(50)困惑

「それではエセリア、これを見ろ! これが貴様の悪行の証拠だ!」

(え? 何かしら? ここからだと遠くて、良く見えないんだけど)

 ルーナは困惑したが、観覧席の前方から伝わってきた会話で、それが何かを知ることができた。


「ねえ、殿下は何を出しているの?」

「なんだか、派手に切りつけられた本みたいよ?」

「まさか、エセリア様がそれをなさったとでも主張しているの?」

 観覧席のざわめきが大きくなる中、エセリアは怪訝な顔ながらも堂々と尋ね返した。


「殿下、お尋ねしますが、それは何ですか?」

「図々しい、どこまで惚ける気だ!? 去年貴様が切りつけた、アリステアの礼儀作法の教科書だろうが!」

「礼儀作法の教科書? そんな物は存在しないではありませんか。存在しない物を、どうやって切りつけると言うのです?」

(え? 全然意味が分からない。存在しない教科書を切りつけるって、どういうことなの? 誰か説明してくれないかしら?)

 全く話が見えなかったルーナは本気で首を傾げたが、ここで学園の教授達が集まっていた一角で、一人の年嵩の女性が手を挙げながら発言の許可を求めた。


「陛下、当学園で礼儀作法を担当しております、セルマと申します。この事に関して発言しても宜しいでしょうか?」

「許可する」

「ありがとうございます」

 そこでセルマが語った、これまでのアリステアへの個別授業に関する一部始終を聞いて、ルーナは心底呆れてしまった。


(うわぁ……。あのアリステアさんって、貴族の筈なのにそんなに礼儀作法が身に付いていない劣等生なの? その個別授業で用いていた、普通なら使わない教科書って……。学年が違うエセリア様が、そんなことをどうやって知り得るのよ。仮に同じ学年のエセリア様と懇意の生徒が、個別授業とそこで使われている教科書のことを知らせたとしても、そんな人をエセリア様の後釜に据えようと本気で考えているだけで、グラディクト殿下の人を見る目が節穴だってことが明らかよね)

 ここまで王太子が迂闊王子で、エセリアのライバルの筈の令嬢が劣等生だとは夢にも思っていなかったルーナは、激しく脱力した。しかし一見激しい論争に見えながらも、部外者にはくだらない茶番にしか思えないやり取りが続く。


「貴様がその直後の時間帯に、同じ棟のイドニス教授の研究室に、王妃陛下の指示で王国と周辺国の歴史を講義して貰うために通っていたのは、判明しているんだぞ!」

「そんな事はしておりません。それは一体、誰のお話ですの?」

「貴様、どこまで」

「そうですね。私も特に、そのような指示は出しておりません」

「……え? 王妃陛下?」

「そんな……、どうして?」

 グラディクトの主張にエセリアが反論するのは当然の事ながら、名前が出た教授に加えて王妃であるマグダレーナまで彼の主張する内容を全否定したことで、その論争は呆気なく幕を下ろした。


「だってアシュレイさんが、そう言っていたもの! それにチャーリーさんも、『エセリア様らしき人を見た』って、ちゃんと宣誓書を書いてくれたわ!」

「アシュレイ・ヴァン・ノルト! チャーリー・ヴァン・イーグス! こちらに出てきて、証言してくれ!」

 アリステアとグラディクトが狼狽気味に宣誓書なる物を鞄から取り出しながら喚いたが、ルーナにはどう見ても悪あがきとしか思えなかった。


(これは十中八九あの二人、もしくはアリステアとかいう人の自作自演だわね。そして二人が証拠として出した宣誓書は、エセリア様が仕組んだでっち上げ。当然、名乗り出る証人なんて影も形も存在しない。なんかもう、流れが分かってしまったわ)

 ルーナの推察通り、宣誓書を書いたとする二人は一向に名乗り出る気配はなく、グラディクトは苛立ちながら話を続けた。


「それでは他の話に移るが、貴様は去年ソレイユ教授に賄賂を贈って、音楽祭の企画そのものを話題に出さないように働きかけただろうが! しかも演奏に秀でた生徒達を脅して、参加申請を取り止めさせたのは分かっているぞ!」

「全く身に覚えがございません」

 淡々と否定するエセリアと、根拠や証人が皆無の内容を必死に言い募るグラディクトの対比に、ルーナは徐々疲労感を覚えてきた。そこでグラディクトのそれを上回る、凄まじい怒りの声が上がる。


「私が、賄賂を受け取ったですって!? 何という侮辱!! 冗談ではありませんわ!!」

(あ、もしかしてあの人がソレイユ教授? 確かに収賄疑惑をかけられたりしたら、怒らない方がおかしいわよね)

 ルーナがそう推察すると、その女性は学園長に詰め寄って声高に非難し始めた。


「学園長! そもそもあなたが二年前に、あの物を弁えない女生徒をえこひいきする殿下のごり押しに屈して、音楽祭などという行事を開催する許可を出したのが、そもそもの間違いだったのですわ!」

「ソレイユ教授! 確かにそれは私の落ち度と認めるが! 両陛下の御前だから、ここは堪えてくれ!」

「何だと!? 貴様、無礼だろうが!」

 グラディクトが顔色を変えて怒鳴り返したが、そこでエルネストが詳細を尋ねた。


「ソレイユ教授と言ったな。今の発言はどういう事だ?」

「お聞き下さいませ、陛下」

 そこでソレイユ教授が怒りを内包した声で滔々と語った内容を聞いて、ルーナは遠い目をしてしまった。


(前例の無い企画を無理やり開催とか、生徒に参加を強要とか、他の生徒は一曲ずつの演奏なのにあのアリステアさんだけ五曲も演奏させるとか……。これはもう、えこひいきそのものよね。殿下は何をやっていたのよ。どう考えても言い逃れできないじゃない)

