(3)名簿が含むもの

「ソレイユ教授、音楽祭参加者の名簿はできたか?」

 ノックもせずに自分の研究室のドアを開けるなり、一方的に言い放った乱入者を、ソレイユは一瞬叱りつけそうになったものの、強固な自制心でその衝動を抑えた。そしていつもの表情で机の上から一枚の用紙を取り上げ、グラディクトに手渡す。


「こちらでございます、殿下」

「ご苦労。それでは私達が発表順を決めるからな」

「……はい、ご自由に」

 素っ気なく応じた彼女だったが、グラディクトは別に気にする事はなく、彼の横にいたアリステアも上機嫌でそれを覗き込んだ。


「随分参加者がいるんですね! 皆、楽しみにしてくれているみたいで、嬉しいわ!」

「ああ、なかなか人数が揃ったじゃないか。これで音楽祭の成功は間違い無しだな。……うん?」

 しかし、そのある一点に目を留めたグラディクトは顔を上げ、怒りを内包させた声でソレイユに問い質した。


「ソレイユ教授。これはどういう事だ?」

「何の事でしょう?」

 相手が何を言わんとしているのかを、すぐに察知した彼女だったが、あっさりととぼけた。それでグラディクトの怒りが煽られたのか、用紙の一部を指差しながら彼女に詰め寄る。

「ここだ! どうしてエセリアが、マリーリカと一緒に出る事になっている!」

 しかしソレイユは恫喝紛いの物言いをされても、全く動じなかった。


「どうしてと言われましても……。幅広く音楽に親しむ為の催し物ですので、参加者が使用する楽器も演奏形式も自由にして募集致しましたから、合奏の生徒もいますし、合唱の生徒もいます。マリーリカ様の独唱とエセリア様の伴奏でも、何の問題も無いかと思いますが」

「問題が無いだと?」

「それとも、今からピアノ独奏会に変更致しますか? それならば参加者を削って、『音楽祭』などと仰々しい名前も、撤回しなければなりませんが」

 平然と言い返した彼女の主張を、正しいと認めざるを得なかったグラディクトは、忌々しげな顔付きになって踵を返した。


「……分かった、もう良い。アリステア、行くぞ」

「はい」

 ソレイユにしてみれば余計な仕事を増やされた挙げ句、放課後の音楽室の占有に関してあちこちから苦情を言われ、これ以上好き勝手させられるかと腹立たしい思いで抗弁したのだったが、グラディクトを言い負かす事ができて、少しだけ気分を晴らす事ができた。

 しかし当然グラディクトの方は、腹の虫が治まらないまま廊下を歩いていた。


「全く……、どこまで抜け目が無いのやら。自分の技量の無さを、伴奏する事で隠そうとするとは」

 忌々しげに舌打ちした彼の台詞に、力強いアリステアのそれが続く。


「本当ですよね! 仮にも未来の王太子妃の、する事とは思えません! 下手なら下手なりに頑張れば、皆もそれを認めてくれるのに、そんなに自分の駄目な所を認めたく無いなんて!」

「まさしく、アリステアの言うとおりだ。あの女は性根が曲がりきっているからな」

 全面的に賛同して貰えた事で、彼は機嫌良く頷いたが、そこで何故かアリステアが、真剣に考え込むような表情で言い出した。


「でも……、考えようによっては、エセリア様って可哀想な方ですね」

「どうしてあいつが可哀想なんだ?」

 完全に意表を衝かれたグラディクトが足を止めながら尋ねると、同時に立ち止まったアリステアが大真面目に語り始めた。


「だって、常に自分が誰よりも上の立場に居ないと我慢できなくて、周りを自分が優越感を感じる人間で固めているわけですよね? それで本当の友人関係が築けるとは思えないし、苦手な事を誤魔化す為に策を講じても、周りと一緒に自分自身も誤魔化すだけですよ。そんな人生をこれからもずっと続けていかないといけないなんて、可哀想だと思いませんか?」

