(24)冷静な諭し

「もう! 二人とも、まだ全然食べていないのに、帰るなんて言い出すんだもの。家に帰っても何もありませんよ?」

 三人で街路を並んで歩きながら、ステラは憤慨した声を上げた。そんな妻を、ノランが冷静に宥める。


「ああ、分かっている。お前に今から何か作ってくれなんて言う気もないから、どこかで食べて帰ろう」

「あの空気の中で、まだ食べる気満々だったのが信じられないんだけど……。お母さんって、そんなに図太いタイプだった?」

 心底疲れ切った様子で、シレイアが愚痴っぽく口にした。すると歩きながら、ステラが淡々と告げる。


「あら。結婚前のカップルの授業料としてなら、それほど高くはないでしょう? それにしても、結婚するって決めたのならもう少し当人同士で話をしていると思ったのに、随分と落差が激しかったわね。ローダスの乙女志向が予想外だったわ」

「乙女志向……」

 突如として母親の口から出された単語に、シレイアが何とも言い難い表情になった。それを見たステラが、不思議そうに言葉を継ぐ。


「男性に向かって、乙女志向とか言わない方が良いの? それなら、脳内お花畑とでも言っておく?」

 そう提案された途端、シレイアは自分が散々同じフレーズを使っていた人物の事を思い出してしまった。もう思い出すだけで不幸とトラブルが降りかかってきそうな心地になってしまったシレイアは、慌てて首を振りながら母親に懇願する。


「それは止めて! もの凄く嫌な事とか、縁起の悪い事とか、ろくでもない人を思い出すから! この際、乙女志向でも何でも良いわ! 好きに呼んで良いから!」

「そう?」

 何やら必死の面持ちの娘を、ステラは怪訝な顔で見やった。するとここで溜め息を吐いてから、ノランが指摘してくる。


「授業料というからには、さっきのあれは半分以上わざとだな?」

 それにステラは、悪びれずに笑ってみせた。


「まあね。当人同士が真正面からぶつかったら収拾や引っ込みがつかなくなるかもしれないけど、未来の姑にはそうそう強くも出られないでしょう。マーサが以前言っていたのよ。『息子って父親に対してはわけもなく反発する場合があるけど、母親に対してはあまり強く出ないで意外に引くものよ』って。現に強く出られなくて、言葉に詰まっていたじゃない?」

「そのマーサも、結構顔色を悪くしていたがな……」

 友人夫婦の心境を思って、ノランは再度重い溜め息を吐いた。するとここでステラは、娘に視線を向ける。


「それにしても、半分はシレイアが悪いわね。ローダスがあそこまで先走っていたのを察知も推測もしていなかったなんて。忙しいのは分かるけど、それにかまけて二人で意見のすり合わせとか今後の計画とか放置して、全部後回しにしていたわね?」

「ええと……、まあ、言われてみればその通りだけど……」

 全くその通りであったため、シレイアは反論できずに口ごもった。


「確かにあなた達は、一般的なお付き合いを経ての結婚とか、家同士で決めた縁談五従っての結婚とかの枠を外れているけど、だからこそあなたの方から積極的に今後の方針とかを計画立案して、どう実行に移していくかをローダスと詰めて進めていく必要があるのではないの? それも立派な男女平等社会参画と言えないかしら?」

「確かに、世間一般的な枠から相当外れているのは、自覚しているけどね……」

 淡々と言い諭してくる母親に、シレイアは幾分後ろめたい気分で頷く。


「結婚式をするもしないも、するならどこでするのかも、どういう生活にするのかもまだ全然白紙でしょう? これから二人で、しっかり話し合って決めなさい」

 押しつけがましく言われたわけではなく、強い口調で迫られたわけでもなかったが、シレイアはその忠告を素直に受け止めた。


「……うん、そうする。心配かけた上、お母さんに嫌な役回りをさせてしまってごめんなさい」

 本来なら自分がローダスとぶつかる筈だったものが、ステラにさせてしまった事で、シレイアは申し訳なく思った。しかしステラは明るく笑い飛ばす。


「これくらい、なんでもないわよ」

「でも……、この事が原因で、マーサおばさんと気まずくなったりしない?」

「あら。私と彼女の友情を甘く見ないで欲しいわ。あなたとサビーネさんのそれにも負けないくらい、強くて深いと自負しているわよ?」

「そうかもね」

 その自信満々の笑みに、シレイアも思わず笑いを誘われた。するとステラはその明るい笑みのまま、さらりと言ってのける。


「最後に一つ意見を言わせてもらえば、あれだけ面と向かって言われてもまだ世迷言をほざくなら、ローダスは官吏としても夫としても見込みはないと思うわ。早々に切り捨てた方が良いでしょうね。まだ正式に結婚する前で、本当に良かったわ」

 心底そう思っていると分かる笑顔に、ノランとシレイアは呆気に取られ、次いで激しく脱力した。


「ステラ……。お前、最後をそれで締めくくるな。今までの話が台無しじゃないか……」

「お母さん………。実は前々からローダスが嫌いだったの?」

「どうしてそんな言われ方をされないといけないのかしら。あ、ここで食べて行きましょう。さあ、入るわよ」

 夫と娘の控え目な非難の声もなんのその。ステラは空腹を満たすため、意気揚々と目の前の扉を押し開けて店内に入って行った。





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