待できるかも)

 従来の作風とは違う事を読み取り、ミランは斜め読みをし始めたが、すぐにその顔付きが強張り、少ししてから控え目な声で問いを発した。


「あの……、エセリア様?」

「何? ミラン」

「一応、確認させて頂きたいのですが、この話の主人公はジェストと言う名前の青年ですよね?」

「ええ、そうよ」

「それで、このジェストにはリアーナと言う姉がいて、この姉の婚約者の名前がエルダーですよね?」

「そうだけど? どうして読めば分かる事を、一々私に聞くわけ?」

 不思議そうにエセリアが尋ね帰した直後、ミランは手にしていた原稿の束を勢い良くテーブルに叩き付けながら叫んだ。


「読めば読むほど、わけが分からない意味不明な話になってるからですよっ!! 何ですかこれはっ!? どう読んでも、ジェストとエルダーの恋物語にしか思えないんですが!?」

「ちゃんと内容を読み取っているじゃない。どうして内容が分からないなんて、癇癪を起こしているわけ?」

 平然と言葉を返すエセリアに、ミランのこめかみに彼の年齢には不似合いな青筋が浮かんだ。


「しかもこの描写だと、ジェストのモデルはナジェーク様で、エルダーのモデルがライエル様で、リアーナのモデルがコーネリア様ですよね!?」

 それを聞いて初めて、エセリアは難しい顔になって意見を求めた。


「う~ん、名前は変えてるし、年齢も実年齢より十歳近く年上にしてみたけど、やっぱり面識がある人だとピンときちゃうのかしら。もう少し設定を変えた方が良いと思う?」

「そういう問題では無いでしょう!? どうして身近な人物をモデルにして、こんな物を書くんですか!!」

「それは身近な人間をモデルにすると、より信憑性がある描写ができるからよ」

「何真顔でサラッと、とんでもない事を言ってるんですか!? 第一、こんなふざけた物がどうして、『破滅的未来を打開』する事につながるんですか!? 寧ろエセリア様の評判と、シェーグレン公爵家とワーレス商会が瓦解します!!」

 その目を血走らせてのミランの訴えに、エセリアは負けじと怒鳴り返した。


「幾つものシミュレーションを踏まえた、深謀遠慮の結果よ!! 元からこの世界に無いものを作り出せば、世界そのものを変革する事になって、シナリオ自体が崩壊するかもしれないじゃない! だから私は生き残りをかけて、この型に嵌まった大人しい世界に、破壊力満点の腐女子を誕生させ、増殖させる事を決意したのよ!!」

「『シナリオ』? 『腐女子』? 全く意味が分かりません!! お願いですから、俺にも分かる言葉で喋って下さい!!」

「何言ってるのよ。さっきからちゃんと会話はできているじゃない」

「意志疎通は皆無ですがね! 腐ってるのはエセリア様の頭の中じゃ無いんですか!?」

「腐って結構! 腐るのが怖くて、BLが書けるか!! こっちは人生かかってんのよ!?」

「寧ろ、人生崩壊の危機ですよ!! 大体、こんな物を書いているのが本人にバレたりしたらどうなると思って」

「二人とも、さっきから大声を出してどうしたの?」

 ここでいきなりかけられた声に、二人同時に固まり、もの凄い勢いでドアの方に向き直った。すると困惑顔でコーネリアが佇んでおり、ミランの全身から冷や汗が流れ落ちる。


「あ……、す、すみません! コーネリア様、失礼しました!!」

「廊下を通りかかっただけだし、私は構わないのだけど……。あら、それは新作の原稿よね? 最近はエセリアに見せて貰って無いけど、先にミランに見せていたの?」

 テーブル上に散らばった用紙を見たコーネリアが笑顔で尋ねてきた為、エセリアは辛うじて笑顔を保ちながら頷く。


「え、ええと……、まあ、そんな感じですが……」

「それなら、今、それをちょっと見せて頂戴?」

「だっ、駄目ですっ!!」

 慌てて拒否しながら目の前の原稿をかき集めたミランだったが、その返答を聞いたコーネリアの眉がピクリと動いた。


「……ミラン?」

 彼女の表情と声音で、気分を害したらしいのは理解できたものの、ミランは原稿を抱え込みながら必死の形相で弁解した。


「い、いえっ! あのですね! これはコーネリア様向きでないと申しますか、お気に召さないと申しますか」

「私向きで無いかどうかは、私自身が読んで判断する事ではないの?」

「世間一般的にはそうかもしれませんが、これは世間一般から激しくずれた代物で」

「さっさと渡しなさい」

「ミスティ! どうしたの!?」

 どうやらエセリア付きのミスティは、既に原稿の内容を把握していたらしく、緊張に耐えきれなくなって床に崩れ落ちていた。そしてアラナに介抱されている彼女を見ながら、ミランはそれ以上抗う事はできず、コーネリアに向かって原稿を差し出す。


「……どうぞ」

「ありがとう。それでは早速読ませて貰うわね?」

 優雅に微笑んだコーネリアに席を譲り、ミランは向かい側のソファーに腰を下ろした。すると隣のエセリアから、小声で叱責される。


「何であっさり原稿を渡しちゃうのよ!」

「エセリア様こそ、何で書き損じとか単なる計算書とか誤魔化さないんですか!?」

「咄嗟にそこまで頭が回らないわよ!」

「すみません、用事を思い出したので帰らせて貰います」

「あ、ちょっと! 一人だけ逃げる気!? そんな事は許さ」

「五月蠅いわよ!! 静かにっ!! 大人しくそこで座ってらっしゃい!!」

「……はい」

「失礼しました……」

 自然とヒートアップしたやり取りに苛立ったコーネリアに鋭く叱責され、エセリアとミランはその場から逃げ出す事も叶わず、微動だにせずに座り続ける事となった。

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