 ソレイユ教授の告発にグラディクトが見苦しく言い訳し、それに女生徒達がこぞって反論する様子を見守りながら、ルーナは溜め息を吐いた。 


「グラディクト殿、まだ申し開きがありますか?」

 その時点で、早くもマグダレーナの声音には義務感が漂い始めていたが、グラディクトは声を荒らげながら主張を続ける。

「まだまだエセリアの悪行を証言する者はいます! 昨年の剣術大会の折り、『接待係になったアリステアに嫌がらせをする為、レオノーラ・ヴァン・ラグノースがエセリアの指示を受けて、彼女の足を引っ張るようにペアを組んだ』と証言する者と、『アリステアに嫌がらせをする為に、セルマ教授に剣術大会中、休暇を取るように指示した』と言う者がおります!」

 そうグラディクトが発言した途端、エセリアが何か言う前に、セルマが再び発言の許可を得た上で彼に問いかけた。


「グラディクト殿下。どうして私が、エセリア様から休暇を取る事を指示される必要がございますの? そもそも私が休暇を取る事が、何故そちらの生徒への嫌がらせに繋がるのか、是非ご説明いただきたいのですが」

「人気投票の開票日に、私達にテーブルクロスを渡さない為に決まっているだろうが!」

「それならばお尋ねしますが、どうしてその開票日にテーブルクロスの替えが必要になる事が、予め私に分かるのですか? 開票日に運んでいたカップを派手に倒し、お茶を零してテーブルクロスを一枚駄目にしたのは、他でもないそのアリステア・ヴァン・ミンティアだと、後日耳にしたのですが?」

「……っ!」

(うん、さっぱり意味が分からない。殿下は何を言っているわけ? これは学園の生徒さんなら、分かる話なのかしら?)

 疑問に思ったルーナは注意深く周囲の会話に聞き耳を立ててみたが、周りの生徒達も同様に困惑顔でざわめくだけだった。そしてセルマ教授の容赦ない指摘が続く。


「そもそもアリステア・ヴァン・ミンティアは、一昨年の剣術大会の時、生徒全員が何かの係をしなければいけないのに、殿下のお声掛かりでただ一人、何の係にも属していなかった筈です。それはさきほどソレイユ教授が仰った、『えこひいき』ではないのですか?」

「それはっ!」

「今は関係無い話だろうが!」

「まだ話は終わりではございません。それなのに去年は、既に係の希望集約を終えた後、急に接待係をやりたいと申し出て、殿下が接待係の取り纏め役のレオノーラ様にごり押しして、参加を認めさせたと伺いましたが?」

「ごり押しなどしていない! 参加表明はいつでも可能だったぞ!」

 グラディクトが盛大に言い返したところで、観覧席の一角から冷静な声が上がった。


「確かにそうですから、私も彼女の参加を認めました」

「レオノーラ! 貴様なぜここにいる!? 学園を卒業しただろうが!」

(レオノーラ様……、人が多くて気がつきませんでしたが、やはりいらしていたんですね。そして堂々と参戦されるとは……)

 すっくと立ち上がって発言したレオノーラを認めて、ルーナは思わず項垂れた。彼女を見て驚愕するグラディクトとは対照的に、レオノーラが彼に冷ややかな視線を向けながら話を続ける。


「先程セルマ教授が言及されたように、前年に接待係を経験しておられないアリステア様のフォローをする為に、取り纏め役の私が率先してペアを組んだだけです。他の接待係の皆様は、既に接待係の仕事を経験済みか、間違っても礼儀作法の授業で叱責など受けた事はない、立ち居振る舞いに不安など微塵もない方々ばかりでしたから。彼女は案の定、派手にお茶を零して下さいましたし」

「酷い……。あの時は偶々失敗しただけなのに、それを殊更あげつらうなんて……」

「全くだ! 品性の欠片も無いな! それでも上級貴族か、恥を知れ!」

 辛辣極まりないレオノーラの台詞にアリステアは涙ぐみ、そんな彼女を庇ってグラディクトが声を張り上げたが、それ以上に憤慨した声が観覧席から発せられた。


「恥知らずなのはどっちよ! 黙って聞いてれば、ふざけるんじゃないわ!」

「……え?」

「何だと?」

 グラディクト達が声のした方に目を向けたが、観覧席のあちこちから同様の声が上がった。それらを一通り聞いたルーナは、思わず額を押さえて項垂れる。


(うわぁ……、上級貴族の方云々と言っているなら、あの人達は下級貴族や平民の方達の筈。それなのに面と向かって王太子殿下に食って掛かるなんて、あの二人、余程皆さんの反感を買っていたのね)

 途端に騒々しくなった講堂内に、冷静なマグダレーナの声が響く。


「つまり彼女は、自らの粗相でお茶をかけてしまった生徒に対して、本当に謝罪していないのですね?」

「確かに……、それはそうかもしれませんが! あれはタイミングが!」

「ところで、あなたの今度の主張を裏付ける者は、どこにいるのです?」

「今すぐに呼び出します! バーリッシュ・ヴァン・デルタ! リゼラ・ヴァン・ノルティア! 両陛下に対して、真実を申し上げろ!」

 グラディクトはむきになって声を張り上げたが、それに応じる人間はこれまで同様皆無だった。


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