第1章 とんでもない貧乏くじ

(1)キャレイド公爵家の密談

 建国以来の名家、キャレイド公爵家。広い所領と潤沢な資産を保有するその家は、社交界でもゆるぎない勢力を保持しており、目下の懸念は後継者の選定のみだと専らの評判だった。

 そんなある日。キャレイド公爵ランタス・ヴァン・キャレイドは、邸宅内で一番格式の高い応接室に、一人息子と長女を呼び付けた。


「マグダレーナ。我が国において、貴族子女の義務であるクレランス学園への入学はもうすぐだな」

「はい、お父様。準備万端、整えております」

 兄と共に応接室に出向いたマグダレーナは、向かい側のソファーに座る父に落ち着き払って答えた。それにランタスは、重々しく頷いてから話を続ける。


「優秀な平民にも門戸を開いているこの学園は、各人の自主性を養う目的で、貴族であろうとなかろうと全員が寮生活を行う。その中で、多様な価値観に触れる貴重な機会だ。くれぐれもそれを忘れないように」

「承知しております。これまでの生活で得られなかったものをもれなく吸収した上で、勉学でも寮生活でもキャレイド公爵家の名を汚さないよう、精一杯努めます」

 そこでマグダレーナは、座ったまま深々と頭を下げた。しかしランタスは淡々と応じる。


「正直に言えば、勉学に関してはあまり心配していない。これまでお前につけた家庭教師達は、皆口を揃えて『お嬢様ほど優秀な方にお目にかかった事がございません』と褒めちぎっていた。あれが、単なる追従ではないのは分かっている」

「そうだね。マグダレーナの学習進度は年上の私より進みが早かったくらいだし、理解力も私より上だと、皆がこぞって褒めていたよ?」

「……光栄です、お兄様」

 ここで父に続いて、兄であるリロイが自分に対する賛辞を口にしてきたことで、マグダレーナは隣に座る彼に冷め切った目を向けた。しかし目を眇めた彼女を見たリロイは、心底不思議そうに声をかけてくる。


「おや? マグダレーナ、どうかしたのかい? そんな腐った魚のような目をして。君の美しい顔には、全く似合わないよ?」

 その白々しい台詞に、マグダレーナは深い溜め息を吐いてから呆れ気味に言葉を返した。


「生憎と私は、腐った魚など目にしたことはございません。どのような目だと仰るのでしょうか? それにお兄様は、どこでそんな物を目にしましたの? この屋敷の厨房でないことだけは確かですね。我が家の料理人達の名誉にかけて、そんな物を取り扱っている筈がないと断言できますわ」

「本当にマグダレーナは頭が切れるし、使用人達にも優しい自慢の妹だよ」

「……それはどうも、ありがとうございます」

 嫌味が全く通じないどころか、どこからどう見ても人の良い笑顔に、マグダレーナは舌打ちを堪えながら言葉を返した。そして密かに考えを巡らせる。


(本当に呆れる程に、お兄様の《かなり頼りない放蕩な跡継ぎ息子》の擬態は完璧なのよね。徹底的に世間を騙して、普段どこで何をしているのやら。そんなお兄様にあっさり騙されている教師陣に手放しで褒められても、外で本当に通用するかどうか今一つ確証が持てなくて、正直不安なのだけど)

 少しばかり苛ついていたマグダレーナに、ランタスがさり気なく話を切り出してくる。


「それでだな、マグダレーナ。入学が迫っているこの時期に、お前に言っておかなければならない事がある」

(あら……。人払いまでしてこのタイミングで改めて話す事となると、大体話の内容は決まっているかしら?)

 そこで彼女は、迷わずに常日頃思っていた事を口にした。


「それでは、常々お父様が『嫡男は腑抜けで、とても我が家の後継者にはできない。女でも優秀な娘に婿を取らせて、家を継がせる予定だ』と周囲に吹聴して、対外的には私の婿を吟味する素振りをしていること。加えてお兄様が『自分より遥かに妹が優秀で安心だし、跡継ぎの重圧から逃れてせいせいしている』と公言して遊び人の馬鹿息子を装っているお陰で、私とお兄様の婚約者がどちらも未だに決定していないこと。そのくだらない小芝居の理由を、やっと一方の当事者である私に説明していただけるのでしょうか?」

 一息に言い切ったマグダレーナは、相当な食わせ者である父と兄の言葉を冷静に待った。すると真顔になった二人から、しみじみとした声が漏れる。


「本当に惜しいな。お前が男だったら、公爵家当主としても官吏としても比類無き存在になれただろうに」

「マグダレーナ。本当にそこそこ目端の利く男を婿に取って、この家を継ぐ気はないかい? 私はそれでも本当に構わないよ?」

「お兄様、寝言は寝てから仰ってください。何度も申し上げますが、私はこの家を継ぐつもりはありません。お父様やお兄様のその手の台詞は聞き飽きました。さっさと話を進めてください。察するに私達の婚約者を決めていない事と、国王陛下が未だに王太子を選定されていない事に、何らかの関連があるのではないかと推察しておりましたが。違いますか?」

 そう彼女が切り込むと、ランタスは深い溜め息を吐き、リロイは僅かに驚いた表情になる。


「お前が男に生まれなかったのが、本当に悔やまれる……」

「マグダレーナ。これまで全く説明を受けていないのに、どうしてそこまで推測できるんだい?」

「至極当然の結果です」

 そう断言したマグダレーナは、落ち着き払って自論を展開した。


「三人の王子殿下のうち、強力な後ろ楯がついて立太子される可能性があるのは、側妃が生んだ上のお二人。社交界でのその二つの派閥の力関係は、現状では拮抗しています。お父様はそのどちらにも安易に組み込まれるのを良しとせず、体よく私とお兄様の縁談を断る大義名分を作っていたと推察しておりました。違いますか?」

「聡いな、マグダレーナ。だが惜しい。確かにお前が今口にした内容は、お前が言うところの小芝居の理由の一つではある」

「一つ? それでは他に何があるのですか?」

 父の台詞に、マグダレーナは訝しげな表情になった。そこでリロイが話に割り込んでくる。


「マグダレーナ。確かに我がキャレイド公爵家は、この間、周囲に中立派と目されている。しかし、それは単なる目眩ましに過ぎない」

「目眩まし? お兄様、一体何を仰っておられるのですか?」

「分からないかい?」

「…………」

 そのまま意味ありげに笑っている兄と、表情を消した父を交互に見ながら、彼女はこれまでの会話を反芻してみた。そして、ある一つの可能性に思い至る。しかしさすがにそれはこれまでの予想から大きく逸脱した内容であり、マグダレーナは僅かに声を震わせながら確認を入れた。


「まさかとは思いますが……。お父様達は、王妃陛下がご生母であられる第三王子殿下を立太子させるおつもりなのですか!?」

「そのつもりだ。条件付きだがな」

「さすがだね、マグダレーナ」

「無理です! あり得ません!」

 想定外の選択肢を告げられたマグダレーナは、半ば狼狽しつつ声を荒らげた。しかしその様子を、彼女の父と兄は冷静に観察していた。







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