(34)不穏な話

 シェーグレン公爵邸での勤務も二年目に入り、ルーナは休日毎に戻ってくるエセリアに時々振り回されながらも、大抵は平穏に過ごせていた。


「ルーナ、応接室の準備はできている?」

 長期休暇でエセリアが屋敷に戻って早々ではあったが、その日は午後に来客の予定があり、ルーナは万事抜かりなく朝から準備を整えていた。

「はい、大丈夫です。ところで今日は、どのようなご用件でマリーリカ様をお招きしたのですか?」

「ちょっとした相談よ」

「相談……」

 そこでなぜか嫌な予感を覚えてしまったルーナは、僅かに顔を強張らせながら確認を入れた。


「まさかとは思いますが、例の婚約破棄に関するお話ではありませんよね? マリーリカ様の婚約者は、王太子殿下のライバルであるアーロン殿下の筈。そんな微妙な関係の方を巻き込んで、とんでもないことをしでかしたりはいたしませんよね!?」

 詰め寄ったルーナだったが、エセリアは呆れ顔で言い聞かせてくる。


「あのね……。王太子殿下派とアーロン殿下派に属する貴族達のいがみ合いはともかく、私とマリーリカは別に微妙な関係でもなんでもないわよ? ただ母方の従姉妹同士で、和やかに話し合うだけだから」

「……本当ですか?」

「まあ……、話をする他にも、音楽についての意見交換をするつもりではいるけど……」

 どうにも信用できなかったルーナが疑わしげな視線を向けると、エセリアは微妙に視線を逸らしながら弁解がましく言葉を継いだ。それを見たルーナの顔が、益々険しいものになる。


「……音楽? 以前ミランさんとローダスさんがいらした時の話と、何か関係があるのですか?」

「先に言っておくけど、あの歌は披露しないから安心して頂戴」

「当然です」

「………………」

 ルーナは真顔で言い切り、エセリアは口をつぐんで、その場に少しの間沈黙が漂った。

 その後予定時刻になってマリーリカが屋敷を訪れ、第二応接室でテーブルを挟んでエセリアと向かい合って座った。


「マリーリカ。休暇に入ったばかりなのに、呼びつけてしまってごめんなさいね」

 申し訳なさそうに言い出したエセリアに、マリーリカが笑顔で応じる。

「気になさらないでください、エセリア姉様。何か、お急ぎの用事がおありなのでしょう? お姉様が無駄な事などする筈ございませんもの」

「それはそうなのだけど……。厳密に言えば急ぎの話ではないし……、正直、あなたを巻き込むのは、どうかと思うのよ。だけどやっぱり、あなたと一緒に出た方がインパクトが大きくて、より効果的だと思うし……」

(正統派の公爵令嬢であるマリーリカ様を巻き込むなんて、エセリア様は本当に何を企んでおられるのやら。色々な意味で大丈夫なのかしら?)

 どうにも不安を拭えないルーナだったが、エセリアは穏やかな口調で話を切り出した。


「実は長期休暇明けに、学園で音楽祭を開催するのが決まっているのよ。詳細を含めて、まだ公表されてはいないけれど」

「音楽祭? それはどんな催し物ですか?」

「器楽演奏や声楽に自信がある生徒に、全生徒の前で発表させる事になるわね」

 そこでマリーリカは、困惑を露わにしながら問い返した。


「全生徒の前で、ですか? あの……、音楽室とか教室とかではなく?」

「ええ、講堂での開催になると思うわ」

「お姉様? どうしてそんな催しすることになったのですか? それに休み明けに開催と言うなら、休みに入る前になんらかの告知がなければ、おかしいと思いますが」

「グラディクト殿下がソレイユ教授に、休み明けに公表するように指示を出したそうよ」

「え? どうして殿下がそんな事を?」

「そもそも、その音楽祭は、ピアノだったら多少は自信があるらしいミンティア子爵令嬢に、全校生徒の前で活躍させる場を設ける為に殿下が企画したと言えば、おおよその所を分かって貰えるかしら?」

(え? ミンティア子爵令嬢って、誰のこと? 全然聞き覚えがないけど。エセリア様やシェーグレン公爵家とは、これまで交流がない方よね? あれば交遊関係のリストに載っている筈だもの。学園内でのお知り合いなら、私が知らないのは当然だけど)