 軽く首を傾げながら彼女が意見を求めると、グラディクトは一瞬呆然としてから、感極まったように彼女の右手を握った。


「アリステア……、君はやはり、誰よりも優れた人格者だ。あんな女の事まで、そこまで深く思いやる事ができるとは……。私は今、もの凄く感動した」

「グラディクト様、大袈裟ですよ? 人として当然の事ですから」

 照れくさそうに空いている左手を顔の前で振って、アリステアは否定したが、彼の讃辞は止まらなかった。


「いや、恥ずかしい限りだが、私は今まであの女に対して苛立ちや嫌悪感を覚える事はあっても、憐憫の情など覚えた事など一度も無かった。完敗だ」

「嫌だ、勝ち負けの話じゃないのに」

 くすくすとアリステアが笑い出し、グラディクトがそんな彼女を微笑ましく眺めていると、少しして彼女が明るい笑顔で宣言した。


「だから今度の音楽祭で、エセリア様が自分の至らなさと未熟さをほんの少しでも自覚してくれたら、少しは実りある人生を送れると思うんです。その意味でも、私、頑張ります!」

 エセリアとその周囲が聞いたなら、「何が『だから』なんだ!?」と盛大に突っ込みが入りそうな台詞だったが、グラディクトが大真面目に頷く。


「ああ、私も全面的に応援する」

「それじゃあ今日も、音楽室で練習してきますので」

「ああ、私も後から聴きに行くから」

 そして笑顔で音楽室に向かう彼女を見送りながら、グラディクトはしみじみと考えた。


(やはりアリステアは、真に心根の優しい女性だな。国母と言うのは、ああいう人物がなるべきでは無いのか?)

 対するアリステアは、自分で思っていた思った通りの展開になって、グラエィクト以上に上機嫌だった。


(うふふ、グラディクト様、随分感激してくれたみたい。やっぱりあの本に書いてあった通り、悪役令嬢を普通に『卑怯だ!』って非難するより、『可哀想な人です』って哀れんであげた方が、殿下の好感度は増すわよね。本当に《クリスタル・ラビリンス》は凄いわ! もうマール・ハナー様は、私にとって神そのものよ!)

 彼女の中で神格化されていると知ったら、エセリアが嫌な顔をしたに違いなかったが、幸いな事に本人がその事実を知る事は無かった。



「エセリア姉様、音楽祭の参加者一覧が出ましたわね。名誉会長と実行委員長の連名で」

 音楽祭が十日後に迫った日の夜。マリーリカがエセリアの部屋を訪れ、持参した用紙に目を落としながら、面白く無さそうに話題を出した。それにエセリアが苦笑しながら答える。


「ええ、私も見たわ。お二方とも、一体どんなお仕事をされるのかしらね?」

「こちらの記述によると、当日の演奏順も、この記述通りに行われるとか」

「そうらしいわね」

「そうなると、以前にお姉様が仰っていた通り、あのミンティア子爵令嬢が一番最後で、その直前にお姉様と私を据えた事になりますね……。本当に私達を、引き立て役にお考えとは……」

 そこでぐしゃりと音を立てて用紙が握り潰された為、エセリアは従妹を笑って宥めた。


「マリーリカ。引き立て役になるかどうかは、私達の発表次第ではないの?」

「失礼しました」

 怒りのあまり我を忘れて、はしたない行為をしてしまったと恥じたマリーリカは、僅かに頬を赤くしながら、握り潰した用紙を広げた。そして少しでも綺麗にしようとしわを伸ばしている彼女に、エセリアがさり気なく問いかける。


「因みに、これを見た周囲の反応はどうかしら?」

 それに顔を上げて、マリーリカが答える。

「さり気なく意見を聞いてみた全員が、私の歌にお姉様の伴奏が付く、という認識でしたわ」

「普通はそうでしょうね。殿下達も、そう思い込んで居るはず。自分が演奏が不得手な為に、マリーリカを引っ張り込んで、目立たないように伴奏として参加する事にした、とね」

「分かる筈もありませんわね。メインがお姉様で、私が添え物だなんて」

 そう言ってマリーリカは如何にも楽しげに笑ったが、エセリアも笑顔で言葉を返した。


「あら、マリーリカ。私もあなたの事を、添え物だなんて思っていなくてよ? 私の演奏を最高に引き立たせてくれる、最高のパートナーだわ」

「ありがとうございます、お姉様」

「音楽祭まで、外出許可の出る休日はあと一回。気合いを入れて仕上げましょうね」

「はい! 絶対に負けませんわ!」

「マリーリカ、試合では無いのよ?」

 つい先程までの不機嫌さなどどこかに消え去り、自信満々に宣言したマリーリカを、エセリアは再度苦笑しながら宥めたのだった。

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