 全く聞き覚えのなかった名前が出てきたことでルーナは困惑したが、ここでマリーリカが彼女らしくなく怒りの表情で叫んだ。


「なんですって!? お姉様、それは本当ですか!?」

 しかも叫ぶと同時に勢い良く立ち上がり、そのせいでかなりしっかりした造りの椅子が背後に倒れるというおまけ付きだった。その光景を見てルーナは呆気に取られたが、エセリアは全く動揺せずに指示を出す。


「マリーリカ、落ち着いて。ルーナ、椅子を戻して頂戴」

「マリーリカ様。どうぞお座りください」

 ルーナは即座に歩み寄り、倒れた椅子を持ち上げてマリーリカの座る位置に合わせた。そしてマリーリカはエセリアとルーナに軽く詫びてから、おとなしく座り直す。


「ミンティア子爵令嬢の事は、お姉様にお話しして以降も、色々耳にしてはいましたが……。まさか殿下が、そこまでなさるとは……」

(ええと、要するに? グラディクト殿下がクレランス学園内で、その子爵令嬢を贔屓にしているということなの? 婚約者であるエセリア様を差し置いて? しかも学年が一つ下のマリーリカ様までご存知だなんて、明らかに問題じゃないの!?)

 呻くように呟いたマリーリカの台詞から導き出された推論に、ルーナはさすがに顔色を変えた。しかし当のエセリアは、苦笑しながら話を続ける。


「それでその音楽祭に、おそらく私も参加する事になるわね。殿下は私が音楽が苦手だと思い込んでいるし、アリステア嬢の引き立て役にでもするつもりではないかしら」

(エセリア様を引き立て役にですって? あり得ないわ。そんな事に、エセリア様が黙って従うわけないじゃない! 王太子殿下って、人を見る目がなさすぎだわ!)

 そこまで聞いてルーナは本気で呆れたが、マリーリカは怪訝な表情で問いを重ねた。


「お姉様を引き立て役にするなど、以ての外ですが……。どうして殿下は、お姉様が音楽が苦手だなどと、そんな変な勘違いをなさっておられるのですか? お姉様は王妃様主催の、後宮の私室での演奏会でも、きちんと演奏されておられましたよね?」

「それはちょっと意図的に、苦手だと思い込ませてみただけなのだけど」

「そんな事が可能なのですか?」

(あ……、納得できたわ。エセリア様がそう仕組んだんですね? そして恐らくこれは、婚約破棄に向けての一環なんだわ。詳細は分からないけど、なんとなくそんな感じがする……)

 ここまでの話で、エセリアが陰でなにやら動いているのだろうなと察してしまったルーナは、黙って会話の行方を見守ることにした。


「それで先程話に出た、王妃様の所での演奏会で聴いた、あなたの歌声が忘れられなくて、是非とも私に力を貸して欲しいと思って、声をかけたのよ」

「光栄です。それで私は、何をすれば宜しいのですか?」

「賛美歌の《光よ、我と共に在れ》は知っているかしら? 三番まであるらしいのだけど」

「それは……、確かに一番は聞き覚えがありますが、二番と三番は……」

「確かに普通に演奏される場合は、一番だけで終わるみたいね。そうだと思って、三番までの歌詞を書いて貰った物があるの。ルーナ、お願い」

「こちらでございます」

 予め横の机に置いてあった用紙を取り上げたルーナは、恭しくマリーリカに手渡した。マリーリカがそれに目を通し始めると、エセリアが説明を再開する。


「それを私の伴奏で、音楽祭で歌って貰えないかしら? ただし本来のメロディーではなく、別の曲に合わせて歌って貰うのだけど」

「別の曲……。どのような曲でしょうか?」

「今から弾いてみせるから、そのまま聴いていて頂戴」

「はい」

(ああ例の、私が倒れた後にミランさんとローダスさんに披露された曲ね……。あの後、私も個別に聴かせていただいて驚いたけど、これをここで使うわけか……。エセリア様ったら、どれだけ先を読んでいるのかしら)

 半年ほど前、同じ部屋の同じピアノで披露した曲をエセリアが弾き始めたことで、ルーナは色々達観しながらそのメロディーに聴き入っていた。


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